2015年10月05日

谷底の町

スーパームーンの「その日」、私は長野の車山あたりにいました。
何十年も前に車屋ケンチャンたちとスキーに訪れて以来・・・だと思われますが、自身にスキーの才能がないことを悟り、上から下へ下るだけの寒い遊びに共感することもできず、それっきりです。
それより前には、下心たっぷりの「ドライブ」で、美ヶ原高原美術館なんかに行った覚えがありますが、ヴィーナスラインから見下ろす景色を楽しめる感性などない上に、高原に並べられた多くのオブジェに意味を感じることすらできず、ドライブして食事してベッドに入るまでの時間つぶしに丁度いい距離感を羊の皮をかぶって過ごす肉食男子でした。

せっかく車山まで行くのならと、アンジーがどうせ誰かから聞きかじった「中山道」の木曽路の宿場町巡りがステキらしい・・・という情報に乗っかって中央道を名古屋方面に進んでみました。

「伊那」。

サラリーマン時代には代理店さんの応援で何度か足を運んだはずの場所も、町並みが変わってしまったのか、私の記憶が消え始めたのか、伊那インターを降りたところから別世界で、ブ厚い地図をたどってたどりついた代理店さんのオフィスも、右だったか左だったかさえ思い出せません。
文句を一切言わずに目的地に導いてくれるナビのオネェさんは、この日も鼻にかかったセクシーボイスで右、左、あ〜んソコソコと見覚えのない町並みを案内してくれます。
走り去る景色の両側には、「採っていいよ」と言わんばかりのリンゴやブドウの木が、道に張り出しています。

ヒト気のある町並みをはずれ、山あいを走ること30分ほど。
道をまたぐ大きな関所門をくぐると、ナビのオネェサンは「お疲れ様でした」と福島宿に到着したことを伝えてくれます。

「う〜ん、確かに古びた町並みだけど・・・」

想像していた「宿」の雰囲気とは程遠く、それらしい雰囲気を漂わせたおみやげ物屋さんが道路の両端に並びますが、これが目指していたものだとしたらだいぶ残念なカンジです。

何軒かある和菓子屋さんはどちらのお店も「栗小餅」ののぼり旗がはためいていて、この町の楽しみ方をリサーチするためにひときわ大きな駐車場の和菓子屋さんに入ってみることにしました。
若い店員さんが「この町のコトはよく知らないんです♥」と、ナンとも斬新なやりとりながら店先のガイドマップを広げて「現在地はココですから〜・・・」と中山道を指でなぞります。
どうやら福島宿よりも奈良居井宿の方が見応えがあることはわかりました。

それと「栗小餅(栗粉餅)」はこの町の伝統的なお菓子で、お店によってその味が違うことも教えてくれました。
かなり素朴過ぎる味は、確かに伝統的なお菓子だというだけはあります。
どうやら私の舌べらは伝統的なお菓子の美味しさには追いついていないようです。

「車を置いていっていいですよ」と親切な申し出に甘えながら、茶巾絞りで栗をかたどった「栗きんとん」を口に入れ、教えてもらった坂道を登っていくと、「おぉ〜!」先ほどまで見てきた雰囲気からは、かなりタイムスリップした景色に変わります。

月曜日と言うこともあり、観光客らしき人達の姿はまばらで、ちょっと得した気分です。

道路も広めで規模も小さく、以前訪れた妻籠宿や馬籠宿のような圧倒的な宿感はありませんが、私はこういう町並みを歩くことが好きです。
予習をしていかなかったせいで、アチコチに設置された矢印付きの看板の意味すらわからず、天下の四大関所の福島関所があった福島宿を堪能するには感性だけでは残念なカンジです。

宿を改修した漆器屋さんやカフェなんかも昔のままの姿を留めつつ、看板を出していましたが、どちらのお店も定休日らしく、逆にその方が昔なカンジで心も踊ります。

「上の段」と呼ばれるお宿を背に坂道を下っていくと「福島関所」に出ます。

また登る階段が立ちはだかりますが、「まだあげ初めし前髪の・・・」で始まる島崎藤村の歌碑にジーンとしながら、いにしえの先人達が歩いたはずの狭い階段を登りながらノスタルジックな気分になります。

復元された西門をくぐり、高い通行料を払って行き来したという関所の上番所・下番所の中には関所に関する資料が並び、特に女性の通行は厳しかったと、スピーカーのオネェさんが言っていました。

時代劇で見るような資料の数々が、実際に使われていたものだと思えば、カメラを担いで呑気に見ているこの時代が、いかに幸せかと痛感します。

「山蒼く暮れて夜霧に灯をともす、木曽福島は谷底の町」とうたわれたこの町は関所を置くのには適した場所だとアナウンスされていましたが、冬になれば雪深いこの町で過ごしていた先人達にどれほどの苦労があったかなんて想像もできません。

和菓子屋さんに御礼を言って、教えていただいた通りに木曽路十一宿の江戸側から2番目で、11宿の中では最も標高が高い「奈良井宿」に向かいます。
福島宿からは15分ほどで、着いた有料駐車場には係の人が居なくて、無料駐車場でした。

多くの旅人で栄えたこの宿場町は「奈良井千軒」といわれただけあって福島宿とはまったく景色が違います。
漆器屋のお母さんが宿場町の中で最も規模の大きい宿場なんだと教えてくれました。

1キロほどはあるんでしょうか。

道の両側には宿が並び、圧巻です。2階建ての建物ながら背の低い町並みは現代人とは違う身長の先人達の生活を想像させ、どこかから漂う薪を燃すニオイもイイカンジです。風呂の準備でもしているんでしょうか。
所々にある水場も、きっと当時の人達は大切なものだったんでしょうし、井戸端会議で賑やかだったのかも知れません。
保存されていると言う宿場町ながら、住んでいる人達もいて、趣のある引戸を開け、走って出てくる子どもの姿は現代人です。

旅のみやげにでもしたんでしょう。
曲げ物、櫛 、漆器などの伝統も受け継がれ、何軒ものお店で販売しているようでした。
民宿も現存していて、当時のお宿の雰囲気を体験することもできるようです。

「住んでる者にとっては決して住み良いところではないんだよ。。。」と、通りすがりのお母さんが足を止め、話してくれました。

「若いモンはみんな町に出ちゃって、居るのは年寄りばっかりで・・・」

物見遊山の私にはステキに見える町並みも、住んでいる人達にはソウばっかりでもないようです。

「除雪もしてくれなきゃ買い物にも行けない・・・仕事だってない。生協で食べ物を届けてもらってるのよ」

そんな切実なお話に、先人達はどうやって乗り切ったんだろうと考えながらクルマに乗り込みました。

私の町の龍勢(無形民俗文化財)然り。
年寄りしか支えない伝統を、年寄り任せにしているのであれば行く末は見えています。

日本人がこぞって押し寄せる外国の文化や古く美しい町並みは、決して年寄りだけが守っているんじゃないことに早く気づかないと、日本固有の魅力は失われてしまうばかりか、ワビもサビもないただゴッチャマゼのなんだかわからない文化(ソレを文化とはいえそうもありませんが)が通り過ぎていくだけのような気がします。
失われてしまってから「あーなんだかそんなのもあったよねぇ。。。」と言うのも日本人ですし、とっくに失ったものを「ナントカ復活させる!」なんて言い出すのも日本人のように感じます。

突然、見たこともないゴローマルに開眼し、マオちゃんの復活を久しぶりに喜び、フクヤマが結婚すればナゼか会社を休んじゃうのも結構ですが、今あるものを守る知恵を少しでも出し合う「協力」もしていかないと・・・。

予想外に宿場町を楽しみ過ぎて、予定していたチェックインに間に合っていません。

今時のバイキング料理の待つホテルに大急ぎで向かいつつ、標高が高く、空しか見えないヴィーナスラインで、風に揺られたススキの向こうに見えるでっかい月は「スーパームーン」でした。                 


Posted by Nori at 18:28Comments(0)ぶらり旅

2015年08月09日

流しちゃダメ!

2波3波と次々に押し寄せる便意に、一時は山道の木の影で・・・と、車内に常備しているトイレットペーパーを確認しながら、最後の決断をするものの、「ギンギラギンにさり気なく(マッチ)」の歌詞を思い出しながら気を紛らせながら52号線を北上していました。

「ハイティーンブギ(マッチ)」の歌詞を思い出す頃にはたぶん健康な顔色とは言い難い状況だったに違いありませんが、「スニーカーぶる~す(マッチ)」を口ずさみ、「ヨコハマチーク(マッチ)」を思い出した頃には、もはや第何波の潮騒なのかは既にどうでもよく、こんなことならマッチのベストアルバムを買っときゃ良かったと、自身の準備不足を呪います。
「ゆれてハラハラな~やんで」とNight & Dayをうまくひっかけた「情熱☆熱風せれなーで」の歌詞に感心しつつ、もっと大腸が長ければとか、それじゃシッポじゃねぇか!だとか、指先から出せたら便利なのに!とか決して便意がアタマから離れる事はなく、ドライブの際には「アテント」の装着をマジメに考える年頃です。

ほぼうつろな状態で「下部温泉駅」にたどりつき、駆け込んだトイレでギリギリセーフを確認し、ウッスラ涙を浮かべホッとしながらふと見た目の前の貼り紙には「トイレットペーパー以外は流さないでください」と書かれていました。

いやいや決壊したてのたっぷりの土石流は・・・?

ワケありで、わざわざこの駅まで来て、トイレットペーパーだけを流してナニが楽しいのか?と、疲れきった脳みそで考えてみますが、そこは「清水のペーパーナイフ」と呼ばれ、泣く子も笑う不良少年だった私は、悪い顔をしながら全部流してやりました。
ちなみに缶ジュースに「開缶後はすぐにお飲みください」と書かれている場合は、すぐに飲み切る一面も持ち合わせています。

と、そんなプチエピソードはともあれ、ネットで見つけた下部温泉郷に来てみました。

清水からは1時間半程度でしょうか。
車屋ケンチャンも「下部はイイらしい・・・」と、温泉好きの友人から聞きかじった情報を受け売りしていましたので、背中を押された恰好です。
いつもならそのまま国道52号線を北上してしまって富士川の向こう側を通る事などありませんでしたから、まさかそんなところに温泉街?とネットの写真を見る限り昔ながらの温泉宿が立ち並ぶ風景に密かにワクワクしていました。

それならオナカが痛くなくても前日から正露丸を飲んどきゃ良かったのですが、1時間半ほどの道程をナメ切っていました。
山道にコンビニがいくつかあることだって、考えてみればアテントを装着しなくても、タバコやジュースを買うためだけに存在しているわけではない事はわかることです。

スッキリしたし、とりあえず昼メシ!と、クルマをトイレの前に停めたまま、周辺の食堂を覗き込みますが、どちらも老舗過ぎて不安がよぎるタイプの店で、店先のショーケースの中のロウで作ったサンプルもとても新鮮には見えず、蕎麦に至ってはトンコツ並みにギトギトのスープでは食欲も失せてしまいます。

道から少し入ったあたりにカフェ風のお店がありました。
見渡すところ選択肢も多そうではないので、消去法により決定します。
ちょっとオシャレな店構えは、財布の中身と要相談ですが、シェフらしき人が大きな鉄板でステーキを焼いていれば場違いなカンジは否めません。
かなり隅っこの小さなテーブルを選び、すまなそうに座ってみると、英語混じりで音楽を紹介する湘南あたりのFMラジオのお姉さんのようなしゃべり方をする店員さんがメニューとお水をもって現れました。

「お決まりの頃、またお伺いしますねチェキラー!」

チェキラーは言わないまでもそんなカンジです。
どう見ても都会育ちを漂わす雰囲気は、自分を美人だと思って生きている私のもっとも苦手なタイプの美人です。
ご家族で経営されているのか、似たような美人がもう1人いてモデルのような歩き方でほかのお客さまをもてなしています。
注文をし、食事が届くまでの間が長いのはあまり好きではありません。

隣に座った同世代のカップルは、どうやら温泉街を散策する模様で、ガイドマップを開きながら予習中のようです。

ガイドマップを持っていない私は、スマホを頼りに日帰り温泉を探そうかとも考えましたが、温泉郷と名のつく温泉街ならドコも一緒だろうと食事代を支払いながらさっきのお姉さんに聞いてみると、台風だか豪雨だかの影響で坂道沿いに建つ多くの温泉宿が被害に会い、開店休業状態のところも多いとか。
施設も古いためにそのまま営業をやめてしまったところもあるようで、影響を受けなかった下部温泉ホテルなんかいいんじゃない?ドンミスイット!みたいに紹介されたので、リーズナブルで時間制限もないというそのホテルへ行ってみる事にしました。
全長1キロあるかないかの温泉街で、営業中かどうかは別として、ネットで見たような風景は、少々淋しげながらやはり趣があります。
人影もまばらで熱海や箱根とは全く違う独特感は、ぶらりと立ち寄ってみるのも面白いのかも知れません。

2時間ほど温泉に入らせていただきましたが、私1人の貸切風呂でした。
浴槽はふたつあり、露天風呂も3つありました。
どれが何の風呂かの説明がないので、どの風呂を選べばいいかがわかりませんでしたが、貧乏性の私は全部の風呂に一通り浸かってゆっくりさせていただきました。

すっかりほてったカラダでロビーに出ていくと「敷地内から泉質のイイ温泉が湧いているんです」と自慢の硫黄泉を黒服の偉い人らしき人が教えてくれました。
聞けば、湯温が違うだけで、どの風呂も同じ泉質である事もわかりました。

派手さもなく、観光地と呼ぶにはもうひとつのような気がしますが、静かな田舎町の温泉で日頃の騒音から解き放たれるわずかな時間を楽しめる歳になりました。            


Posted by Nori at 18:28Comments(2)ぶらり旅

2015年03月30日

湯治

まさに年が変わろうとする頃。
ただ月が変わるだけのその瞬間にいろんな思いを乗せ、世の中が酔いしれている中、私はとっくのとんまに夢の中でした。
まさかそんな瞬間に、出先でアゴをはずし、一緒に居た仲間たちがネットで医療サイトを見ながらはずれたアゴを元に戻そうと悪戦苦闘するも、素人集団だからこそ音(ネ)をあげ、救急車要請!
到着した隊員さんたちはアゴをはめる技術を持ち合わせておらず、サイレン鳴らして病院へ。
アゴのセンセにはめてもらい、「6,000円もとられたぁ~!」と、絶対ナイショを前提に話してくれました。
ご家族の皆さんからは「写メ撮った?」「アゴのはずれた人間見た事ナイから!」と薄情な感想までオモシロイのに、人に言うな!ブログに書くな!笑うな!と私の手足を縛るので、実名及びニックネームの紹介も控えさせていただきます。
しかし、もっとオモシロク書けるのに、誠に残念ではありますが新年早々に起きた実話を、コトもあろうに今日まで私に黙っていられた事に敬意を表し、ホトボリが冷めた頃に再度詳細に綴るチャレンジができればと野望を燃やしていることだけはご報告いたします。

数年前から私を苦しめる背中に走る鈍痛がアチコチに転移し、最近では背中から胸までアバラ骨全体に激痛が走るようになりました。
アンジーは「アバラにヒビでも入ってんじゃないの?」とテキトーな診断をしてくれますが、度々襲う激痛に「これだけの激痛なら折れてるだろっ!アバラが全部崩れ落ちて肩がヘソのあたりまで落っこちたら救急車呼べよ!」と減らず口だけは健在ながら痛くて眠れなかったり、痛過ぎて飛び起きる日が続けば、さすがに冗談の域は越えているんでしょうし、ナニよりカラダを動かす度に息が止まるほどの激痛は耐え難いものです。

「もはやコレまでか・・・」と、ハラをくくってみるも翌朝も、またその翌朝も目は覚め、窓から見える青い空を恨めしくさえ感じる事もありました。
痛い痛いと言ったところで良くなるはずもなく、さりとてうっかり病院に行って妙なものが見つかれば厄介なだけで・・・

あくまでもゲンコロ(元気にコロリ)、ピンコロ(ピンピンコロリ)を望む私は、ビンビンな時にコロリだけは避けるよう心掛けています。
病院がキライなわけでも、おチューシャが怖いわけでもありません。

しかし、神様はなかなか見放してはくれないわけで、人間関係も広範囲になるとひょんな事から診断を受ける機会に遭遇してしまいます。
症状を伝えると、「肋間(ろっかん)神経痛」の疑いがある事が判明します。
原因は様々なようで、症状もまた様々。
酒との因果関係はわからないものの、麻酔薬としての効果は実証済みで、呑めば痛みも気にならなくなり、苦しむ事なく眠りにつける事はわかっています。
一概に断定する事はできないようですが、処方されたクスリで様子を見る事になりました。

「神経痛」なんて、年寄りの病だと思っていましたが、51にもなれば決して無関係な年頃でもなく、「若者」ではない事を素直に認めて謙虚に生きようと思っています。
どんなに頭痛や生理痛がひどくても鎮痛薬を飲まない私にとって、今回の鎮痛薬は効き過ぎるほどでした。
多少の違和感は否めないものの、たちまち痛みは遠退き、あのいまいましい過ぎし日々がウソのように去りました。
一時的にしろ開放された私は、ずっと心配してくれていた釜平の母さんに勧められ「温泉」を目指します。

温泉。。。

”キライな食べ物”が「クチのワルイ女」で、”行きたくない場所”が「温泉」な私。。。

いつからそうなったのか、ちゃんと洗って入っているのか?病気じゃないか?チョットチョット!「アーッ!」とか言いながら天井見てウットリしてるけどトイレですることしちゃってるんじゃないの?と疑えばキリのナイ他人との混浴が、どうしてもできなくなって、温泉絡みのイベントなんてムスメたちが小さい頃に行った吉良温泉が確か最後で。。。

頼まれてもいない桜ごときだって開花するんだから、いっちょオレも開花してみるか!と、背中を押されるように意を決し、「泉質がいいのよ!」と母さんお勧めの「川根温泉」あたりに行ってみる事にしました。
日帰り温泉なら「湯治」には程遠いものの、久しぶりのドライブも兼ねての温泉で、カラダもココロもリフレッシュできるのならば充分な「湯治」です。
川根なら知った道!と、ナビに頼るコトもなく霧に包まれた視界10メートルほどの山道をオシリの穴を縮めながら走り抜き、霧が晴れた頃にはSLの終着駅「千頭」まで数キロのところでした。

「川根温泉」

看板によれば左折のようで、千頭方面とは違うようでした。
”春”間近の川根路の昔ながらの大きな家の庭先には、その時期の柿ほどの花をつけたモクレンがたわわに咲いていて、山の中腹や道路沿いには「開花宣言前」の寒桜が見事な濃いピンクで春を告げていました。

どのくらい進んだでしょう。
「これじゃぁ、島田まで下っちゃうな。。。」なんて大井川沿いを下流に向かって走りますが、温泉街の雰囲気は一切漂わず、聞いた名前の割には観光地のようでもありません。
看板が「川根温泉まであと2キロ」と示していても、「ウソだろ・・・」というカンジです。

「え?ココ?・・・」
どうやら川根温泉は「道の駅」の役割も担っているようで、多くの「道の駅」がそうであるようにドライブイン的なノリで存在していました。
目的地はその隣のホテルで、教えてもらった通り大きな横断幕には「日帰り温泉」の文字が。
いいのか悪いのか隣の川根温泉(道の駅)と共有スペースに見える駐車場にクルマを停め、田舎の温泉にしては全く情緒の深くない佇まいのホテルに入ります。
タオルを入れたリュックを背負っていれば確かにそうなんでしょうが、「日帰り温泉ですか?」と目的を見抜かれます。
券売機で「日帰り温泉」のチケットを言われるままに購入すると、チケットを見せてもいないのに、別のスタッフが近づいてきて「こちらへ」と促され、バイキングスタイルのレストランへ連れていかれます。
時は昼時で、満席状態でした。
聞いたところでは、「子どもの入場お断り」のはずだったのですが、ちゃんと走り回り泣き叫ぶ子ども達がいました。
できるだけ彼らから離れた場所を選びたいところですが、どうやらそんな勝手は許されず、わずかに空いているいくつかの席はどこも私の希望通りの席ではありませんでした。
ジイさんばかりなら、皆さんのモラルを信用してあきらめもつきますが、「この子たちも温泉に一緒に入る?」となると、私の「開花宣言」も揺らぎます。
ココまで来たらハラをくくるホカありませんので、早々に食事を済ませ、温泉のある2階へ移動します。
風呂はふたつあって、源泉掛け流しのアリカリ泉と、炭酸泉の露天風呂でした。
隣り合ったどちらからも大井川をすぐそばに見る事ができて、川をまたぐ赤い橋は大井川鉄道なんでしょう。

休み休みふたつの風呂を行ったり来たりしながら1時間ほどが過ぎた頃、大きな汽笛と共に真っ黒い煙を吐きながらSLがゆっくりと橋を渡っていくのが見えました。

温泉に浸かっていた全員が一斉に立ち上がり、同じ方向を見ている姿に、夏祭りの屋台で売っている風鈴を思い出しました。
走り去るSLに、ページがめくられたように皆さんが帰り支度を始めるので、私もそれに従います。
温泉効果なのか、はたまた自然治癒力なのか、それともやっぱりオクスリのせいなのかはわかりませんが、すっかりカラダも軽くなり、島田経由で清水に着いた頃にはグッタリ疲れきっていました。
次回の湯治まがいの温泉旅があるんだとすれば、誰かのクルマに便乗させていただく所存です。                


Posted by Nori at 20:10Comments(2)ぶらり旅

2015年02月13日

きび餅ときび餅

数年前に、釜平の母さんがお裾分けをしてくれたのが「きび餅」で、酒のツマミに「ウマイ、ウマイ」と言いながら、カウンターの酔っ払いたちとその独特な食感と「きび」の上品に感じる風味を味わった事を突然思い出したのが昨年末。

正月に食べる「餅」に「きび」が交ぜ込んであって、白くはなく黄色いお餅です。

お餅のように焼いて、砂糖醤油で食べるのがおいしかったと記憶しています。

その日も釜平のカウンターで酔っ払いたちとそんな話題で盛り上がったのですが、私と同世代が若手なカウンターで、「我こそは!」と手の平の中のスマホをいじったところで検索結果にたどり着けるわけもなく、記憶に残らない時間を過ごしました。
「・・・そういえば・・・」と、また「きび餅」のことを思い出した頃には、とっくに年も明けていて、この1ヶ月余りをどれほど有意義に過ごしてきたのかも思い出せずに2月に突入してしまいました。
残すところあとたったの11ヶ月でまた新年です。
こんな早さで年は暮れていきます。
シラフの時間に思い出した以上、検索結果にたどり着いてやろう!とスマホを頼りにググッてみますが、ドコの名物なのかもわからず、検索結果に「コレだ!コレだ!」という確信も持てません。
確か、神奈川って言ってたかなぁ。。。、いやいや東北。。。?米所と言えば・・・などと、いろいろやってみるのですが、一向に目的のサイトは見つかりません。
トライを始めて数日目。
ナニをドォやったらそうなったのか、湯河原あたりの名物である事が判明。
釜平のお客さんのお土産だったとしたら、そのあたりなら常連客の活動範囲内で、「ちょっと風変わりなお土産」として献上されても不思議ではなく、「見っけ!」と勝手に白羽の矢を立ててみます。

「元祖」だか「老舗」だか、ウチがホンモノ!的なアピールの中、「元祖」を選んでみます。

お取り寄せもできるようなので、それでもよかったのですが、湯河原という町には未だ乗り込んだコトもなく、名高い湯河原温泉のど真ん中に位置するお店なら「行ってみっか」と、いつも通りの気まぐれドライブを決めます。
伊豆方面?箱根の辺?くらいの知識で、湯河原がどの辺にあるのかもわからないナビ任せの旅は、今に始まった事ではありませんが、私のような人間には「旅のしおり」のようなものを作って計画通りに行動するより、ナニが起こるかわからないそんな旅の方がショウに合っているような気がします。
そんな事とも知らないナビは設定された通りにマジメに案内してくれます。

いつも思うのですが、このナビってヤツは、チャンと目的地に連れていってくれるコトは知っていますが、「コッから先は地図がありません!」ってコトはないわけで、150キロ先だろうが、300キロ先の目的地だろうが、きっと繋いで繋いで地図を張り合わせた人が居るはずだと思えば、スマホのアプリとはいえ、最新版を無料で使わせてもらえるありがたみをもっと感じなければいけないと思っています。
走行付近の飲食店やコンビニ・ガソリンスタンドまで教えてくれるのは本当に助かりますが、今回に限っては「積雪情報」がないのでビビりました。

そりゃあ、三島あたりで箱根に向かって走っていれば、道路の上の電光掲示板に、「箱根・小田原方面 雪注意」と点滅しちゃうナマナマしい情報も目に飛び込んでくるわけで、いつも通りに「行けるトコまで行ってみるか」と楽観するにはリスキー過ぎます。
「政府はナンでオレのパスポートを取り上げないんだッ!?」と大声で言ったところで「知ったコトか!」と冷ややかに言われるのがオチなんでしょうが、せめて富士あたりで電光掲示板が教えてくれれば目的地変更の選択肢だってありました。

それでも引き返さない私は芦ノ湖を見下ろす峠を走っていました。

芦ノ湖の向こうに見える富士山はいつも見ている角度とは違うために新鮮な上に絶景ですが、道路の両脇に除けられた真っ白な雪は、普通ならちょっと楽しくなっちゃうような高さまで積み上げられ、アップダウンとカーブの連続に景色どころではありません。

道路上に巻かれた融雪剤も、それなのか氷なのかわからなければ、息をするコトさえ忘れた自分は酸欠気味です。

オシリ方面の穴をヒクヒクさせながら山を下り切った頃には、あちこちから湯煙がもやもやと立ち上り、なんとか無事に湯河原温泉到着です。
観光地なんでしょうが、妙な垢抜け方をするコトのナイ昔ながらの町並みにホッとします。
温泉街を走る道路も一層狭くなると、目的のお店はすぐに見つかりました。
見たところ駐車場はないらしく、狭い道路に駐車するのもナンだからと、隣の派出所の前にクルマを停め、オマワリちゃんに一声かけようと中を覗き込みますが、お留守の様子。
せいぜい4~5分のコトならばそのまま置かせてもらい、「きび餅屋」に入っていくと、年配のお姉さんが「アソコのオマワリは・・・」と、置かない方がイイ説明を聞かされます。
言われた通りにクルマを移動し、再び店内へ。
「ドコから来たの?」なんていつもの会話から始まり、「きび餅」を目指して来たイキサツを話します。

「焼いて食べればイインですよね?」
「???」
「少し炙って砂糖醤油で食べるんですよね?」
「バカ言っちゃいけないよ!焼いちゃダメダメ!そのまま食べるんだよ」と、試食をさせてくれると言います。
店の奥から出て来たそれは、きな粉がまぶされ明らかにフワフワとしているように見えました。
楊枝に刺して口に入れる前に間違いなく「別物」だとはわかりましたが、食べてみれば黒密のかかっていない「信玄餅」、清水あたりで食べるなら「わらび餅」によく似たものでした。
で、私が欲しかった「きび餅」の説明をしてみますが、「そんなものは知らない!」とのことで、この店には一切用がないことが判明しましたが、食べちゃった以上、「間違いでした」と帰る勇気もなく、店を出る私は紙袋を下げているのでした。

同名の「餅違い」に振り回された結末も、ちゃんと調べ直せば本当に欲しかった「きび餅」にたどりつけるわけで、その後通販で東京あたりから届いた「きび餅」は、湯河原の「きび餅」を配った先に改めてお届けさせていただきました。

届いてみれば話しは完結しますが、結局ドコの名物なのかはわからず仕舞いです。

オイシイ「きび餅」をご存知の方がいらっしゃれば教えていただければ幸いです。

ちなみに取り寄せた「きび餅」は絶品でしたよ。  


Posted by Nori at 20:29Comments(0)ぶらり旅

2014年10月01日

どデカかぼちゃ

いろんな事情が重なり、予定より早く収穫することになったハロウィンカボチャ。

まだ成長段階で小さかった時には夏休みの観察日記並みに八ヶ岳から写真を送ってきてくれたマスターも、「デカイ!デカイ!」と1週間ごとに倍々にデカくなっていくのを自身のコノ目で目視確認して以降は、「カボチャどんなですか?」と連絡しても、「元気だよ」「順調だよ」と言うばかりで写真を送ってくれることはなく、たぶんワルイ顔して肥料を盛りまくってるんだろう・・・そんなふうに思いながら早朝の静岡を野辺山に向け出発しました。

300キロもの肥料を清水から運んだ時は、アップダウンの多い山道の途中でクルマが大破する可能性を恐れる私を心配したミハラ先輩がついていってくれたのですが、前日に突如決まった収穫に先輩を振り回すわけにはいかず、マスターと相談の上、「2人で大丈夫だろ!」と、実際のカボチャの重量も安易な目測で、私はそれを信じるも信じないも「大丈夫」と言うんですから単独走行をすることになってしまいました。
ミハラ先輩には「10月4日に収穫する」とオファーしてありましたので、前回ひとりぼっちで置いていかれた奥さんも、「今度こそは!」と洋服を新調し、エステ通いを始めていたらゴメンナサイ。

ある意味通い慣れた一本道(国道52号線)も早朝であれば混雑することはなく、身延山を越えたあたりでは、稲刈り風景を楽しむこともできました。

南アルプス市に入る頃になり見渡す限り黄金色の田んぼの景色になると、アチコチの田んぼで稲刈りをしています。
家族なのか、親戚なのか大勢が各々の乾いた田んぼに入り、作業を手伝っている様子を見下ろすと、幼少時代に私達も祖父母の田んぼの稲刈りに借り出されたことを思い出します。

親戚一同がオニギリを持って一同に介していたあの頃は、盆暮れ正月に加え、田植えに稲刈りと、ほぼ数カ月おきに会っていたわけですから、私達のイトコ同志の現在に至る強いつながりは、祖父母の家族愛と共に、田んぼがつないだ「つながり」と言うこともできます。
ほのぼのとした田園風景の中に、フルーツ畑が加わり、道路に落ちた栗がクルマに踏まれ、もったいない最後が見え始めると、続く上り坂の先にはカボチャが待つ畑があります。
道路標識と一緒に設置された「ただいまの気温」は18℃で、27℃の下界からやってきた私は、やっぱり窓を開けてしまいます。
「なんで収穫しないんだろう?」と、道の両端に実るトウモロコシ畑は1ヶ月も前から完成しているんだと思っていましたが、未だに収穫しないのならまだ完成品じゃないんでしょうか?
すっかり刈り取られた白菜畑の細い道を抜けたら目的地です。
「そこからならあと1時間くらいで着くな」と私が身延あたりにいる頃に電話をくれたマスターは、1時間遅れで到着した私のクルマの音に気づき、雑草の生い茂る畑の中から首だけ出して迎えてくれました。
「アッチアッチ!」と指差す方向にクルマを進め、カボチャのある畑に横付けすると、カボチャがあるはずの場所にはマスターの軽トラが既にスタンバッていました。

ブログでも紹介してきた「大物」は胴回りが2メートルほどで、さらに大きくなっていました。
赤く色づき、ハロウィンっぽく仕上がっています。
「やっつけちゃいますか・・・」
そう言ってカボチャの両端に位置取り、「せーのっ!」と踏ん張りますがビクともしません。
「ダメじゃんっ!」
「いやいや、丸いから手をかけるところがなくて・・・」
朝露に濡れた表面を拭いて再度挑戦。
「せーのっ!」
マスターのかけ声にタイミングを合わせて腰を入れますがやっぱり動きません。
「ダメじゃんっ!」
「おっかしいなぁ・・・、転がすことはできたからイケルと思ったんだけどなぁ・・・」
そう言いながら、畑の向こうに消えていったマスターは、ガラガラガラガラと大きな音と共に現れます。
「コイツで持ち上げちゃうか!?」
ショベルカーのショベルの部分にネットをかけると、器用にカボチャを包み込みます。
「チョット離れててよ」
大の大人が2人掛かりでビクともしないカボチャなんですから、冗談無しで素直に従います。

ショベルカーの唸る音の割にはゆっくりゆっくり持ち上がっていくカボチャに感動しますが、私のクルマにはどうやって移動させるのか、新たな課題が見えてきます。
そして重量のわからないカボチャを清水まで運び切ることへの不安も同時に沸き上がります。

前途多難・・・。

苗の状態で渡してから、成長と共に度々ワルイ顔をするマスターは、やっぱりニヤけ顔で「どうにかなるさ」と前向きにショベルカーと共に姿を消している間、周囲に転がるカボチャをせっせと軽トラに積み込みます。
第2位の大きさのカボチャ以外を積み終わり、戻ってきたマスターと「せーのっ!」とチカラを合わせ最後の大物を荷台に積みます。
第2位ながら、なかなかの重量で、ギリギリオッケー。持ち上がりました。
結局マスターの軽トラと、私の軽のオシリ同志をギリギリまでくっつけて、段ボールで渡した「橋」をダマシダマシ渡す作戦で、すべてのカボチャの移動が終了します。
予報では御嶽山の火山灰の影響も心配された野辺山も視界は悪くなく、紅葉まではアトひと月ほどあるかな・・・?という八ヶ岳も、雲ひとつなくいつもの美しい姿を見せてくれました。
デカいカボチャを積み込んだ以上、いつものようにゆっくりしている余裕なんてあるはずもなく、12時の鐘を聞いた時点でサッサと清水にトンボ帰りです。
「アソコの坂は登れるか?、パンクはしないか?・・・」不安は尽きませんが、走るしかありません。
呑気に昼飯食べてる間にクルマにナンカあったらと考えると、そんなのはアト回しです。

いち早く、異状に気づけるようにBGMもラジオもなしで、開けっ放しの窓から聞こえるタイヤとクルマがきしむ音に集中します。
山道のカーブでは、極限までスピードを落とし、下り坂ではスピードを上げ、清水までの距離を縮めます。

ヘトヘトというか、放心状態で清水に着いたのは3時半。
予定より1時間遅れです。
ここで新たな課題に直面します。
「ド・ドーやっておろす?」
バカにもほどがあります。
重機を使って乗せたんですから、ひとりでなんとかなるシロモノではなく、結局多くの「愉快な仲間たち」の中から「弟」が選抜され、「ナンでオレ?」「自分で下ろせないもの積んでくんじゃねぇーよ!」とブツブツ言うチカラモチの協力で、とんだ「ぶらり旅」は終わりました。

2階のオフィスまで運ぶことができないことも決定しているワケで、大きなキャンバスを横目に、今年はいつものような彫刻や装飾は「なし」です。

重量さえわからずオチもない中、デカいだけをドコまでお楽しみいただけるかはわかりませんが、そういうことです。

毎年楽しみにしてくれている近隣の皆さま、ご理解ください。        


Posted by Nori at 08:33Comments(2)ぶらり旅

2014年08月27日

風林火山

あのアンジーさえも「元気が出る」なんて言っちゃう「タチアオイ」が町のアチコチに咲いていて、気にし出せばなるほどアチコチで見かけていた頃、甲府まで行く用事ができ、ソコまで行くならヤッパうまいソバでしょと、先輩に聞いてみると、「甲府かぁ。。。」と言いながら、天井を仰ぎ「専心庵・・・かな。。。」とソムリエ並みに答えてくれます。
「そーよ、そーよ、春チャンならソコがいいわ」と奥様も賛同します。
旅好きで美食家の先輩御夫妻は県内外問わず、絶景ポイントやその町の人達さえも知らないような食事処を知っていて、私の旅を助けてくれます。
今までにもいろんな場所やお店を紹介していただきましたが、ハズレたことはありません。
オフィスの近所のソバ屋で偶然会うこともあり、お互いに「オイシイ店だね」と、お気に入りの味が似てきたのかも知れません。

以前も書きましたが、ラーメン屋にしろソバ屋にしろ、「アソコはオイシイ」と紹介されて必ずしもオイシイと思えるお店ばかりじゃなく、人それぞれの好みがあるコトは承知していますし、もちろん私の舌ベラが、いわゆるオイシイと言われるオイシサを感知できるレベルでないことも隠しません。

静岡から甲府までなら1時間半・・・くらいかなと到着時間から逆算してみますが、1時間半の道中で何が起こるかわからないとなれば、やはり少し早めの出発を選びます。

国道52号線を一本道で北上することもできますが、用事がある以上、抜け道の多い富士朝霧ルートにしてみました。

朝霧高原を抜けるこの道は、ゴールデンウィークあたりの「芝桜」の時期には本栖湖付近で大渋滞になりますが、その時期をはずせば快適なドライブルートです。

放牧された牛や、青空に浮かぶパラグライダーを見ながら富士山の真横を通りますが、残念ながらこの日は富士山全体が雲に覆われその美しい姿を見るコトはできませんでした。
富士山が見える所に住んでいながら、家から見える富士山も、真下から見る富士山も大好きで、見る度にチカラをもらいます。不思議です。
頂上で、足元にある富士山もまた、達成感と共に偉大なる霊峰富士との一体感が感無量であるコトは言うまでもありません。

朝霧から甲府に抜ける精進湖では何かの大会なのか、たくさんの小舟が整列し、湖面に糸を垂れていました。
精進湖から甲府までの山道は、紅葉の季節もステキですが、新緑まぶしいこの時期もなかなかのモンです。
中央道の甲府南インターチェンジを右に見ながらまっすぐ進めば武田信玄公が鎮座まします甲府駅に突き当たります。

教えていただいた「専心庵」もナビによれば駅の近くのはず。
急ぎの用事でもないので、先にソバ屋の場所を確認しちゃうのは私のクセです。

目立った看板もなく、ナビに連れられるままクニャクニャと狭い道を右へ左へと進み、到着したのは住宅街の真ん中でした。
知らなきゃ絶対素通りだし、ナビがなければたどり着けそうもない「専心庵」は店の看板も控え目で、周囲の民家に完全に溶け込んでいる印象です。
開店前で、4~5台しか停められそうもない駐車場にはまだチェーンがかかっていました。
場所が確認できれば早々に用事を済ませ、それでもソバ屋の開店時間にはまだ早いと思えば、信玄公ゆかりの「武田神社」を攻めてみることにしました。
ゆるやかでまっすぐな上り坂の突き当たりに「武田神社」はありました。
見事な鳥居は立派な神社であることを想像させます。
みやげ物屋の軒先にはやはり「風林火山」と、「信玄もち」ののぼり旗が掲げられ、目隠しをされて連れてこられてもきっとココが山梨県だと言うことはわかってしまうんでしょう。
混み合っているとは言えない駐車場にクルマを停め、朱塗りの橋を渡り大きな石鳥居をくぐります。
宗教家ではありませんし無宗教ですが、その場所のシキタリには抵抗なく従い、拝殿で手を合わせます。
こうするのはキライではありません。

誰から教わったか忘れましたが、手を合わせ、願いごとをするのは「欲張り」なんだそうで、いつからか今日まで生きていることへの感謝と、「お邪魔します」とお伝えするだけにしています。

教えていただいた師曰く先様に「健康」をお願いしておいて、「暴飲暴食」ではムシが良すぎると言うわけです。
私ごときが「願いごと」など100万年と3日ほど早いんです。

境内には外人さん達の姿もありました。
彼らにはどんなふうに映るんでしょう。いやいや、私達よりよっぽど豊富な知識で日本の歴史的財産をお楽しみいただいているのかも知れません。

若い大学生のグループの姿もありました。
少々はしゃぎ過ぎな面は否めませんが、こういう場所を選んできたことに敬意を表し、目をつむります。

私はムスメ共々「過去にはこだわらない」タチなので、恥ずかしながら歴史認識は乏しいです。
信玄公がどれほどの武将だったのかさえわかりませんが、「宝物殿」が併設されているのならそれには興味があります。
地味なチケット売り場を通り、中へ進みます。
500年も前の先人達が作り出したすべては圧巻で、そりゃぁ宝物です。
ご本人達は、まさかこんな風に展示され、見せ物にするつもりなど毛頭なかったはずですが、私には理解できないような手入れもされているんでしょう。

経年劣化で朽ち果てていてもおかしくないようなものが、色鮮やかに飾られていました。

私の前に材料を並べられてもどう作ればいいのかなんて想像もつかない代物を先人達は、目的通りにカタチに仕上げています。

人を斬ったであろう刀には不思議と魅了されました。

特別公開されていた「孫子の旗」なるものには合戦の生々しいニオイのようなものを感じました。

ワケのわからないつたない説明で恥の上塗りをするよりは、ご自身で現地を訪れたりお調べになることをお勧めいたしますが、私はこの宝物殿から1時間ほど出て来れませんでした。
たぶん、興味がなければ5分以内で出て来れるんでしょう。
境内の水琴窟(すいきんくつ)や姫の井戸なんかに加え、甲陽武能殿と名付けられた舞台では「能」や「神楽」が定期的に演じられているようで、地域のみならず多くの人達に支持されている神社なんだと勝手に推測します。

わかったようなわからないような時間を満足し、「専心庵」に着いたのは1時前でした。

小さな駐車場は私が停めるスペースを残し、すべて埋まっていました。

作務衣(さむえ)姿で出迎えてくれたのは私より先輩に見える男性で、てっきりこの方が店主かと思えば、厨房の中にはソバを茹でる作務衣姿の方もいてホントのトコは不明です。

「初めてならセイロだろ!」とソバ好きの先輩達の教え通り、「せいろ」を選びたいのですが、そのせいろにはいくつも種類があり、迷っていると「こちらでどうでしょう?」と店員さんに決めていただきました。
「十割蕎麦です」と出てきたのは見るからに10割のイイ意味で無骨な蕎麦。
クチに入れなくても絶対おいしい見かけは、裏切ることなく楽しませてくれました。
続いて出てきたのは「二八蕎麦」で、最初に10割を経験しちゃっているので、風味と共にノドゴシも楽しい蕎麦でした。
蕎麦豆腐なる逸品もクズモチのような食感で、デザートといったところでしょうか。
こちらもなかなかです。
「蕎麦湯です」と出てきたのはドロドロと白く濁った濃厚なもので、立派な陶器のウツワに入れられていて、そこらの茹で汁とはまったく違うことは一目でわかります。
香り高く、麺ツユで割らなくてもかなりおいしくいただけました。
店内設計や調度品にこだわったコジャレタ雰囲気はないものの、「味一筋」で勝負している潔さも気に入りました。
この日の店員さんは私よりも先輩に見える男性ばかりでしたが、「味」で勝負しているんですから、「一輪の花」が恋しいなどと下世話な発想がよぎることもありませんでした。
「天ざる」好きの私としては、天ぷらがないのは少し残念な気もしましたが、メニューに無いなら、お考えがあってのコトでしょう。
店員さんにおいしく満足できたことを伝え、店を出ました。

時は1時半を過ぎた頃。
普段八ヶ岳へ向かう道中で、素通りしてしまうこの町にもう少しだけ留まる時間はありそうです。
駅前で見た大きな看板を思い出し、「昇仙峡」を目指すことにしてみました。
微塵の予備知識も無いまま、看板を追っかけて市街地からほどなくして山道を駆け上がります。
下りてくる対向車はどれも他県ナンバーで、きっと彼らも「昇仙峡」に行ってきたんだと思われます。

甲府市街を一望できる見晴し台?とかいう展望スポットからチラッと見えた町並みは絶句モンで、見える限りに埋め尽くされた「平らな町」は、盆地ならではの美しさで有名夜景スポットでもあると誰かに聞いたことを思い出します。
すぐにそれらしい景色に変わり、ドライブインのような大きな駐車場にたどりつきました。

目の前にはどこかで見たことがある渓谷がそびえ立ち、「昇仙峡」の入口です。
さっきまでピーカンだった空からはポツポツと雨が落ちてきましたが、青空もありにわか雨の中、背伸びをしながら渓谷に見とれていると、ニヤついたオヤジが近づいてきて、頼んでもいないのに、いきなり目の前の渓谷の説明を始めます。
要は、昇仙峡は渓谷美を楽しむ場所で、全長5キロほどの区間の中で、滝を楽しんだり、川のせせらぎに耳を傾けたり、自然の偉大さを感じながら散歩する場所のようで、クルマをココに置いて往復して来るもヨシ、折り返し地点となる上流までタクシーで移動して、片道だけ楽しんで戻ってくるもヨシ、と言葉巧みなタクシー運転手の営業トークを聞かされてしまいました。

「私の案内で、片道たったの900円。ガイド付きなんだから安いモンだよ」と、ナニが基準かはわかりませんが、雨粒も大きくなってきたので、運転手の言いなりになって片道だけ楽しむことにしてみました。

乗り込んだタクシーから見えた看板には、「強引な客引きにご注意ください」と書かれています。
「ねぇ、オレ、まさに今、強引な客引きに乗っかってる最中?」
「お客さん、気にすることはないですよ。あれはみやげ物屋が勝手に作ったニセ看板ですから・・・」

雨はゲリラ豪雨に変わり、絶景も雨の向こうに消えてしまいました。
決まりごとなのか、タクシーはところどころで停車しながら、渓谷の名前や由来なんかをガイドしてくれますが、窓も開けられず、「ふむふむ、なるほど」と合の手を入れるだけです。
自慢のロープウェーも「今日はやめた方がイイ」と私のぶらり旅に指示を出します。

10分もかからずに折り返しポイントとなる上流地点に到着しますが、雨はやむ気配もなく、遠くに青空は見えるものの、みやげ物やが並ぶ街道で雨宿りです。
水晶とかがとれるらしく、価値のわからない様々な石が、たくさんのゼロをつけて売られていましたが、今の私に必要なのは傘と長靴です。
15分ほど雨を見ていたでしょうか。明るくなり、霧雨みたいになった瞬間を見逃さず、歩き始めます。
長い階段を下り切る頃、近づく大きな音と共に現れた「滝」は迫力満点です。

連日の雨で、水量も多いのか、先日見てきた「福養の滝」とはまた違った美しさを見せつけます。
すっかり整備された遊歩道ながら、ゲリラ豪雨の直後とあって水たまりをよけつつ、切り立った渓谷を見上げつつ、なかなか忙しい散歩です。
木漏れ日と共に霧状のシズクが無数に落ち、幻想的な景観を作り出していました。

甲府市街地からわずかに30分。
隣り合う空間ながら、全くの別世界に心は踊ります。

クルマを残してきた駐車場に着く頃には、空はすっかり青空に戻っていました。
USJに突然現れたハリーポッターの世界もすごいらしいデスが、甲府盆地に現れる「昇仙峡」は長い時間をかけて自然が生み出したものだと考えると、一層神秘的と言うか、運転手が言っていた「偉大さ」みたいなものを感じずにはいられませんでした。

興奮気味に釜平の母さんに話すと、「今さら行ったの?」と、冷ややかな反応ですが、いつまでも美しいものを美しいと言える自分でありたいと、いずれまた時間をたっぷりとって「昇仙峡」を訪れることを誓うのでした。

長文にお付き合いいただきましてありがとうございました。そしてごめんなさい。         


Posted by Nori at 21:51Comments(2)ぶらり旅

2014年08月17日

南部の火祭り

母が亡くなり、3度目の夏を迎えています。
突然の死だったとはいえ、取り乱すこともなく淡々と過ごしてきた日々ながら、折に触れ、母を思い出す機会が増えたのは私も歳を重ねたからなのかと、なんとも言えぬくすぐったいような、それでいて命のはかなさに真正面から向き合えるようになったような気がします。
大事な先輩や友人があまり調子がよくない周囲を見渡せば尚更です。
母を思い出す時、時にはおいしい料理の前であったり、時には洗濯はしたもののキレイに洗い切れていない作業着を着る時だったり、外出先でどこかのお母さんが子どもを叱っている時だったり、酔っぱらって帰宅した玄関で靴を脱ぎ散らかしたままになっているのを見つけた朝も「あんたの足の向きはおかしいんじゃないの・・・」と言いながらひざまづいて靴を揃えている姿を思い出したりします。

8月15日。
母が生きている頃から20年近く、都合がつく限り私は必ず同じ場所を訪れています。
釜平の母さんに紹介されたのがきっかけだと記憶していますが、その日の私の居場所は山梨県の南部町(なんぶちょう)です。
以前にもブログで紹介させていただいたことがありますが、江戸時代から続く「南部の火祭り」というお盆に帰ってきた先祖の魂を町を上げて送り返す奇祭と評される「送り火のお祭り」です。
南部町に続く道も整備され、今では田舎町と言えば怒られそうですが、アクセスが良くなったことで4万人近い来場者があるようで、会場となる「富士川」の河川敷は50もの屋台も出店して賑わいます。
例年通りなら、最後の打ち上げ花火が始まる頃に、会場中に流れる読経の独特の雰囲気を味わいながら、富士川の両岸に設置された2メートルほどの108たいのタイマツが川面に映る幻想的なお祭りを楽しみつつ、山に囲まれた会場に打ち上がり、開いては夜空に消えていく花火の響き渡る音に満足して帰ってくるのですが、イイトコドリの冷やかし参加ではなく、全国的にも有名なこのお祭りのすべてを見てみようと、ネットの情報通りなら15時のスタートに合わせて参加してみることにしました。

ウチから南部町までは1時間ちょっと。
昼過ぎに出発すれば、のんびり行っても十分間に合います。
しかし50のオッサンは日常の習慣に逆らうことができず、朝6時には目が覚めてしまいます。
昼過ぎの出発までにはだいぶ時間があります。
雨上がりの静岡はピーカンで、だったらグズグズしている理由もなく、もう1時間ほど足を伸ばして野辺山のカボチャの観察でもしてくるかとクルマに乗り込みます。
11時前には野辺山の畑に到着し、成長著しい例のカボチャは遠くからもわかるほどまたひと回りでかくなっていました。
「これはヤバイ。。。」
見る度に大きくなるカボチャの周りには、先日届けた肥料をマスターが早速まいてくれたようで、さらなる栄養を吸収しているのか、ホントにすごい早さで大きくなっています。
最終的にはオレンジ色になる予定ですが、まだまだ黄色く、クルマに乗る大きさになった段階で収穫してしまう予定ですが、果たしてお望み通りに色づいてくれるのかは全くわかりません。
異常な成長ぶりに苦笑いのマスターが、「持ってけ、持ってけ」と、畑の一角にあるインゲンを摘みながら「ハルさんも採って!」とインゲン狩りです。
スーパーの袋一杯の大量のインゲンは、先日のさくらんぼよりよっぽど嬉しく、天ぷらや、カラアゲにしてポテトチップのようになるほど揚げたインゲンもうまいと珍しい?調理方法もゲットしてきました。
南部町まで戻らなければいけない私は、「たまには肥料を撒きに来いよ」というマスターに御礼を伝え、クルマのサイズの念を押し目的地に向かいます。

15時半。予報通り、少し黒っぽい雲が出てきた頃に南部町に到着しました。
席取りなどするつもりは一切ないのですが、まだ人出も少なく、メインの大タイマツの最前列に席を確保することになっちゃいました。
大タイマツをこれほど近くで見るのは初めてですが、塔婆を組んで作っているようです。

ゴツゴツした河川敷にレジャーシートを敷き、屋台で買い込んだ「アユの塩焼き」と「イカ焼き」と「トリ皮」をカルピスウォーターでいただきますが、「アユ」以外はどれもナマ焼けで、自身の抵抗力を信じ完食してやりました。

会場のアチコチではマジックショーやカラオケ大会、聞いたこともないプロの歌手の歌声の中、「投げタイマツ」なる伝統的なパフォーマンスも繰り広げられていました。
「投げタイマツ」はワイヤーの先に括りつけた火の玉をグルグル回しながら、小学校の運動会でやった「玉入れ」のように空高くセットされたカゴに投げ入れるもので、「火の玉」がカゴに入るとカゴが燃え尽きるまで見送るもので、遠くから見ていた私には少し暗くなった空に大きな火の玉が浮かんでいるように見えました。
長い長い待ち時間をなんとか過ごし切り、開会宣言も終わり、19時45分になると、いよいよ大タイマツへの点火です。
同時に108台の灯ろう流しが川(富士川)で行われるようで、どうやら連動した様々にはストーリーがあるように思えます。
大タイマツを取り囲むように町の子どもがタイマツを持って配置につくと、マイクを通してお経が始まります。

長い長いお経が読まれる間、無宗教ながらナニかゾクゾクする感じは不思議ですし、その昔、重要な水路として利用されていた富士川で水難事故にあった先人達の鎮魂と五穀豊穣の願いを込めた「火祭り」だと説明を受けていれば厳粛な気持ちで聞き入ります。
合図と共に点火されると、5~6メートルほどの大タイマツが一気に燃え上がります。
怖さすら感じるほどの迫力のある炎を前に「あんまり火を見てるとオネショするよ」と言う亡き母の言葉を何十年ぶりに思い出すのも不思議です。
大タイマツ全体が炎に包まれると、川沿いに設置された108たいのタイマツにも点火されます。
川面に映るタイマツは幻想的で、途切れることなく読まれ続ける読経に心が洗われる思いでした。

「お祭り」というよりは「儀式」のように感じた「南部の火祭り」は、なんだかイイ映画を見たアトのような気持ちになりました。

3000発と規模は決して大きくないながら、夜空を染める打ち上げ花火もすべて見させていただきました。
そういう歳になったのか、ホントにすばらしいお祭りだと思いました。
場所は違えど、母も送らせていただきました。

「ぶらり旅」をしていて最近思いますが、なんでもウワッツラだけのイイトコドリでは、その町の良さに触れることはできないような気がしています。

成田空港が賑わっていると聞きます。

日本にはイイモノも素晴らしい場所もたくさんあり過ぎて、海外の素晴らしいものに触れるのはまだまだずっと先になりそうです。  


Posted by Nori at 17:42Comments(0)ぶらり旅

2014年08月12日

大きなアレ

「はるさん!たいへんっ!アレが大きくなっちゃって・・・」
そう言ってイマドキながらLINEじゃなく、メールをくれたのは、八ヶ岳で畑を貸してくれている居酒屋「花吹雪」のマスターでした。
広大な敷地の一角を、お店でお客さまに提供する野菜ナンかをできる限り自家栽培する目的で畑にしています。
農民ではないマスターが育てる野菜達は無骨ながら、方向付けられることなく昔ながらの味を実一杯に蓄え、ナマでかぶりつく採れたてトマトに幼少期の夏を思い出します。
先日届けたハロウィンカボチャの苗が実をつけ、それがグングンでかくなっているとのこと。
その成長ぶりにマスターは「肥料がよかった」とか、「場所を変えたから」などと持論を展開しますが、「いやいやそれは400キロ級の実になる遺伝子を持った苗なんだ」と言うことをお伝えするために、数カ月ぶりに野辺山を訪ねてみることにしました。

8月に入り、カラダも暑さに少しは慣れ始めてきたとはいえ、連日の30度越えでは蒸し暑い静岡を脱出する気にもなってみます。
久しぶりに訪ねる野辺山で、マスターの成長とカボチャの成長を見てトンボ帰りも芸はないと、カボチャは後回しにして先日友人に教わった長野県の茅野市にある「御射鹿池(みしゃかいけ)」まで足を伸ばしてみることにしました。
新緑の時期と紅葉の時期が最も美しいと言われる幻想的な空間は「アクオス」なるテレビのコマーシャルで一躍有名になり、当時は遠方からも物見遊山が押し寄せ、渋滞ができるほどだったようですが、観光地になることもなくひっそりとその美しさで訪れる人を魅了し続けているんだトカ。。。

昭和8年に作られた御射鹿池は人工池で、農業用のため池のようですが、ナビに連れられ標高1528メートルまで、細い山道をくねりながら登ります。
私が時々お邪魔する原村の「カナディアンファーム(ケベック料理)」からも30分程度の場所で、さほど遠い感じもしませんが、「白樺湖まであと30キロ」なんて看板を見ると、静岡からは決して近い場所ではないと実感します。
駐車場?なんでしょうか、4~5台ほど車が置けそうなスペースには既に3台の車が駐車していて、池のほとりでカメラを構えている人がいれば幻想的な空間は目の前なんでしょう。

道路から1メートルほど高くなった畔に立つと、確かにインターネットで見た景色が広がり、水面に映し出された緑の山とピーカンの青空は、まさに鏡写しでした。
風が吹いたら水面は揺れ、その姿はさざ波の中に消えてしまうと聞いていましたが、この瞬間は風もピタリと止まっていて、すべてが逆さまに映し出されていました。
思えば、どこの池や湖でも同じ現象は起こるはずですが、きっと「ロケーションがいい!」ということなんでしょう。
小さくないとは言え、かといって驚くほど大きくもない「御射鹿池」の畔を場所を変えて何ケ所か撮影してみましたが、やはり皆さんイチオシのポイントからの写真がキレイに見えます。
30分ほど居たでしょうか。
次第に風の影響で水面が揺れだし、水面に映った景色は消えてしまいました。

花は散るから美しいんだと言った人がいますが、はかない自然の美しさに心が揺れる年頃になったのかも知れません。
弱いながら水面を揺らし続ける風がおさまる気配もなく、30キロ先の白樺湖を30年ぶりに目指してみることにしました。
車屋ケンチャンたちとスキーで訪れて以来です。

おぼろげながら記憶にある白樺湖は、もっと白樺の群生林の中にあったように覚えていましたが、若かった私は見たこともない銀色に光る白樺の数本に感動しただけだったのか、諸事情で景色が変わってしまったのか記憶とは全く違う景色でした。
白樺湖ももっと大きな印象でしたが、あいまいな記憶もまた、そんな年頃なのかも知れません。
目的もない白樺湖の周りをドライブしながら、「手打ち」と大きく書かれたソバ屋に入ってみました。
店内はほぼ満席で、メニューに並んだ値段を見ればさぞおいしいだろうと思える値段で期待も高まります。
で、届いた「天ざる」を食してみると、私の口はそのオイシサに到達していないらしく、まだまだ安価に楽しめるソバ屋で十分のようです。
「信州そば」とか「手打ち」とか「10割」とか、ソバもいろいろありますが、私がオイシイと感じるソバ屋さんは、機会があればいずれ紹介させていただきます。
少し残念な気持ちになり、本来の目的の野辺山まで戻ります。

中央道には乗らず、町の景色を楽しみながら1時間半ほどかけてのんびりの旅です。
ソバ屋に居た間中降っていたゲリラ豪雨もすっかり上がり、キラキラ光る山の間を走り抜けるのは大好きです。
やがて見覚えのある景色に変わり、きっと仕込みで忙しい時間に訪ねてしまったことを恐縮しながら駐車場にクルマを停めていると、いつもの笑顔で「居酒屋 花吹雪」のマスターが出迎えてくれました。
「見て見て」と、広大な畑に点々と浮かぶ黄色い花に向かうと、確かに大きなカボチャをあっさり見つけることができました。
30センチほどのカボチャに育っていますが、収穫は9月の末。
ここ2~3年のほぼ完成形の大きさで、収穫まではまるまる2ヶ月あるのに、この大きさはタダモノではないと直感できます。

鼻高々のマスターは、「どこまで大きくしちゃう?」とイタズラ顔ですが、「オレのクルマに乗る程度」が当然の答えです。

育て方マニュアルによれば、大きくしたいカボチャを決めたら栄養が集中するように他の実は採ってしまうようなのですが、コンテストに出すわけでもなく、できるだけたくさん収穫できるように「そのまま」にすることにしました。
20個ほどは収穫できそうです。

・・・あれから1週間。

知人が「肥料にどうぞ」とくれた「大豆のカス」が300キロ。
ウチに置いておいてもナンの肥料になるわけもなく、カボチャのドーピングに使ってみることにしました。
300キロもあれば、カボチャばかりでなく、マスターが育てている野菜達も喜ばせることができそうで、梅干しを山ほどくれたミハラセンパイを誘い、台風11号が接近する中、早朝の静岡を出発しました。
男同士の旅なので、お知らせすることはまったくありませんが、シラフのふたりが狭い軽自動車で肩を寄せあい、標高1500メートルまでエンジンをうならせながらの道中はなかなか新鮮で、奥様をうっかり誘い忘れたことを除けば、還暦おじさんとの旅も楽しいモンです。
10ばかり離れているだけで、教わることもたくさんありますが、決して押し付けない話術にまた惚れてしまいそうです。
畑に到着し、悲鳴を上げてきたクルマから早速「大豆のカス」を降ろし、ホッとする間もなく「異常事態だ」と言うマスターに着いていくと、先週見たはずのカボチャはほぼ倍の大きさにまで成長していました。
たった1週間。
何がどうなってンのか、確かに異常事態です。
デカすぎます。
さらに栄養価の高い「大豆のカス」を肥料にしちゃうのなら、果たしてドコまで大きくなるのかと楽しみな反面、持ち帰れる大きさを図るタイミングの判断も難しそうです。

成りゆきに任せるいつものスタイルで見守ってみましょうか。。。               


Posted by Nori at 21:38Comments(2)ぶらり旅

2014年07月25日

メイドのみやげ

メイドのみやげ・・・と言っても、秋葉原あたりのカフェでメイドさんから何かもらってきたと言う話しではないので、ご興味のない方は無駄な時間をお過ごしにならないようご注意ください。

最近の私は分刻みの過酷な仕事をこなしながら、「息抜き」の時間さえもスケジュールに組み込まれ、やっとのことで横になった布団の中で、起きる時間をセットする有り様です。
持論通りなら、「シアワセ」とは程遠い生活に、とっくにヘコタレているはずですが、ヘコタレるタイミングすらわからず、いただいた仕事を淡々とこなす毎日です。

だいぶ前の日曜日。
馴染みのお客さまに頼まれて、普通なら絶対届けないものをシッポを振って届けに行きました。
依頼主は若い女性です。若くない女性でもシッポは振ります。シッポ・・・?
お客さまの会社は安倍川沿いで、上流にはお茶で有名な川根町があります。
川根町には、以前にも大井川鉄道のSLを追っかけて訪れていますが、珍しく空白だらけのスケジュールで、息抜きの時間も決めていない晴天のこの日を逃すべきかと、特に目的もないままクルマを走らせました。
この道は、数週間前に「福養の滝」を目的地にした時に通った道ですが、分かれ道を分かれることなく川根に向かいました。
少し蒸し暑い日でしたが、新緑がまぶしく前回同様「アユ釣り師」たちが安倍川のあちらこちらで川面に糸を垂れていました。
仕事のついでとはいえ、急勾配の山道に軽自動車で来たことを後悔しますが、目的もない「ぶらり旅」では、小さな車が重宝することの方が多い気もしています。

この日もたどり着いた「千頭駅」ではSLにちなみ「きかんしゃトーマス」を本線で走らせる「トーマスフェア」を前に、入場料を払って記念撮影かナンカができるイベントが開催されていて、隣接する駐車場は満車状態でした。
わずかなスペースさえあれば停められる軽自動車なら、場所を選ばず最優先で停められます。
駐車スペース2台分をまたぐ大きなキャンピングカーの隣に駐車することができました。

駅の立ち食いソバ屋で、以前も食べたアッツアツの天玉そばを、汗をピューピュー噴き出しながらいただき、セルフサービスの水でカラダを冷やそうと試みますが、中の氷は溶け切っていて、常温水どころかお湯になっていました。
汗を拭き拭き、改札口からトーマスを覗き込みますが、ソコはちゃんと入場料を払わなければ見れない仕組みのようで、泣いて我慢することにしました。
小さな駅構内のおみやげも私の心を射止めるコトはなく、ぶらぶらと構内に貼られたポスターを眺めていると、「死ぬまでに一度は渡りたい徒歩吊り橋10に選ばれました」と寸又峡(すまたきょう)にある吊り橋のポスターに目が留まります。
「夢の吊り橋」と名付けられたその橋は、鮮やかなコバルトブルーの川だか池だかの上をまたぐ吊り橋。

何でこんな色をしてるんだか、天気のいい日のベストショットだろ!?と思いつつ、どーせどっかの観光組合かなんかが地元宣伝のために大袈裟にキャッチコピーをつけやがって・・・と、いつものチョイワルハルちゃんが囁きますが、寸又峡なら千頭駅からもそう遠くもなく、見上げる空のピーカンぶりから思えばベストショットの真偽も確かめてみるかと北上します。


看板通りに進めば迷うような道でもなく、ナビに頼ることもなく木漏れ日の落ちる山道を登るコト20分程度。
寸又峡の入口となる駐車場はやはり満車状態でした。
先に到着していたバイクの若者達が大きく手を振り、「ココココ」と指差す方向には小さなスペースがあり、難無くクルマを停めることができました。
ココまでは以前にもドライブがてら来たことがあります。
手書きで描かれた看板によれば、「夢の吊り橋」はもう少し奥にあるようです。

「登り坂か。。。」と決意し、歩を進めると「お気持ちだけでもご協力くださ〜い!」と叫んでいるおばあさんが、関所のような小屋の前で汗をかいていました。
小銭がジャラジャラと入る簡単な募金箱には、お札も何枚か入っていました。
「気持ちでイイの?」と100円玉を差し出すと、「ありがと」と「夢の吊り橋」までの地図が描かれたパンフレットをくれました。

「遠いの?」
「スグ近くよ。25分。」

「遠いなッ!」と食い気味にツッコみ、今にもニホンカモシカが出てきそうな遊歩道を歩きます。
渓谷らしく幾重にも重なる山にはいくつかの岩肌も見えますが、見下ろす景色は自分がかなり高い所にいるように感じました。
雨でも降ったのか、ぬかるむ道を不自由に歩きながら木の間からコバルトブルー(エメラルドグリーンっていうのかな)の池が見え始めます。正確には大間ダムなんだそうです。


「マジか!?」

ポスターで見た美しい風景はベストショットなんでしょうが、修正や合成ではなかったようです。
バスクリンでも入れたかのような湖面のブルーはホンモノでした。
もともと美しい水に微粒子が混ざることで「光の散乱現象」とやらが起こり、人間の目には青く見えるんだとか。
他の吊り橋がどんなものなのかなんて知らないクセに、世界最大級の旅行口コミサイトがまとめた「死ぬまでに渡りたい世界の徒歩吊り橋10」に選ばれるだけのコトは確かにあるな!と勝手にうなづいちゃうほど、山の中に突然浮かび上がる幻想的な景色は疲れた心を動かします。
足早に階段を下り、たどり着いた吊り橋では、「コワ〜イ〜♥」とか言って渡るのをためらうカップル達がイチャイチャしていました。
間近に見るコバルトブルーは一層美しく見えます。
定員は10名。
行楽シーズンには行列ができ、一方通行になるとか。

イチャつくカップルを追い越し、渡り始めると湖面までは8メートルで、体中のいろんな穴が閉まります。
吊り橋中央に近づくに連れ、揺れは大きくなり、両端のワイヤーを持つ手にも力が入ります。

ジャンプして吊り橋を揺らす子どもに錆び付いたガンを飛ばしつつ、景色を楽しむことなく足早に渡る私は「意気地なし」です。

全長90メートルを渡りきった向こう岸で、まだ揺れてるような錯覚のカラダに情けなささえ感じますが、振り返れば笑顔で渡ってくる子ども達やイヌに、その闘争心は開花し、行楽シーズンではないコノ時期にリベンジだと渡り直す決意をしてみます。
経験とはバカにできないもので、今度はさっきよりずいぶん余裕ができました。
景色を楽しみながら渡れます。

素晴らしい眺めは、私のボキャブラリーでは伝わらないと思うので、「死ぬまでには」是非渡ってみてください。
雨上がりだったり、天気の悪い日はコバルトブルーも拝めない場合もあるようなので、注意が必要みたいですよ。
静岡の山奥・・・奥深し・・・。 
メイドのみやげがひとつ増えました。              


Posted by Nori at 21:12Comments(2)ぶらり旅

2014年07月13日

チェリーピック

「春ちゃん、お疲れさまです。お願いがあります。来週の月曜日仕事休める?助けて欲しいんだけど。。。」と友人からLINEがあったのが6月末の金曜日。

これほどまでに低姿勢なお願いなら、よほどなんかあったのか?それとも以前から車屋ケンチャンが騒いでいる日曜日の午後3時から次の日を気にしないで、居酒屋チェーン店の飲み放題コースで飲み倒しちゃうのが決まったのか・・・。
こちらもLINEで「どした?」と聞くこともできましたが、「助けて欲しい」とまで言うのなら、ややこしい話しを太い指でちっちゃなボタンを苦労して押すのも面倒で、「どした?」と電話をしてみると、「実は・・・」と話し始めました。

何でも旅行会社である取引先とのおつき合いの延長線で、「さくらんぼ狩り」の社員旅行を押し付けられたものの、平日にみんなで旅行に行けちゃうほど儲かっている会社でもない上に、あまりに急すぎて参加できる社員がほとんどおらず、それならと仕事に影響の出にくい役職連中を集めて決行することになったのに、自分の直属の上司がどうしても都合がつかず、「代わりに行ってくれ」と業務命令が下ったのだそうです。
しかし、社長をはじめ、顔も見たこともない役職連中との旅行を楽しめる自信もなく、「友達を誘っていいか?」と聞いてみたら、「人数は多い方が取引先にも顔が立つ!」と、まさかの了承で、ヒマそうに見える私の顔が思い浮かんだトカ。。。
ドコの世界に人んチの社員旅行に参加しちゃうやつがいるんだ?と純粋な疑問を投げかければ「そーゆートコが春ちゃんジャン!」と当たらずも遠からず・・・。

そぉは言っても、さすがの私もノコノコと行っちゃうほど常識はずれでもなく、言葉を選びつつお茶を濁し、ウワサを聞き付けたヨーイチも「ありえない!ありえない!」とゲラゲラ笑い飛ばします。
ロスのイトコは「チェリーピックなんてステキね♥」なんて言いますが、どうにも盛り上がりに欠けるお誘いに、悩みに悩んだ末、迎えた当日。

月曜日、早朝7時45分。
勤務先に足早に歩くサラリーマンを見下ろしながら、私は友人と共にJR静岡駅南口で待つバスの前から2列目に座っているのでした。

バスのフロントガラスには「南アルプスさくらんぼ狩り」と大きく看板が掲げられ、呑気な私達を見上げるサラリーマンの皆さんの視線は、きっとそうじゃないはずですが冷ややかに感じます。
もっのスゴイ場違いなカンジは否めませんが、どうやら友人の会社の役員さんばかりではなく、取引先の旅行会社の社員も乗り込んでいれば、「ドーゾ!ドーゾ!」とテンション高く缶ビールが振る舞われますが、行き掛り上とはいえ、仕事までサボってただでさえ罪悪感満載の私は、まだ太陽の昇り切らない早朝からプルトップに指をかける勇気もなく、ひねれば飲めるペットボトルのお茶をいただき静かに拉致されます。

たぶん、学校時代を除けば、初めてのバス旅行。
トイレに自信のない私は、飲み食いなどできるはずもなく、前日から正露丸を飲んで挑んでいますが、不安は払拭されないまま、初めての休憩場所となる新東名の「駿河湾沼津SA」でトイレに駆け込む始末です。
スケジュール通りなら、バスは富岳風穴と鳴沢氷穴を目指すはず。
念入りに用を足して向かった先は、なぜかその先の「忍野八海」でした。

距離が伸びて、またしても「不安」が繰り返し襲い掛かる陣痛を呼び込み、到着した駐車場のトイレに爪先立ちの内股の若干小走りで、オシリをしめつつ、クネクネともがきながら駆け込み、なかなか味わえない快楽にうっすら涙を浮かべつつ身を投げ出すのでした。
念のために報告しますが、バスには立派なトイレがついていました。
ある意味かゆい所に手の届いたバスなのですが、知らない人達を押し退けてどんな代物や音やニオイが出ちゃうかもわからない個室で用足しをすることをあきらめた結果の話しです。

風穴や氷穴なら、ただの洞穴ながらもう何十年も御無沙汰でしたから多少は楽しみにしていたのですが、忍野八海は他県から訪れるお客さまナンかを連れて行くには絶好の場所で、富士山の真横を通り過ぎるドライブルートでは、朝霧高原の壮大な景色もお客さまを飽きさせることなく、「マ」ももつ地味ながら便利な場所なので、折に触れお邪魔する所です。
アレコレ見たい!と欲張りさえしなければ、入場料などもないので、山中湖や河口湖とセットにしてドライブ!なんてのもアリなんだと思います。

私はあまり得意ではありませんが、名物の「ほうとう」の店もたくさんありますし、まぁそこそこ観光地に言ったという実感は得られそうです。

おひとりさま、9千円という決してお安くない旅費ながら、忍野八海までの間、有料の場所にはただの一度も立ち寄らないのが気になりますが、バスガイドのノリノリのダジャレと、旅行会社の社員たちの常識はずれの騒ぎっぷりに付き合いながら「サッポロ勝沼ワイナリー」とやらで昼食です。
ワイナリーと言うからには、普段は見られない工場見学や試飲なんかがあるのかと思いきや、ワイナリーに隣接するレストランで食べ放題のような食べ放題じゃないバイキング形式のジンギスカンで、ご飯のオカワリも許されず、知らない人同志が丸く盛り上がった鉄鍋をつつくってのも、旅行会社の企画としてはオソマツに感じます。
時間を区切られ追われるように食べるバイキングは、店内に貼り出されたメニューを見れば3千円程度の設定のようですが、ワイナリーの横に建っているだけで、まるでワイナリー直営店の振る舞いですが、どうやら別モンらしいです。。。
で、幹事だかなんだか声の大きな人の号令で記念撮影。
ワイナリーやレストランを背景にするわけでもなく、バスの前に並んで「もっと詰めて!」と指示に従いますが、バスに貼り付いた看板通りなら「さくらんぼの木の前じゃねぇか?」とツッコミドコ満載です。

次に向かった先は「信玄もち」の製造工場で、バスガイドはデザート!と言い切りますが、こちらも見学はなく、アウトレットと称するワケアリ?信玄もちを売っている店に押し込められます。

ネットなどで話題になったりする「信玄もち詰め放題」は観光客の居ない月曜日にやってるはずもなく、財布の口を開けるコトはありませんでした。

そして、あおりにあおってメインイベントの「さくらんぼ狩り」。。。
どうしても言いたいなら、むしろコッチがデザートだろ!と愚痴は止めどなく出てきますが、ヨーイチが笑い飛ばしながら推測した通り、小さな農園のハウス内でチマチマさくらんぼを摘むだけのことでした。
久しぶりに口にするさくらんぼは確かにオイシイと感じますが、やはりたくさん食べられるものでもなく、ほどなくして飽きてしまいます。
この旅行で仲良くなったオバアちゃんはちっちゃくて、高い所のさくらんぼの方が甘くておいしいと説明を受けたのに、手の届く高さの「説明とは違うさくらんぼ」ばかりを食べているので、私が摘んで丸くした両手の中に入れてあげると「オイシイね」と言いつつ、私が続けて摘んでいるのを見ながら「もぉ十分、アリガト・・・」と、そりゃそーですよ。
「さくらんぼ狩り」だっていうのに、よほど場違いなセクシーレッグのハイヒール美女も、ヒールを畑にブスブス刺しまくりながらみんなの目を楽しませますが、それも長くは続かず、どちらさまも早々にハウスを脱出し、モクモクとタバコの煙を梅雨の合間の曇天の空に浮かべます。
「雨が降らなかっただけイイか・・・」と感想も大したものにはならないまま静岡を目指し、バスは52号線を南下するのでした。

旅行会社が企画したバス旅行は、人数が揃わなくて取引先まで巻き込んで決行したものの、スケジュールは何の説明もなく変わり、車内では遠慮のない酒盛りが繰り広げられ、アトちょっとでカラオケまで飛び出しそうになるバス旅行。。。
ハイヒールで来ちゃうような人達が企画してるんですから、思いでもクソもありません。
ぁ、クソはありました。。。
予定通り静岡駅には18時半に到着しました。・・・日帰り過ぎるダロッ!

おひとりさま9千円。
「オヤジ狩り」に合ってしまったような「さくらんぼ狩り」でした。


なかなかブログ更新ができず、皆さんにご心配をお掛けしておりますが、引き続きあたたかい目でまたお立ち寄りいただけたら幸いです。   


Posted by Nori at 19:13Comments(4)ぶらり旅

2014年06月12日

福養の滝

静岡には大きな川がいくつかあります。
静岡市内では、安倍川や興津川が有名で、鮎釣りシーズンを迎えると全国でもっとも解禁日が早いのが興津川らしく、全国から猛者たちが我れ先にと集まっているようです。

静岡みやげで定番の「安倍川もち」は、あくまでも「もらって食べる」ものであって、自分で買って食べたことは記憶にある限り一度もありません。
一番最近食べた記憶もついでにたどってみましたが、思い出せません。
信州の人達も「信玄もち」を買って食べないんでしょうか。。。

ヘロヘロのクッタクタで、やっと取れた休日ならカラダを休めりゃ良さそうなモンですが、回遊魚のごとく泳ぎ続けないと生命の危険を感じる私は、ローカルテレビで観た安倍川の最大の支流にあたる藁科川(わらしながわ)の源流を目指し、クルマに乗り込みました。
実際のところ、テレビだからこそ「源流探険」もおもしろおかしく興味をそそるように編集されていたのですが、「ココが源流!」と観た結末は、積もった枯れ葉の中からチョロチョロと湧き出るショボイ水で、山の中を何時間も歩いてたどり着いた割にはオソマツなカンジだったので、ソコは目指しません。
その手前あたりにある「福養の滝」が目的地です。
テレビでは「フヨウの滝」と言っていたような気もするのですが、ネットで見る限りどうやら「フクヨウの滝」の方が一般的なようです。
高低差135メートル、幅はわずかに4メートル程度ながら、滝の真ん中あたりの「段」がなければ日本一の滝!のように放送していたので、「それは見たいジャン!」と、思い立ったのでした。
オニギリを持って乗り込んだクルマのナビによれば、1時間40分ほどで到着できそうで、リフレッシュのドライブには丁度よさそうです。

静岡市も「オクシズ」とかいって、市内の山間部の自然の美しさをクローズアップしたPR活動にも力を入れていて、目指す「福養の滝」もその中のひとつになっているようです。
オニギリ片手にバイパスを下り、安倍川沿いを梅が島温泉方面に走る見慣れた景色は新緑も美しく、川の中では糸を垂れる太公望たちがアチコチでヒザほどまで川に浸かり静かにアユを狙っています。
「福養の滝」と書かれた看板を右折し、山道に入ります。
初めて通る道はいつもワクワクします。
対向車とスレ違うのにやっとの道幅もキライではありません。
木漏れ日の降り注ぐ杉林の間からはまだ雪化粧の南アルプスがチラチラと見え、相当標高も高くなってきた頃、突然視界が広がると大間(おおま)集落です。
屋根の上の煙突からユラユラと白いケムリが出る風景はやはりほのぼのとします。

目の高さと同じほどの南アルプスまでは、いくつもの山が重なり合い、絵に描いたような見事な景色で一息ついて、さらにクルマを走らせます。
と、すぐさま「路肩崩れにより通行禁止」と、道をふさぐようにバリケードが設置されていました。
ナビによればアト1.7キロ。
歩いても行ける距離なのに、通行できませんでした。
ココまで来ての「通行止め」にはかなりダメージを受けますが、通れないなら仕方もなく、ブツける先のない怒りを山に置いて下山しました。
湯ノ島温泉に隣接する食事処で、行き止まりで残念だった経緯を話すと、昼食の準備に追われているオバさまたちが、「ユキオさんチの横の道は上がれなかった?」と、私が会ったこともないユキオさんチの横に抜け道があることを教えてくれます。
しかし、それも確かな情報ではないらしく、だったら戻る気にもなれず、「またにするよ」と帰ろうとする私に、「雨上がりの滝は水量も多くて見事よ」と教えてくれます。

目的を果たせないまま帰路に着くと、小さな「道の駅」のような建物が賑やかに物産展を開催していました。
村で採れたと言うヨモギがふんだんに入った金つばや、独特の食感のタケノコ入りの味噌汁を振る舞っていただきました。
美人なオネエさんに呼び止められ、種類の違うお茶農家自慢のお茶の試飲もできるというので、なんだか聞き慣れないお茶を選ぶと、急須と茶わんをあたため、待つこと2分。
オチョコよりひと回り大きな茶わんに注がれた「ぬる目」のお茶を味わいながらいただくと、「どう?」と聞くので、「お〜い!お茶みたいだ」と率直な感想を失礼ながら伝えました。
私がオイシイと思うお茶とは別物の自販機で売っているような味に、その場を離れるとオネエさんが追いかけてきて、「さっきのは出がらしでした!」とそれはそれで失礼な報告をされました。

いくつものお茶の出がらしをまとめた急須から見事にブレンドされたお茶なら、あながち「お〜い!お茶」でも間違っていなかったようで、「今度こそ!」と注がれたお茶は、茶所らしい甘味も渋みも絶妙な一杯でした。
茶所の静岡人と言っても、日常的にこんなにオイシイお茶は飲めませんが、日々飲むお茶と逸品の差ぐらいわかります。
手モミ茶の実演なんかも子ども達の興味を引いていました。

アレから2週間。
どうにもユキオさんチの抜け道が気になり、雨上がりとなった週末に再度「福養の滝」を目指してみました。
通行止めの手前の大間の集落に着くと、広い庭先で木クズを燃やしているオネエさんがいたので、「福養の滝」へ行きたい旨を話すと、確かに抜け道があることを教えてくれました。
ただし、クルマ1台がやっと通れるだけの道は狭く、鋪装はされていないし、ガードレールもない上に、誰かンチの私有地を通ることになる条件付きです。
前方からクルマが来ちゃったら、どちらかがバックして譲り合うしかない道なんだとか。
「このクルマなら行けそうよ!」と、私の軽自動車を見ながら「くれぐれも気をつけてね♥」と念を押します。

怖い優しさに後押しされ、引くに引けずに言われた坂道を昇って間もなく、鋭角に曲るさらに急な上り坂に遭遇します。
切り返しを繰り返せば行けそうな予感。。。
もちろんソコにはガードレールはありませんし、眼下に広がる美しい景色に落ちてしまえばイチコロだと察しはつきます。
クルマを下りては生死の境目となる距離を確認してはチョットだけ進み、ビビり過ぎる自分の小心さに心が折れそうになります。
やっとの思いで方向が定まり、一気に昇ろうとすると急坂過ぎて今度はタイヤが空回り。
やっぱり生死の境界線ギリギリまで下がって、助走をつけて昇るしかありません。

考えてみれば、鋪装されてる本来の道が崩落して「通行止め」になっているからこんな状況になっているわけで、鋪装されていない道と言うよりは、山肌そのものと言った方が正確な崖ップチが崩壊しない保障はドコにもありません。
しかも雨上がりできっと崩れやすい。。。
まさにそんな場所で、いつまでもグズグズしているヒマはなく、ホントに死ぬ覚悟でアクセルを踏み込み切り抜けます。
難所はいくつも続き、朽ちた小屋や切り倒された木を見れば、人の気配は感じるものの、人影はなく、事もあろうに一番つながるソフトバンクのはずなのに、「圏外」であることが判明すれば、私は人知れず土に還る可能性も出てきました。
クルマの両サイドが生い茂る枝だか葉っぱだかでキーキー言ったって、それらを避ける道幅でもなく、うっかりハンドルを切れば「死」への脱輪です。
ブレーキを目一杯踏んで停まっているはずなのに、ズズッと滑るカンジも最悪です。
たぶんいくらかは痩せたと実感できる頃、本来の県道に合流できました。
また帰りもあの道を通るのかと思えば、スッキリとはしませんが、とりあえず目的だけは果たせそうです。
「福養の滝入口」と書かれた看板の先にある駐車場には1台のクルマも停まっていませんでした。
案内板によれば、「福養の滝」は駐車場から200メートル。
アト少しです。
なんて鳥だか、聞いたことのナイさえずりの先に聞こえてくる水の音が近づいてくると、獣道のような山道を歩く足も軽く感じます。
「恐怖の抜け道」を教えてくれたオネエさんが言っていた「さっき、歩いて昇っていった人がいる」という人が大きなカメラで滝を撮影していました。
その人を目印に歩を進めると、見上げるほどの「福養の滝」が出現します。

「確かにスゴイ。。。」

リベンジしてたどり着いたからか、恐怖の抜け道があったからか、ナカナカの感動モンです。
カメラを担いで私に挨拶してくれたおじいさんは、定年後「滝めぐり」を始めて、昨年だけでも県内外の60ケ所の滝を見てきたと話してくれました。
その中でも上位に入る美しい「滝」だと絶賛しながら、「福養の滝」は本来は「大間の滝」と呼ばれていた由来や、このあたりには紹介されていない美しい滝がいくつもあることを話してくれました。
私はココに来るのに死ぬトコだった話しをしました。

マイナスイオンを浴びまくり、ゆっくり過ぎていく時間に大満足した私は、歩いてココまで来たおじいさんをクルマに乗せて帰ることもできましたが、「もう少しいるよ」と言うので、お別れしました。
恐怖の抜け道でまた痩せて、少し下の集落にある「朝日滝」もイイ滝だよとおじいさんが教えてくれたのでハシゴをしてみることにしました。
おじいさんの言う通りの道に入り、だんだん道も細くなって心細くなる頃には、一番つながるスマホもなんとか電波をつかまえ、それでも大体の位置関係は知っておこうと検索してみると駐車場から徒歩40分とか。
自殺志願者でもあるまいし、人がいるかどうかもわからない山の中をひとりで歩く勇気もなく、もう少しチャンと下調べや準備をしてから出直そうと、しばらく「滝めぐり」は続きそうです。
「朝日滝」に向かう途中では、ニホンカモシカと思われる動物にも遭遇しました。
「オクシズ」・・・
なかなかオモシロイ探険場所を見つけました。  


Posted by Nori at 20:13Comments(2)ぶらり旅

2014年04月02日

伊豆の小あじ寿司

駿河湾に面したこの町で、クルマで走れば15分ほどで潮風を感じることができます。
もう少し足を伸ばせば小さいながらも海水浴場もあり、それはアノ三保の松原(羽衣の松)からも遠くありません。
海水浴場に隣接するカタチでヨットハーバーというよりは、ヨットやレジャーボートの発着所的なマリーナもあり、その周辺では通年マリンスポーツを楽しむ人達で賑わいます。

もぉ20年近く前になりますが、サラリーマンだった当時、会社が所有する10人乗りほどのヨットもそのマリーナにありました。

週末になると、前夜の繁華街でお友達になったお姉さま方を誘い、日常離れした優雅な時間で駿河湾を満喫していました。
会社が所有していた以上、もちろん主な目的はお客さまの接待用ということになっていましたが、仕事を早めに切り上げ、海上花火を文字通り海上から楽しんだこともありますし、幻想的な夜光虫をキラキラとかき分けながら夕涼みしたこともいい思い出です。
船舶免許をもっているのは社長だけでしたが、クルーとして呼ばれる私達もいつしか操船できるようになりました。乗用車と違い、なんかそんな感じでいいらしいようです。ダメだとしても20年も前の話しなので、大目に見てください。
ムスメたちも何度か乗せていただきましたが、覚えているかどうか水面を静かに進むヨットの中で船酔いに苦しんでいたので、彼女たちにとってはあまりいい思い出ではないのかも知れません。

大平洋に向かって口を開けるように位置する駿河湾で、地図上で言えば三保のある左側から西伊豆のある右側までまっすぐ突っ切り、戸田や土肥あたりまで行っては帰ってくるそれだけの時間ですが、片道3時間余りの旅を交代で操船しながらいつでも真っ黒に日焼けをしていました。
社長曰く、何の保障もない海の上で、風だけを頼りに安全に楽しく航行することは、日常では味わえない精神的な訓練だと、よく言っていました。
風がなければ進まないヨットでは、風の道や強さを読んだり、雲行きすらも読み違えればたちまちサバイバル開始となり、命に関わる危険な状態にさらされることもないわけではありませんし、急変した天候にそんな経験もしました。
もちろん補助的なエンジンはついていましたが、燃料がなくなればそれまでなわけで、無いものと思って操船することを叩き込まれました。
台風のアトの決して穏やかではない海上には浮遊物も多く、海草などがプロペラに絡まれば水深2500メートルと言われる位置であろうと、即座に駿河湾に飛び込み船底に潜り込んで船を最善の状態に改善します。
今思えばとてつも無く恐ろしいことをしてきたなと思いますが、その立場になればきっと誰でもできることなんだと思います。
一方でイルカの群れや小型ながらクジラに出会うこともありました。
水面を颯爽と飛ぶトビウオなんかは見慣れた光景でした。
3時間以上もかけて着いた西伊豆の小さな漁港から上陸し、民宿や昔ながらの食堂の「海の幸」で腹を満たすのも楽しみでした。

昨日、思いがけず三島方面に行くことになり、土肥にある20年も前の馴染みの店を目指してみることにしました。

ナビによれば1時間ほどでしたが、陸上から行くのはコレで2度目ながら、やはり妙な気分です。

伊豆縦貫道の全線開通で既存のバイパスとの連結もスムーズで、行楽シーズンには混雑する伊豆のイメージは様変わりしていました。

人工的な桜の名所ではないものの、山のアチコチには色とりどりの見事な桜が満開になっていて、民家もコンビニもなく退屈なはずの山道も案外楽しく贅沢なドライブができました。

ナビは目的地までアト5分と教えてくれますが、海岸沿いはすっかり整備され、見違える町並みに昔ながらの姿のままでノレンを出している食堂に着くとタイムスリップしたようです。

インターネットの普及ですっかり有名店になっているようですが、絶品の「こあじ寿司とカサゴの味噌汁」の組み合わせは昔のまんま、落ち着いちゃいます。
腹も満腹。

アトは帰るだけの急ぐ旅でもないので、年甲斐もなく「恋人岬」なんて所にも寄ってみました。
車屋ケンチャンやヨーイチたちと来たことがあったかなぁ。。。
腹ごなしにと、海に突き出た岬へと歩を進めてみますが、鋪装されているとは言え、アップダウンの山道の上に、遠い。。。
何度も心が折れそうになりながらウシロからナンだか大騒ぎをしながら来る中国人の団体に負けてたまるかと、モラルのある大和魂で歯を食いしばります。
カランカランカランカランと下品なほどに鳴らしまくっている鐘の音が聞こえてくると、目的地は近そうです。きっと鳴らしているのは中国人に違いありません。
「鐘の主」がナニ人だかはわかりませんでしたが、「鐘」から岬の先端まではさらに階段を降りていくようです。
降りた以上、昇ってこないといけないわけですが、覚悟を決め前進です。
中国人の団体さんがいなければ、とっくにヘコタレていたはずです。
こんなに過酷ならきっと覚えているはず。間違いなく車屋ケンチャンやヨーイチたちとは来ていないはずです。

海も穏やかで天候も悪くないのに、ガスがかかっていて富士山は見えませんでした。あくまでもウチワの伝説的なウワサですが、鐘を鳴らすと悪いことが起こるらしい。。。デス

大人なので、鳴らしたい衝動を抑えつつ、汗だくになってクルマに戻り帰路に着きます。
わずかばかりの干物と、今年最後の1枚だという貴重な「なのり」をゲットし、何キロも続く見事な千本松原を横目にゆっくりのんびり清水に到着しました。  


Posted by Nori at 14:00Comments(2)ぶらり旅

2014年02月18日

タイムスリップ

急ぎの仕事から開放され、ポッカリあいた時間。
寒い寒いとオフィスのエアコンの温度を1度上げるかどうか悩んでいるのならと、気分転換も兼ねて、少し外に出て歩く気になってみました。
日常的な不眠症も、この時期に限っては、眠れるはずの多くの人達が「冬の運動会」を観戦しているようで、私ばかりが寝てないわけじゃないと心強い限りですが、先日行った建国記念日のお参りで慣れない散歩をした時にはぐっすり眠れたこともあり、歩く動機に結びつきます。
それにしても、わずかなきっかけで眠れなくなってしまうのは本当に困ったモンです。

オフィスを出れば、さすがに寒暖差を感じるものの、国がやっと重い腰を上げ対策本部を作ったと報道されるような雪のカケラもない静岡で、目標を県立大学に定め、歩き始めます。
町並みが霞んでいるように見えるのは、年末から違和感のある目のせいかも知れませんが、誰と約束をしているわけでもない散歩なんて何十年ぶりだろうと、アタマに浮かぶモノもナンにもなく、見慣れたはずの景色が変わっているのに驚きながら歩いてみます。
いつもは近所のおじさんがお裾分けをしてくれていた夏のビワも、木が根こそぎ伐採されてりゃ「そりゃ届かないわなぁ。。。」なんて思っていたら、あったはずの家もすっかりサラ地になっていて、ナンて名前の人が住んでいたのかも思い出せないほど、街を歩いていないことに気づきます。
せっかく歩いているのですから、いつもクルマで走れる道を避け、古い思い出をたどりながら「確かこの道は・・・」と、石ウスが金魚鉢になった家の前を通れば、40年も前には通学中にうっすら張った氷を意味もなく割って通ったことを思い出したりします。

裏道だったはずの道もすっかり整備され、これなら消防車も入って来れるなとか、ひとり勝手に納得しながら、キレイになった町並みにヒトシオの淋しさも感じました。
近道でもあった裏道に、タイムスリップでもしたかのように当時の映像が鮮明に重なるのは不思議なカンジですが、曲がりくねっていた道がまっすぐになっていると、帰宅時間を知らせてくれたなんとも言えない味噌汁や魚を焼くニオイも、ナニを煮たのか大きそうな鍋をガラガラと洗う音も、今はしないんだろうと、どっちがイイ時代なのかよくわからなくなったりします。
建築中の住宅もいくつも見つけることができます。
人影がないことを確認し、こっそり忍び込んでは食らいついていたイチゴハウスも健在でした。アノおじさんも元気でいれば相当なご高齢のはず。
おじさんがいてくれれば「来たな!ワルガキ!」と、イチゴのおみやげもゲットできたのかも知れませんが、今日も人影はなく少しばかり野心に火がつきます。
かつては子ども会や学校の持久走大会で難無く走っていた県大に続く上り坂も、50のオッサンには心臓破りの坂となります。
30分ほどで県大に隣接する芝生広場に到着しました。そぉいえばタバコも持ってこなかったし、財布も置いてきちゃいました。

平日の昼間か・・・。

誰もいない芝生広場の隅にあるトイレの前の噴水みたいに出てくる水をズズズといただき、もぉ30分歩く覚悟を決めてみます。
財布も忘れたんじゃぁ、ズルをして私鉄で帰るわけにもいきません。
寒くないワケでもありませんが、覚悟を決めて歩き出せば、陽射しもポカポカとあたたかく感じ、幼少時代とは変わってしまった散歩道もキモチ良く感じます。

かつて住んでいたマンションを覗き込みますが、今でも遊んでくれる先輩の姿ももちろんなく、それでいて「来ちゃった♥」と言うほどの用事もないワケで、速やかにオフィスを目指します。
雪害で立ち往生したり、影響で困っている方たちもいる中、静岡(清水)は少しだけ春の気配です。

このままあたたかくなっちゃうのであれば、我が家はこの冬を18リットルの灯油で乗り切れたことになります。

イヌの散歩をしている父と同世代の先輩が合流し、すっかり変わった町並みのコトを話すと、「そりゃぁ怠慢過ぎる」と喝を入れられてしまいました。
毎日朝晩1時間ほどのイヌの散歩をしていると言う先輩は、街の隅々まで知っているとさすがです。


思いがけず贅沢な時間を過ごした青二才は、オフィスに戻り、エアコンのスイッチをオフにしてみました。   


Posted by Nori at 12:05Comments(0)ぶらり旅

2014年02月12日

ただの祝日

「ソチ」一色ですか?
恵方巻きだの、バレンタインだの・・・ご苦労さまです。
建国記念日(建国記念の日)だった昨日、ムスメたちもせっせとお仕事で、家からちょっと離れたお寺にお参りに行ってきました。
私はこの日は「心静かに手を合わせる日」だと祖父母たちから教わってきました。
意味もよくわからない小さな頃からずっとそうしてきました。
右でも左でもない私は、それ以上のコトはしませんが、この日に限らず我が家では国民の祝日には国旗が掲げられます。

正しいとか正しくないとかそういうことではなく、そういうモンだと今日まで続く我が家の習慣です。
どこの家でもそうしているわけではないので、特別に感じるのはそのせいかも知れません。
アメリカの独立記念日ほど盛大に祝うことは決してありませんが、口には出さないものの弟たちもきっとナニか感じてるんだと思います。
連休にならない「祝日」を、神武天皇云々はともかく、マスコミがこの日を「ただの祝日」以上に取り上げないのも風潮に影響がないとは言えないのかも知れません。

お寺に隣接する大型の駐車場もガラガラで、本堂に続く参道には、きっとひと月前なら並んでいたであろう露店商の姿もなく、敷き詰められたジャリの音もまばらです。

建国記念日の過ごし方はよくわかりませんが、小さな子どもを連れた家族連れの参拝者たちを見れば、もしかしたら祖父母たちが私に教えてくれたようなことがあるんじゃないかと、少しくすぐったい思いでした。

建国記念日とはいえ、初詣でもなければ、寄ってたかってバカ騒ぎするような太巻きでもチョコでもない日に、無邪気に走り抜けていく子どもたちが大人になってこの玉砂利をまだ見ぬご子息の手を引いて歩く姿を想像すれば、樹齢どのくらいだろうかと思えるほどの立派な大木が一層厳かに見え不思議な気持ちになります。

寒波の真只中だと聞いていたはずなのに、延々続く参道を歩き、お参りを済ませた私は少し汗ばんでいました。

見事なお寺の造型を私は好みます。
コンピューターもない時代の先人たちが、地震でも壊れない構造物を作るだけではなく、美しく組み立ててしまう想像力と技術の高さにはひれ伏しますし、重機も建材を運搬する効率的な道具もない時代の偉業はもっと評価されるべきのような気もします。

最近では神社仏閣に限らず、国宝や重要文化財を壊したり、イタズラ書きをしてしまう不届きモノもいるようですが、チョコや恵方巻き以前に伝えなければいけないことがあるように感じます。

御多分に漏れず、そのお寺のトイレには目を疑うイタズラ書きが、関係者が一生懸命消したであろう上から書かれていました。
「愛国心」と言えば大袈裟なのかも知れませんが、好き放題でヤンチャ三昧の私がこんなことを綴っているのですから、正しいようなことを言う人達はもっとわかっているんだと思います。

ガラにもなく引いた2番札の「おみくじ」は「小吉」でした。
また微妙なカンジですが、今の私ならそんなところなんでしょうか。
私のことですから、まさかの「ぽん吉」や「かん吉」なんて居酒屋の名前みたいなものが出ても良さそうなものですが、ソコはソレTPOってヤツなんでしょう。

1時間チョットのお参り。
今さら神頼みでもなく、生きてることの御礼を言って清々しいキモチでお寺をアトにしました。

車中心地よく揺れるアタのガムランボールの音色に癒されながら、夕飯ドキの清水に帰ってきました。         


Posted by Nori at 15:59Comments(0)ぶらり旅

2013年10月11日

収穫がてらの旅5

ロマンティックな星空とはほど遠い長い夜を呑んだくれて過ごせば、当然迎える朝が爽やかなはずもなく、小鳥たちのさえずりに起こされた8時半。
釜平の母さんも、泊まったこともないクセに、遠路はるばる食べに来ると言う自慢の朝食のタイムリミットまであと1時間。
シャワーもいいか。。。
歯磨きもアトにしよ。。。
寝グセだらけの髪の毛も・・・イヤイヤ、一応直すか。。。

二日酔いのオトコがゾンビのような顔でウロツクにはあまりにも不釣合いのホテルの中で、フロアーに出るには少しだけ気合を入れてドアを開けます。

ちゃんとした人たちはとっくに食べ終わったであろうフロアーには人影はなく、今頃食事に向かうのは私だけ。
見覚えのあるスタッフに迎えられ、もうひとつだけシャキッと気合を入れてレストランに入ります。
バイキング形式のレストランでは、6割ほどの席は埋まっていて、皆さんが選ばなかった外の景色の見にくい席を選びます。
皿を片手に和洋ゴチャゴチャに食事を盛り付け、普段は飲みもしない牛乳をテーブルに運べばどこの国の朝食かわからない食卓の完成です。

見たことのないシェフに、目玉焼きを頼むと、目の前で焼いてくれるのですが、それなりのお歳に見える割に新人サンなのか、手元がオボつかず、いつもならピカピカに出来上がるはずの目玉焼きも、呑み疲れた私同様くたびれたカンジでした。
オイシイのかどうかもよくわからないまま、旅の楽しみのひとつである朝食を済ませ、部屋に戻ります。
それでもナニかが胃袋に入れば、多少復活もできて、わずかな荷物の帰り支度を一瞬で終えると、見事に晴れ渡った爽やかな空気の中、帰路に着きま す。

「そぉだそぉだ、鳥、鳥・・・。」
生きた鳥を食べれる状態にする作業をしている人間に電話をすると、「もぉ、やっちゃってますよ」と、鳥と格闘中なのか、息遣いの荒いマスターが ハァハァしています。
「すぐ行きます」と電話を切り、到着すると広大な畑の真ん中で刃物片手に薄笑いするマスターが何かを指差します。
指し示す方向には第1段階を終えたカモ鍋の具材が積み上げられていました。
そのスグそばでは首にヒモをつけられたクワックワクワックワと鳴く生き物が順番待ちをしていました。
勘ですが、閉じられたダンボールの中でも同じような鳴き声が聞こえるので、まだまだいるものと思われます。
人間が生存していくためとはいえ、必ずしも食べられるために生まれてきたわけではない生き物を目の前にして、かなりショッキングな現場ですが、私たちの見えないところで食材に加工される牛や豚だって同じ事。
昨日食べた鶏だって、朝のタマゴだって命あるものをいただいて、満腹だとか、満足だとか言っているのは事実です。
ヒモにつながれた2羽を例え自然界に帰してあげたとしても、いずれ何らかの形で淘汰されてしまうことを思えば、彼らのシアワセがナンなのかなんて 答えを探せるはずもありません。

幼稚園の頃までは、米には7人の神様がいるだとか、食べ物に宿る命をありがたくいただくことへの感謝の気持ちを込めて、手を合わせて「いただきます」とやっていました。
100グラム80円台の豚肉を「今日は安いねぇ」と命への感謝を忘れ、安売りするスーパーに感謝している日常は少し違っているのかもしれません。
「飼ってみるか?食うか?」と、茶化しているように見えるマスターですが、雪山で遭難したおばあさんを身ひとつで救出した経験を持つマスターは、 きのこにしろ、カモにしろ、命の尊さを一番わかっている人なんだと思います。
御礼を告げ、清水に進路を向けます。

通い慣れた八ヶ岳で、今さらおみやげでもないのですが、諸々お世話になっているケンチャンに「なんか買っていくか。。。」と思い立つものの、桃やブドウはそろそろ終わり頃だろぉし、名物の干し柿にはまだ早い。。。
サービスエリアで手に入る「桔梗屋の信玄餅」も目新しくもありません。
おぉ!それならきっと桔梗屋のアンテナショップもあるかもしれないから、そこで信玄餅じゃない桔梗屋商品の中に面白いものがあるかもしれないと、 スマホで検索してみると「そりゃぁありますよ!」と言わんばかりに現在地から最寄の桔梗屋ショップが数件ヒットします。

どうやら見学できる工場なんかもあるようですが、どうなることやら最寄の桔梗屋ショップをナビに入力し、右へ左へ従います。
知らない市街地を走るのは少なからず緊張します。
ナビがあっても先の見えない知らない町で、右折車線があるのか、700メートル先の曲がり角がわかりやすいのかは、行ってみないとわからないこと も多く、慎重になります。
目指した1軒目はコンビニになっていました。
こういうことも必ずしも最新情報ではないナビ頼みの旅ではないわけではありません。

次の店舗を目指し、1軒目から10分ほどの位置に桔梗屋のアンテナショップはありました。
小さいお店ですが、和菓子屋さんらしく品のいい落ち着いたたたずまいで、店内に入ると早速お茶とお菓子が振舞われます。
お馴染みの信玄餅ばかりでなく、やはりたくさんの和菓子を取り扱われていました。
和菓子屋の友人もいますが、ただの饅頭でも良さそうなお菓子に、ひと手間もふた手間も加え、見てるだけで楽しくなったり穏やかな気持ちになれる和菓子のようなものは日本ならではなのかもしれません。

ショーケースの中に「プレミアム桔梗信玄餅吟造り」と言う商品を見つけました。
見た目はいわゆる信玄餅なのですが、甘さは半分、厳選された素材なのだそうで、お値段も多少割高です。
ケンチャンにこの素材のおいしさがわかるとは思えませんが、きんつばや塩豆大福を買っていったところで、よりありがたみを感じないんでしょうから、プレミアムって書いてあれば上等な信玄餅だということもわかるだろうと、決めました。

今回の旅は本当にいろんなことが体験でき、染み入る思い出に、日々の生活でさぞ疲れていたんだろぉと実感しました。
今年は寒暖の差も大きく、紅葉もキレイだろうと町の人たちも言っていました。

これからますますいい季節になります。
もしよろしければ、「ナニもない贅沢」を体感するためにふらりと足を向けてみてはいかがでしょうか。

後日談:
奥様を通じてケンチャンに渡った「プレミアム桔梗信玄餅吟造り」ですが、ケンチャンから御礼の電話がありました。
「はるちゃ~ん、信玄餅とおんなじ名前のニセモノさぁ、食べたよ!ありがとぉ!やっぱ名物だとニセモノとか出回っちゃうんだよなぁ~」

味のことには一切触れないばかりか、天下の名品をニセモノ扱いするこのオトコには、みやげ話でたくさんだと言うことを改めて感じました。

長い旅話にお付き合いくださいましてありがとうございました。
-おわりー  


Posted by Nori at 17:34Comments(0)ぶらり旅

2013年10月10日

収穫がてらの旅4

「花ふぶき」を出ると、マスターが言うように満天の星空を見ることができました。

一面畑だらけのこの町で、空を邪魔するものが一切ないことに改めて気づかされます。

プラネタリウムのような夜空。

一つ一つの星が大きく、清水あたりなら瞬くように見えるであろう星たちは、しっかりとその存在感を圧倒的な明るさで主張しているようにも見えます。

国立天文台である「宇宙・太陽電波観測所」は「花ふぶき」からクルマで5分ほどですが、大きなパラボラアンテナを天空に向けて「宇宙から降り注ぐ ナニか」を観測するのには絶好の場所なんでしょうから、私はまさに今、星空を最も美しく見ることができる場所にいるんでしょう。
18時過ぎともなると、ガソリンスタンドも飲食店ですら閉店し、街灯も少ないこの町で、常々不便に感じる暗闇感も「こういう理由だったのか」と思えれば、なるほど夜空を楽しむ文化の根付いた町なのかとまたチョット好きになります。

林を抜け、空が広がるたびに見上げることなく自然と視界に入ってくる星空に感動し、星明りでウッスラと浮かび上がった八ヶ岳もしっかりと目視する ことができる夜です。
目指す常宿は、八ヶ岳の中腹。
さらに星との近い距離を楽しみに、車窓から吹き込む冷たい風も最高です。
唐松林の上り坂を登りきれば常宿です。
暗がりの中に浮かぶエントランスには人影もなく、森の中の1軒屋はいつものようにやさしく迎えてくれます。

リュックひとつを肩にかけ、駐車場から空を見上げてみると、さすがに週末のホテル。
少しばかりの街灯が邪魔をして、さっきのような星空ではありませんでした。
「そりゃそぉか。。。」
部屋に荷物を置き、バーへ。
暖炉の薪がパチパチとはじける音は、この店のBGMです。
このバーはシーズンに関わらず、敷地内にある別荘の皆さんの憩いの場となっていて、私もビジターながらたくさんのお友達ができました。
私が好きだと言えば、自分ではとても買えないようなジャスミンティーを送っていただいたり、知らない間に仲間に入れてもらい、「明日もパーティー だ」と、連泊しなければならなくなったことも思い出です。
ムスメ2号と仲良しの車椅子のユカさんともこの場所で知り合いましたし、手品好きのアサカちゃんも高校を卒業した頃なのかもしれません。小学校の 頃に出会ったアサカちゃんは何度か清水にも遊びに来てくれて、最後に会ったときにはずいぶんオネエサンになっていて驚きました。

いろんな思い出がよみがえるバーは、今夜は静かでした。
私が来ることを知っていたはずのバーテンがまさかの欠勤で、「ヤツのテイタラク振りを肴に呑むか!?」と、相棒のカクテルチャンピオン(ジャニー ズシニアの一員です)に、新酒「ドコまでもクズ」を発注します。
氷に邪魔されてグラスの底のサクランボが出てこれない斬新なカクテルは、さすがにカクテルチャンピオンです。

豚さんのセクシーレッグを、できるだけ薄~く刻むチャンピオンに、「ココのホテルの空、損してる」ことを経緯と共に伝えると、「街灯か!」とピン ときたチャンピオンは、テニスコートのトコなら街灯が1本しかないことを教えてくれます。
「それなら!」と、スマホもタバコもみんなそのまま置いて「ちょっくら行って来るわ!」とテニスコートに向かいます。
暗すぎる遊歩道につまづきながらテニスコートにたどり着くと、既にベンチには一組のカップルが夜空の下でシッポリしてやがりました。

ズカズカと足音を立てながら仰いだ夜空には、それは見事な星たちが輝いています。
肌寒さを実感しますが、あったかな気持ちになります。
どのくらい居たでしょうか。
ホテルに戻る途中で、施設の管理をしている作業員の方が「星がキレイですね」と声をかけてくれました。
テニスコートで見てきたことを話し、やはり下界で見るほうが街灯に邪魔されないことを伝えると、とっておきの暗がりを教えてくれるも、酔った私が 行けば遭難しそうな場所。

「それなら・・・、一緒に来てください」
連れて行かれたのはホテルのエントランスでした。

「いや、ココには街灯が・・・」
「チョット待っててください」

そう言って私の前からオジさんが消えると、直後にエントランスの街灯のすべてが消えました。
戻ってきたオジさんが、「これならサイコーです」と、笑います。
夜空を見に来た周囲の人からも歓声が上がり、見事な星空が現れます。

「星を邪魔するようにうっすらかかった雲が残念ですね」
一緒に見上げていたオジさんは「天の川ですよ」と静かに答えます。

沈黙の時間が流れ、それはもぉ、すごく感動しました。

「天の川って、肉眼で見えちゃってイイんですか?」
「・・・そぉいう場所です。。。」

私はこのホテルが大好きです。

バーに戻り、今度はチャンピオンに「どぐされブルー」を発注しました。

・・・最終話につづく  


Posted by Nori at 08:07Comments(0)ぶらり旅

2013年10月09日

収穫がてらの旅3

オイシイ食事と、オイシイ空気、充実した時間に満たされ、足をカボチャの収穫地となる野辺山に向けたのですが、小淵沢のアウトレットで働く古い知 人を思い出し、少しだけ寄り道をしていくことにしました。

軽井沢や御殿場ほどの広さはないものの、標高1000メートルの場所に位置するこじんまりとした施設ながら、八ヶ岳らしいと言えば八ヶ岳らしく、 ガツガツしていない素朴なカンジのアウトレットです。

私の知人は、私が八ヶ岳を訪れ始めた頃に知り合い、輸入服を取り扱うショップの店長を任されている人です。
その敏腕振りから、アウトレット内にもかかわらず店舗を次々と増やすツワモノで、美人であることもさることながら、物腰の柔らかい人当たりも決して商売商売していなくて、気さくなお人柄に私もリピーターになった次第です。

季節ごとに、店とは関係のない文面でご挨拶状が届けば、ふらりと足を運んだこともありますが、いつ訪れるかわからない私に「はるちゃんに似合うと 思って取っておいたのぉ♥」と、まんまと手に乗せられ、着るかどうかもわからない洋服がクローゼットに積み上げられることになります。

気配りの行き届く繊細さからなのか、熱心に仕事に取り組むあまりの過労からなのか、健康状態に不安を抱えていた時期もありましたが、その後のお便りで元気に仕事をしていることを知った後は、そういえばお手紙も届いていないような。。。

久しぶりの再会に期待を膨らませ、週末なのに空いている駐車場にあっさりクルマを停め、彼女の店に入りますが姿は見えません。

見覚えのない店員さんが退社されたことを教えてくれますが、連絡手段のない彼女の健康を願うばかりです。

彼女がいないのであれば寂しい財布をムリヤリ開ける必要もなく、30分ほどで1周できてしまう施設内を一回りし、軽井沢や御殿場はさぞハロウィンモード一色であろうアウトレットを想像しながら、控えめなハロウィンを演出している懐かしい場所をアトにしました。

野辺山に向かう道中は木漏れ日に溢れ、放牧された牛や羊が広大な牧場で草を食む姿にゆっくりと流れる時間を感じます。

清里を抜け、野辺山に着いたのは5時近く。

居酒屋にとって,もっとも微妙な時間に到着してしまったことを謝りつつ、「花ふぶき」に入っていくと「じゃぁ、採っちゃうか!」と忙しい時間にもか かわらず、マスターの片手にはカマが握られています。

隣接する畑に向かいながら「今年は大きくならなかった。。。」と、落胆の色を隠しませんが、そもそも言い出しておきながらマスターに任せっきりの 私に文句のカケラなどあるはずもありません。
全部で18個。30センチほどに育ったオレンジ色のカボチャを車に乗せると「さて、どーすっか。。。?」と悩みます。
チェックインするためだけの常宿に行ったところで、そのままココにとんぼ返りするわけで、行って帰って1時間の時間がどうにも無駄に思えます。
時刻は5時半。呑むにはちょっと早い。。。

「呑っちゃいますか?」
「呑っちゃいましょう!」

背中を押されれば、断る理由はありません。

居酒屋「花ふぶき」では、前もってわかってさえいれば送迎も、代行サービスも無料です。ただし、お店のお手すきの時間に限られるので、こちらの思う時間に実現するかどうかは運次第です。どうしても手が空かなければ、野辺山に1軒?のタクシー会社の社長さんも厚意にしてくれているので、バックアップも万全です。


「花ふぶきに軟禁されてるからチェックインが遅れる」と勝手のわかった常宿に連絡すると、「こちらのバーも準備しておきますのでごゆっくり」と、 話が進めば、積もり積もったマスターとの話にも花が咲きます。
カボチャの育ちが悪い事、別荘族が減っている事、きのこが豊作な事・・・。
1ヶ月にドラム缶で1本以上も消費する灯油が原油の高騰でかなわないと言う店内には、家庭用ストーブの比ではない大型の暖炉が稼動していて「これがないと命が危ないし・・・」と、寒冷地ならではの話題にも驚かされます。

マスターには何度か「きのこ狩り」にお誘いいただき、内緒のマツタケ山を攻めたこともあります。

いくつもの山を登っては降り、秘密の場所を目指しますが、未だその勇姿にお目にかかったことはなく、ジゴボとかヒラタケとかいうきのこを持ち帰り、マスターの味付けでお茶を濁してきましたが、今年はマツタケが出まくっちゃってると、イヤラシイ顔でニヤつきます。
「食べてみますか?」とお出ましになった私と同サイズほどのマツタケは(小さめではない)正真正銘純天然、少し白っぽく見える姿はまだ新しいからだと言います。

なんでも、販売されているマツタケの多くは、傘が開いちゃっているので、水分が飛んじゃっているんだそうで、傘の開きかかったこのタイプがミズミズしくてウマイのだそうです。
さすがに永谷園の香り高さには負けていますが、なるほど奥深い香りがします。
大胆に丸々1本をスライスし、炭火の焼き台に乗せるとたちまちヤツが例の香りを放ちます。
過日の「1000円すき焼き」の店ならいくら取られるかと不安もよぎりますが、覚悟を決め待機します。
私はこの店では決まって「地鶏の黒コショウ焼き」と、ナンコツたっぷりの「つくね」を頼むことにしていているのですが、なにしろデカい。「小さめ」「少なめ」でお願いするも、「それじゃぁ、元気が出ない」「少なめがわからない」という理由で、農家の皆さんが喜ぶのと同じ量で、既に罰ゲームみたいになってるのに、ランチにで かい鶏を食べてきたことを思い出せば、マツタケをおいしくいただけるかどうかも不安です。
山の中の居酒屋ながら鮮魚もおいしいのですが、それは清水で食べればいいし、何より食べ切れません。
サラダでもナンでも、とにかくすべてがビッグサイズです。

「はるさん、カモ欲しい?」
「カモ?」
「鴨鍋のカモ、カモネギのカモ」
「ナマ?」
「ナマもナマ!生きてる」

なんでも、農業の勉強に来ている中国人たちの食用として養殖?している人がいるらしいのですが、増えすぎてしまってエサ代がバカにならず困ってい るそうで、「マスターのトコならお客さんにも喜んでもらえるだろ?」と言うことでお裾分けだとか。
大根や、桃のお裾分けなら聞いたことも体験したこともありますが、「どこに生きた鳥のお裾分けを食べる目的でもらう人がいるんだ?」と言えば、目を点にしながら真顔で、「牛や豚なら困るだろうけど、鳥だよ」と、「桃だよ」みたいに言います。

「生きてるカモもらってどぉすんの?」
「食べるデショ。おとなしいから首にヒモつけて散歩もできるし、飼ってもかわいいし、飛ばないし、おいしいし。。。」

以前、「ウコッケイやるよ」と言った大先輩もいましたが、世の中には食生活に困っているわけでもないのに、動物と共存して卵を採ったり、羽根むしって食べちゃう人がいることは事実のようです。

「5羽じゃ、足りないか?10羽くらいなら何とかなるよ」
「いやいや、ベランダでクワックワ言われてても困るし、そもそも触れないし。。。」

香り高きマツタケが焼きあがり、添えてもらった大根おろしをつけることなく醤油をチビチビかけながら贅沢にいただきました。確かにミズミズしく、 まだまだ未知の世界があるもんだと大満足です。


「明日、カモつぶすけど、持ってくなら取りにおいでよ」
「カモはいらないけど、見に来るよ」

いつまでも言ってるマスターは、なぜか残念そうですが、クルマの中でクワックワ鳴いてるカモを同乗させる事を想像しただけで鳥肌が立ちます。
お勘定にはマツタケは含まれていませんでした。
クルマに積みきれないほどの採れたて新鮮野菜をくれたり、いつもながら感謝です。

「はるさん、今夜は星がキレイだよ。昨日、今日は特にキレイで、こんな星空をあんまり見たことないよ」

帰り際の会話もステキです。
何から何まで言うことのない一日を終え、常宿に向かいました。

・・・つづく  


Posted by Nori at 08:43Comments(0)ぶらり旅

2013年10月08日

収穫がてらの旅2

鉄道マニアでもないのに、ついつい長居してしまったリニア見学センターを背に、クルマは小淵沢に向かいます。

大月からはたぶん1時間くらいかかりそうなその距離を、一刻も早くクリアしないと泣き止まない腹の虫を黙らせることが出来なさそうな微妙な時間で、いつもなら休憩場所となる双葉サービスエリアも無視して、目指すカナディアンファームのオーダーストップまでには到着しようと、クルマの中で武豊かのように前傾姿勢で頑張ります。

見慣れた景色も、澄んだ空気に一層美しく車窓を後方へ流れていきます。

中央道を小淵沢で降り、モタモタと走る県外ナンバー(私も県外ですが)にイラつきながら、高原の真ん中を走りますが、ナビのオネエサンは「諏訪南インター」で降りることを選択していました。

「そんなわけはない!」といつもの小淵沢を選んでしまったのですが、知ったかぶりもタイガイにしろ!と、言われたとおりに進んでいれば、10分早く現場に到着できたことがアトで判明します。

畑の真ん中を進むと、カナディアンファームはあります。
こんなところにレストラン?という場所ですが、こんなところにステキなレストランはあります。

都会風に言えばオープンカフェとでも言うのでしょうか。
田舎のオープンカフェを教えてもらい、通い始めた頃はその名の通り屋根もなく、冬場や悪天候の際には小さな暖炉のある屋根つきの部屋で食事をしますが、なんせ人気店なので、とても収容しきれるほどのスペースでもなく、数年前にいよいよ屋根つきオープンカフェに改善されていました。
店主のハセヤンは、その昔NHKの子供向け番組で自然の素晴らしさを教える先生役として出演していたようで、ムスメ2号が中学生になった頃、初めて連れて行った時に「ハセヤンだ。。。」と、子どもたちにとっては有名人だったようで、風貌のインパクトもさることながら、そのワイルドな生き方を子どもながらに充分感じられる番組に出ていた人の前で、ムスメ2号がモジモジしていた事を思い出します。

そんな人のお店ですから、おいしいばかりでなく、楽しくないわけがありません。

トトロの世界にでも迷い込んだような場所で、不思議と気分も落ち着きます。
垣根なく話しかけてくれるハセヤンがつくった石釜で、カリッと焼かれるお料理は絶品です。

私は決まってローストチキンのセットをオーダーしますが、これがかなりのビッグサイズで、ビッグサイズの私でも満腹感が得られるのに、2本入りの「ダブル」というメニューもあるからにはドでかい人間が食べるんだと思います。

 

私はこのビッグサイズのモモ肉を、自分たちのバーベキューでも使いたいと思い、探したことがありますが、食材輸入業者の友人をもってしても見つけられず、結局丸鶏をダッチオーブンで丸焼きにすることを選んできました。

お手すきのハセヤンにその経緯を話していると、実は国産鶏だったことが判明するも、その業者さんが辞めてしまったために入手することができなくなり現在は輸入鶏を大量に仕入れて対応しているとのこと。

その仕入れ量の多さを聞けば、いかに人気メニューかは容易に想像することができます。
季節ごとに姿を変えるオーガニックスープも優しい味で、これでもか!と入ったサラダと、石釜で焼かれた自慢の「ハセパン」が添えられれば、おいしい食事でありながら「ヒト勝負!」という感じです。

 

ゆっくり流れる時間に、人間を恐れない赤とんぼやカラフルなトカゲまでもが足元でチョロチョロしてれば、その手がオキライな方にとってはどうかはわかりませんが、オススメの一店です。
既にかなり有名なお店なので、ネット上でもスグに見つかりますが、できればあまり混み合わないように祈るのはやはり勝手すぎるのでしょうか。
気軽に楽しめるレストランで満足したら、広大な敷地内を散策してみるのも面白いですよ。

 

さぁ、いよいよジャンボカボチャの収穫に、野辺山に移動します。

・・・つづく  


Posted by Nori at 08:43Comments(2)ぶらり旅

2013年10月07日

収穫がてらの旅1

「ハロウィンカボチャの収穫の時期です」と連絡をくれるのはJRの駅の中でも日本一高い場所に位置する野辺山駅のすぐそばで集客力ナンバーワンを誇る居酒屋「花ふぶき」のマスターで、もう10年以上の付き合いです。
きのこ狩りに連れて行ってくれたり、私にスノボを教え、左ウデを複雑骨折に導いたのもこの人です。

ゲレンデで手がブラブラしちゃってから8年たった今、左ウデはまっすぐ伸びないので自転車で直進することが不自由です。コンセントまでの距離も脳で考えているよりウデが伸びず、ちょっと遠めです。

この時期に野辺山に遊びに行くと、アッチコッチでハロウィンカボチャを目にすることができ、「アレはどこかで育ててるのか?」と聞いたことがきっかけで、「じゃぁつくっちゃう?」と、マスターが所有する広大な土地の一部を畑として貸してくれることになり、6、7年前からゴールデンウィーク明けに種をまき、9月の終わり頃に収穫させていただくことを繰り返してきました。
温暖化の影響なのか、育て方に問題があるのか、土を入れ換えたり日当たりを工夫しますが、年々ジャンボカボチャはスモールカボチャになり、今年も最大で30センチほどにしかなりませんでした。
マスターの話しでは、タネ自体に問題があるのかもしれないとのことですが、ホントのところはわかりません。

「絶好の行楽日和です」なんてお天気オネェさんが言っていた天気のよい週末に収穫に行ってきました。
紅葉にはまだ少し早いようでしたが、精進湖あたりの山の一部は少し色づいてきていて、本格的な紅葉が楽しみです。

今回はお泊まりモードに決めていたので、時間はたっぷりあります。
いつものように2時間半ほどで八ヶ岳に到着して大自然を満喫することも考えましたが、そぉいえばダンディマーチャン(63)が「はるちゃん、リニアの実験は山梨の方でやってるらしいけど、ドコでやってんだ?」と言っていたことを思い出し、やっと手に馴染んできたスマホで検索してみると、1時間ほどの遠回りながら、さほど面倒な場所でもなさそうなので、ナビのお姉さんに案内をお願いし、甲府南から中央道を東京方面に向け走りました。
リニア中央新幹線の駅の建設予定地が発表されたばかりで、好奇心旺盛な皆さんでさぞ混んでるだろうという思いもありましたが、開業する頃には乗れるかどうかもわからない最速技術をひと目見ようと渋滞覚悟で向かいます。

大月インターで降り、右へ左へとお姉さんの案内に従うこと30分ほど。
田舎町の景色に穏やかな気持ちになりながら「リニア見学センター」の看板を見つけると、いよいよ目的地です。

山あいで稲の収穫作業の進む田んぼの中にひときわ目立つ大きな建物に心を踊らせ、見学者用の駐車場を目指します。
拍子抜けするほど見学者は多くなく、あっさり駐車することができ、それほど大きくない駐車場も空きスペースの方が多いほどでした。
「イイ季節だ」と思わず口にするほど澄んだ空気と心地よい風を感じながら、みんなが向かう展望台を目指します。
駐車場からは5分ほどでしょうか。
小高い丘にある展望台まで登るとみんなの視線は線路?に向かっています。

テレビでよく見る風景に感動しながら近くにいたお兄さんにレクチャーを受けます。
お兄さんは重装備で、大きなレンズのついたカメラには大きなマイクまでついていて、20年も前に購入した私の一眼レフがショボく見えます。

「轟音が聞こえたらリニアが来ます。見えてからシャッターを切っても間に合わないので、あらかじめ撮影ポイントを決めて全体を撮るイメージで連写した方がイイかも知れないです。リニアは15分間隔で行ったり来たりしてますから何度かチャレンジしたらいいですよ。」

とってもわかりやすく親切に教えていただきますが、轟音のイメージがわかりません。
地響きのような音が聞こえると、「来ますよ!」とお兄さんが自分のファインダーに目を当てながら小さな声で教えてくれました。
アチコチから連写音が聞こえる中、私はリニアを追ってしまい、リニアを写真に残すことはできませんでした。

「なるほど。そぉゆぅことか。。。」

リニアの見える範囲は、トンネルから出てきて消え去る視界で2メートルほどでしょうか。
時速500キロをホンキで出しているかどうかはわかりませんが、思っていたよりもゆっくりに見えます。
山に響き渡る轟音も、行きづりの私達にはリニアの走行音ですが、周辺住民の中にはもしかしたら不本意に聞こえる音なのかも知れません。
撮影場所を変えながら、15分ごとに行ったり来たりするリニアの轟音を楽しんでみました。

ウワサの最速技術でありながら、展望台には5~60人程度の人しかいませんでした。
行列を作るのが大好きな好奇心旺盛の皆さんのオメガネにはかなわないのか、道中も含め、バカバカしい混雑はありませんでした。
見学センターに入れば、もう少し違う体験ができたのかも知れませんが、行楽シーズン到来、紅葉も進めば、穴場かもしれませんね。
リニアの走行実験スケジュールは公式サイトで確認できるようです。
せっかく足を運んでも走ってないなんてことでは残念ですもんね。ご確認ください。

繰り返される轟音を背に、今回の旅の楽しみのひとつ、原村での食事に向かいます。

・・・つづく



 
走行の様子を撮影してみました。要クイックタイム  


Posted by Nori at 09:47Comments(0)ぶらり旅

2013年09月23日

安くてマズい?

20代の頃、散々お世話になった18歳年上の先輩の口癖は「自分が一番気が合う」でした。
どんなに気心の知れた仲間であっても、「自分以上に気の合う人間はいない」という屁理屈のような話しは、私自身も年を重ねるゴトにその意味が何となくわかるようになって、今ではそんなことを言っていた当時の先輩の歳を遥かに上回ってしまいました。
要は他人に頼ることなく、ましてや他人任せにすることなく、自分に責任を持って生きていれば失敗も成功も自分の寸法通りに返ってくるから気も楽だというコトだと思うのですが、誰かの都合に合わせることもなく一番居たい場所に居る私の生き方は、土曜も日曜もない私の生活なら仕方のないことかもしれません。
とはいえ、先輩の教えに沿ったものなのか、持って生まれたものなのか、風の吹くまま気の向くまま、相変わらずの浮浪雲です。

先日も、最近覚えた居酒屋のカウンターの隅で独り呑みを決め込んでいたのですが、私のような人間は他にもいて、ひとりで呑みたくて行ってる店なのに、何度かお邪魔していれば隣の客とも馴染みになって「一言二言」言葉も交わします。
500円のホッピーセットにチビチビと口をつける私に、「安くてウマイ店がある」と教えてくれたその方はやはり「独り呑み」をする方らしく、この界わいばかりでなく、電車を乗り継いで繁華街へ出向いたり、「代行使って帰ってくるくらいなら同じだよ。。。」と新幹線に乗って東京の下町文化を肴にイッパイ引っ掛けてくるんだそうです。
「独り呑み」には「独り呑み」のルールがあるわけで、決して「今度ご一緒しませんか?」みたいなノリにはなりませんが、有益な情報をいただけば、「一度行ってみるか」と腰を上げるのは私にとっては礼儀のつもりです。

その店は私鉄で15分ほど離れた町中の店で、お聞きした目印通りに行けば必ず見つけられる場所にあると言います。
夜はいつでも満席で、6時でも7時でも入店できるかどうかは時の運らしく、アウェーとなるその場所で、入店できなきゃ帰ってくるしかありません。
ランチもやってると言うので雰囲気だけでも知れればいいと出向いてみました。
ひと駅ふた駅ならイザ知らず、もっとたくさん駅を越えて電車に乗って「お町」に繰り出すなんて何十年ぶりでしょう。
昼時を少しズラして到着すると、言われた通りの場所にそのお店はありました。

店頭にはイケスもあり、魚介類がイキイキと私を迎えてくれます。
休日のお昼過ぎだと言うのに、「ヤッと客が引けたところです」と店員さんは言いますが、座敷席もフロアーにもお客さまが入っていて、今夜の予約の電話と思われる電話がひっきりなしに鳴り続けます。
オススメランチがほどなくしてテーブルの上に並べられると、聞いてはいたものの見事な刺身盛りに目を疑います。
絶妙な塩加減のアラ汁も、食欲をそそります。
清水港付近の有名食堂でもお目にかかったことはありません。

目も腹も満足し、なるほど人気店だと言うほどのことはありました。
私が知っている居酒屋で同じ刺身盛りを頼めば2、3000円取られても仕方がないと思われますが、ランチとはいえ880円。

これで生ビールを2~3杯いただいたとしても3000円でオツリが来ると言うのですから、その辺の居酒屋は太刀打ちできないんでしょう。

どうやら大手居酒屋チェーンのグループ店のようですが、よく言う冷凍感やチープ感には程遠く、店員が無駄に大声出して盛り上げるようなシステムでもないようですし、たとえアレが冷凍モンだとしてもナンの文句もありませんが、店内の様子を見る限り、冷凍モンではないでしょう。
高級料理には縁遠い私の感想なので皆さんのお口に合うのかどうかはわかりませんが、アレを覚えてしまうと、私が通う居酒屋が高級店になってしまいます。
ホームグラウンドとなる草薙駅周辺にも、大手居酒屋チェーン店が進出し始めていて、「たかがチェーン店だろ」と大学生の溜まり場みたいに思っていましたが、事情は私が知っているそれとはずいぶん違っているのかも知れません。
安くてオイシイのなら、こんなにいいことはありません。

浮浪雲の行動範囲が少し変わりそうな気配です。  


Posted by Nori at 17:54Comments(0)ぶらり旅