2015年08月14日

26と753

拝啓 お盆休みですか?
私はずっと仕事です。
できるだけ長い渋滞にハマったり、観光地でゲリラ豪雨にあったりして、私の気分を和ませてください。 敬具


先日、不思議な出会いがありました。

最近お邪魔させていただくようになった居酒屋さんから名刺のご注文をいただき、食事の時間にはちょっと早い18時半頃にお届けに行ってきました。

お盆休み前だからなのか、早い時間にもかかわらず、既にカウンターは3席ほどしか空いていませんでしたが、入口近くの隅の指定席に座り、旬の「とうがん」と、初物だと言う「さんまの刺身」をオーダーし、その間に生ビールで暑い一日に感謝していました。

あっという間に飲み干し、「オカワリッ!」と2杯目を注文すると、「ピッチ早いッスネ!」と店主のムスコさんが冷えたジョッキを片手にビールサーバーに向かいます。

ココが砂漠でなかった事に感謝もして、ゴクゴクとありがたくノドを潤しますが、キッチリ1合の冷や酒で潔く寝床に就いた亡き祖父の「酒との関係」を尊敬し、いつかは自分もそんな呑み方ができるようになりたいと思いつつ、ゲリラ豪雨並みにバケツをひっくり返したように呑んでしまう意地汚い呑み方からはまだまだ卒業できそうにありません。
「フグヒレを酢みそで・・・」とツキダシが出る前に2杯目は空になり、汗で溺れそうになるほどの暑い一日にカラダが欲しているのは「水分」なのか、「アルコール」なのか、迷わず3杯目を発注します。

この居酒屋さんは、JR草薙駅の目の前で、腕利きのお父さんと、ムスコさんの二人がカウンターの中で私達を楽しませてくれますが、今日までのお店の歴史をたどってみれば、その昔オンナ遊び病を患っていた頃に通っていたスナック風の居酒屋や、朝まで付き合ってくれた「プールバー」のオーナーなんかも関係者で、1年ほど前に草薙にオープンしたお世話になった先輩の娘さんが経営する「ガールズバー」もゴヒイキにしてくれている事がわかり、「他人のような気がしない」と言う理由で気に入ってノレンをくぐらせていただいております。
3人連れのお客さんを断り、二人連れのお客さんにも「今夜はいっぱいで・・・」とお父さんがハゲたアタマを下げ下げ断る中、キャシャーンみたいな立体マスク姿で登場したチッチャなお婆さんが店内を見渡しながら「入れそォ・・・?」といかにも上品に入口を開けると、お父さんが私の隣の席に目をやり、私もそれに応えて「運命ですから・・・」と椅子を引いて「こんな席でよければ・・・」とカウンターに散らかった私のナワバリをコッチに寄せながら1人分の席を作ります。
彼女のお姿はこの店で何度か拝見していますが、隣に座った事はなく、もちろん話した事もありません。
「今日は忙しくて・・・」と、独り言なのか、私に話しかけているのかわからない一言から始まり、お見かけする限り間違いなく現役を引退されているお年頃にもかかわらず、「建設会社のオーナー?」「不動産関係?」と思えるようなお話に、耳を傾けますが、私も自身の素性を「通りすがりのチリメン問屋」以上に明かす事はなく、ましてや先様の素性をネホリハホリ聞く趣味もないので、独り言のような話しに「へぇ」「そぉですか・・・」と無責任な相づちを打つ事に終始いたします。
「お話を聞いてくださっているのに、マスクのままは失礼よね・・・」とマスクをはずしながら「私は半身麻痺なのよ・・・」とカラダの右側半分がリハビリのおかげで辛うじて動いてくれる事を私に告げますが、お箸を使ったりグラスを持つ手にはそんな様子は見当たりません。
私が中学生だったか、高校生だったか、若い頃に父がやはり「顔面神経痛」を患い、入院していた事を話し、寝る時には閉じる事ができない目やクチにテープをはり、無表情の半分の顔が怖かった事を話すと、「私もソォなのよ」と無理矢理マバタキをする右目が涙ぐんでいるのを見せてくれます。
話しの端端に伺える上品さは、聞きたくもないウワサ話しをベラベラとしゃべりまくるウチの近所のイチジクババァにも見習わせたいところですが、関わること自体マッピラゴメンなので、放っておきます。
いつしか私達の会話は成立し始め、気さくなお人柄も相まって「あなたのお住いは?」「ご家族は?」と、話しが弾み始めました。

私は話せる限りの話しで答えていると、「私の名前は・・・」と自分の名前は変わっているので読んで(呼んで)もらえた試しがないと言う話しになりました。

おもむろにさっきまで割り箸の入っていた袋を裏返すと、バッグの中からペンを取り出し、リハビリ中の右手でスラスラとフルネームを書きました。

【二六代】

確かに読めません。
読めない私を察すると、すぐさま「ふ・む・よ」と振り仮名をふってくれます。
私はペンを借り、その横に「七五三夫」と書きました。
「父方の亡き祖父です。これも読めないでしょ?」とペンを置くと、「シメオさんね。じゃぁアナタはアキコさんの甥ッコさん?」と、まさかの急展開に。

さっきまで話していた「お名前」や「お住い」や「家族の事」などの「点」が線となり、一気に「面」になると、「アキコさんとは同級生なの。彼女はお元気?」と、懐かしい話しに火がつきます。

「県東部に嫁いだアキコオバサンとは年に数回会ったり電話をさせていただりしていますが、ロスに暮らすアキコオバサンのムスメさんとは日常的にメールのやりとりをさせていただいたり、昨年日本に一時帰国した際には何十年ぶりかのデートをしました。そのムスメさんのムスメさんもアチラで結婚が決まったようで・・・」
・・・なんて同席しない登場人物の個人情報の限界を超え話す私に両目に涙を浮かべ、「本当に幸せな夜ね」とお喜びのご様子でした。

彼女は「二六代」と書いた箸袋に「皇紀2600年生まれ」と書き足しました。
「皇紀2600年生まれ」が昭和何年なのかはわかりませんが、そんな書き方をする人が下品であるはずもなく、イキでコジャレた生き方をされている方なんだと察します。
そうなると無責任な「へぇ・・・」や「そぉなんですか・・・」は存在せず、古き農村地区だったこの街の、私と共有できる限界までさかのぼるに留まらず、私の知らないエピソードの数々にお互い帰る時間も忘れ、若い恋人並みに夢中になりました。

それでも「初老」の私と、ベテランの「老」の二六代さん。
名残惜しい時間に見切りをつけた帰り際、「アキコさんも私と同い年なんだから若い時とは違うでしょ?」と言いながら私の箸袋に手を伸ばし、ペンを走らせます。

「古希過ぎて 一病あるを よしとする 卒寿目指して日々晴れやかに」

「急ぐとも 心静かに手を添えて 外にこぼすな 松茸の露」くらいしか思いつかない私には上等過ぎるメッセージに感激しますが、「アキコさんに会う機会があったら伝えてね」の命、しかと受け止めました。

「あなたとお友達になれてよかったわ。素敵な時間をありがとう」なんて言われれば「ホれてまうやろっ!」とか「今夜も夢で!」とか言い返す雰囲気は全くなく、再会を誓い、お互いの方向に右足から帰りました。


皇紀2600年 1940年 昭和15年・・・。

さっきオバサンに電話をしてみたところ、お留守のようでしたが、電話に出たオジサンの話しではアキコおばさんは昭和14年生まれらしい・・・。

早生まれ・・・?
「謎」は近々解決できる見通しです。
              


Posted by Nori at 22:05Comments(2)独り言

2015年08月02日

オチチ

火がついたように激しく高ぶる潮の満ち引きに、月明かりにあらわになった白い乳房にむさぼりつき、果てた満足を感じながら静かな眠りにつく・・・。
この子の健やかな成長を願う・・・。

ネットという環境を使えばヤバいクスリだろうが、そんなキモチを抱いてはイケナイ少女達との出会いや快楽さえ手に入る時代。

探し回らなくても、「品切れです」とわざわざ取り寄せていただかなくても、クリックひとつで明日には手元に本が届いちゃうとなれば、ウチの近くの大きな本屋が閉店してずいぶん久しいのも納得できます。
独特のインクのニオイの中でアレコレと立ち読みする情緒と引き換えに、一歩も動く事なく欲しい本が手に入っちゃうなら、ついつい私も便利を選んでしまっています。

ナンでも手に入るインターネットは確かに便利で合理的。
しかし、呑んだ暮れて一日を終わる私には想像もつかないようなものまで売買されている事に気づけば、貪欲なまでの需要と供給に、いかに私の人生が上っ面だけの薄っぺらいものかと酔いもブッ飛びます。

「体液」のような成分は検出されたものの、同時に大量の雑菌も検出され「母乳」の購入は慎重に・・・だったか、注意が必要・・・だったか「ボ・ボニュー!?」と耳を疑う報道がされていました。
瞬時にヒラメいたのは、そうゆぅ世界のマニアの皆さんで、「チチ離れ」ができていないのか、それをクチに含む事で若き日のあの頃の事を思い出しているんだろうか、はたまたその昔、アサイチのオシッコを飲む人達のような健康法か・・・?

私ごときに思い浮かぶのはせいぜいそんなところなんですが、聞き進めれば話しはもっと深刻で、実際に「母乳」を必要としている人達がいるとのことでした。

赤ちゃんを授かり産んでみたものの、「母乳」を思うように赤ちゃんに与える事ができないお母さん達にとっては切実な問題で、赤ちゃんの健やかな成長を願うあまりワラにもスガる思いで、そんなやり取りが成立しているんだトカ・・・。
冷やかし半分で報道を見ていた私は、ちょっと複雑な思いを感じました。

確かにお母さんにとって授乳をする事の幸せは、オトコの私には想像すらできませんが、赤ちゃんにとっても教えられてもいない本能で吸い付いた乳首から、ナニも出てこない現実に気づく事もなく、本能のおもむくままに元気に吸い付いてくる姿を想像してみれば、お母さんばかりでなく、もしかしたらお父さんだって「ワラ」を探してみたいキモチになってしまうのかも知れません。

「インターネット」に向かい合う発想は私にはありませんでしたし、例え深刻で切実だったとしても「他人」の「母乳」に頼るだろうか?と感じてしまいました。

その上で、取り引きされていた「母乳」が「マガイモノ・・・」みたいな報道であれば許される話しではありませんが、どういう暮らしをしていたら「マガイモノ」であっても母乳を売っちゃお!的な発想が生まれるのかも不思議です。

ニーズを悪用するセンスがあればこそ「荒稼ぎ」もできるんでしょうが、「マガイモノ」である事を知らずに、ネットで買った母乳を赤ちゃんに与えているパパママのキモチもまた私の理解を超えた不思議な世界です。


その昔は「母乳」のデが悪ければ、近所のお母さんの「母乳」を直接乳首から分けてもらった・・・なんて話しを聞いた事がありますが、私のムスメたちの時代には現実にそうする事はなかったはずです。
ムスメのママも一時期、母乳のデが悪い・・・と悩んでいた事があります。
もちろん、ムスメたちがオッパイを必要としていた時期の話しですが(聞いた事はありませんが、今は母乳のデを気にしていないはずです)、粉ミルクだって栄養たっぷりの上等なものがある時代に、彼女の悩みはそういうことではなかったようで、それこそワラにもスガる思いでいろんな人達のアドバイスに耳を傾けていました。
ネットなんてありませんから、大先輩や同世代のママ達なんかにいろいろ教えてもらっていたんだと思います。
漢方薬なんかも飲んでたかなぁ・・・。
ダメな私にとっては「どうでもいいこと・・・」だったのか、彼女の思いも汲み取ってやる事なく呑気に暮らしていたんでしょう。
どういうイキサツでそうなったのか、それも覚えていませんが、乳のデを良くする有名なマッサージ師がいると聞き付けて何度か送り迎えをした記憶があります。

「誰かに揉んでもらって出るようになるなら、オレがたっぷり揉んでやる」と、オカネを出してホカの誰かに揉んでもらう事に批判的だった私ですが、彼女の真剣な熱意に負けたのか、送り迎えを確かにしました。
話しがナーバス過ぎて「よく出てるか?」とか興味本位で聞く事もなかったはずですが、その甲斐あってかムスメたちは大病を患う事もなく元気に育ちました。

胸に抱いた我が子にオチチをあげることがママさんたちの幸せなんだとしたら、そうできないママさん達の悲しみや苦しみは救われるべきなのかも知れません。
しかし、聞いてみれば出産間もなくの母乳には免疫力を高めたり、もちろん栄養が含まれたりしつつも、数日間だったか、数週間だったか、それ以降の母乳には一定程度の栄養分は含まれるものの、粉ミルクなどの代替乳でも充分成長を促す事ができるようなんです。

オチチをやる行為はむしろ親子間のスキンシップの意味合いの方が大きいなんて言っている人もいるようです。

赤ちゃんとオッパイは切っても切れない関係に、短絡的とは言えないまでも「ネットで購入」という発想が生まれる時代に切なさというか、ナニかスッキリとしないキモチになるエピソードでした。

そういえば最近、「おしゃぶり」をくわえている乳児を見なくなりました。
ネットで「おしゃぶり」と検索してみると、さぞエッチなサイトがヒットするのかと思いきや、そこはマジメに「乳首型育児用品」が並んでいて、「舌や顎の発達を助けて鼻呼吸を促す」なんて理由からむしろ利用者は増加傾向にあるんだとか。。。

「牛乳は子牛の飲み物」と譲らないクリちゃんを久々に呑みに誘ってみます。
ぇ?あのオトコ。。。母乳買ってる?
            


Posted by Nori at 19:54Comments(0)独り言

2015年06月13日

ワルイコト

セクハラにパワハラ、モラハラにマタハラなんて聞こえれば、もはや何の事やらさっぱりわかりませんが、セクハラ被害を訴えた事で会社側からイヤガラセを受けることをセカンド・ハラスメント(二次被害)なんて言うんだそうです。
八ヶ岳に向かう道中のトイレのない場所で、突然モヨオシテしまい、同乗者に断るスキを与える事なく、爽やかな風の吹く高原に座り込むのを「ノハラ」と言うかどうかは知りませんが、相手が笑い飛ばしてくれなければ、訴えられるかどうかは紙一重です。
ちなみに私の車にトイレットペーパーと大きめのフタつきの空き缶が常備されているのは原則的に「ノハラ」を避けるためです。
どっこも悪くないのに、正露丸を日々飲む習慣も同じ理由です。

人間同志のトラブルを避けるために、会話を録音したり、隠しカメラや防犯カメラで撮影しちゃったり、せちがらい時代になりました。
ご主人のシッポをつかもうと、住んでいる家の中にさえ監視の目が設置されているらしいですから、お心当たりの方はすぐにでも小さなレンズの捜索をしたほうがいいでしょう。
それでも防犯カメラなどの普及で、事件解決に結びつくケースも多く、言い逃れのできない証拠の存在が多少なりとも犯罪の抑止力になっていればいいのですが、ネットやテレビに映し出される数々の映像を見る限り、どれほどの効果があるのかは良くわかりません。

障害者施設で職員が障害者に暴言を吐いたり手を上げたりして逮捕されたと連日その映像が映し出されています。
目に余る同僚?の言動を見かねた人による隠し撮りらしいのですが、殴っている本人にインタビューをしたところキッパリ「そんなことはない!」と言いつつも。例の動画を見せられた途端しどろもどろで、結局逮捕に結びついていきます。
もちろん逮捕された人がいる以上悪い行為である事は明らかですが、チョットマッテチョットマッテオニーサン!(これもナニが面白いのかさっぱりわかりませんが、イッパツ屋の香りがします)、私がとっても元気な高校時代に見て体験してきた「教え」の中には、パーではなくグーでしたし、先生の虫の居所によっては、机や椅子も宙を舞いました。
もっともっとナマナマしくわかりやすい言葉で人格を否定され、必要ならば竹刀や傘さえも「2度としません!」を引き出すための道具になる事も、気絶する直前の記憶として残っています。
教育現場の中での「教え」であった以上、「幻覚」だったと理解するようにしていますが、万一現実だとしたら「死刑」を免れる事はできそうにありません。
そんな先生たちも歳を取り、都合の悪い事を忘れるワザを身につけたようで、「そんなことあったかなぁ・・・」と、先日スーパーで買い物中の先生は少し小さくなったように見えました。

「手を上げるのは悪い事」、「叩くならオシリにしなさい」なんて時代もありましたが、今はお父さんもお母さんも天使並みに優しい時代で、深夜に外出しようがソレが日常になっているようなのに、いざ事件に巻き込まれれば「イイ子でした・・・」と耳を疑います。

ムスメ1号が「ウソ」を覚え始めた頃、泣叫ぶムスメをヒモでしばって、「ムスメが壊れちゃう!」と必死に止めるママを制して押し入れに閉じ込めた私もまた「地球追放の刑」でしょう。

「ワルイコト」の定義がずいぶん変わったように感じるのは私だけなんでしょうか。。。        


Posted by Nori at 18:29Comments(0)独り言

2015年06月10日

規制

年金情報漏えい問題が話題になっているようです。
相変わらずアトからアトから修正情報が報道されたりしていますが、修正すればソレでオシマイなわけで、知っていたのにコトの重要さがわからない大臣さんも「国民が不安にならないように・・・」などと1ヶ月近くも発表が遅れた理由を真顔で説明しちゃったりしています。

情報漏れが確認されれば、通知が届くそう。。。125万件・・・。
皆さんからの問い合わせには1000人体制のオペレーターが配置されたとか。

そんな余分なカネがあるのなら、支給額も減らさずに何とかなりそうな気もしますし、支給開始年齢だって生きてるウチにお願いしたいところです。
通知が届いた人達は、年金番号を変更したりするようですが、年金を消しちゃう職員の皆さんにちゃんとできるんでしょうか。
まさか、「通知したのに届け出がないから・・・」なんて理由で、私達が詐欺られるのを涼しい顔して見てるんじゃないでしょうね。
漏らすだけ漏らしておいて、紙オムツのコマーシャル並に「スッキリ元気に健やかに」他人事のように生きてるんじゃないでしょうね。
どんなにクレームがきたって、「多い日も安心!」的な。

「布のオムツじゃないといつまで経ってもオムツが取れない!」なんてムスメたちが赤ちゃんの頃によく母が言っていました。
誰も辛い思いをしないんですから、この団体の皆さんのオムツはずっと取れないんでしょう。

機構のマークも輪郭だけで中身の無いハリボテに見えるのは気のせいなんでしょうか。

私達の住む世界で、お客さまから預かった大事な情報を落としたなんてコトになれば、ただでは済まないはず。
いっそ預けた年金を全額返してもらって、使い終わっちゃったら生活保護ってのもありかも・・・と冗談抜きに考えます。

これだけの騒ぎになって、罰せられる人がいないんですから、私達はもっと怒っていいんじゃないんですか?

日本中のアチコチでドローンが落ちまくる中、ホンモノのオスプレイが落ちてしまって死傷者も出たなんてニュースもありました。

官邸屋上あたりにドローンが落ちれば、プライドを傷つけられたエライ人達は、躍起になって「即規制を!」と迅速な対応を図るようですが、何人もの人の命を奪っちゃってるオスプレイには「安全を疑う余地はない!」と、素人ながらどうにもフに落ちません。

善光寺だか、国会周辺だか、三社祭だかで「飛ばそうとしていた」といわれるオモチャ好きの少年は逮捕されちゃうのに、安全なオスプレイが落ちて死傷者が出ているというのに逮捕者がいないのも不思議な話しで・・・
そのオスプレイはルールも守らず我が物顔で人間のアタマの上で訓練中とか・・・
仮免が取れるまではゴーカート場を大きくしたようなコースをグルグルまわり、決して人をひき殺さない環境下で普通免許の取得のために練習してきた私達とは、どうやら違うらしくて・・・。
余談ですが、ウチの近くの自動車学校にはオネエ系の教官がいるらしく、「アナタの左折ってブスねぇ」とか、「S字クランクってウズかなぁ~い?」とか、最近まで通っていた知人が爆笑しながら教えてくれました。

私の少年時代には「ラジコンヘリ」が欲しくて欲しくて、親に泣きついたものですが、少年の夢が叶う事もなく、そのまま大人になった今、手が届きそうで操作も簡単だといわれる文明の利器の出現にワクワクしていたら、規制だナンだとドッチラケです。

不景気だからこそ少しでも出費を減らそうと、苦渋の決断でちっちゃな軽自動車を選べば、案外売れ行きが好調で、「みんなが買うなら税金上げちゃおう!」と自動車税もとっても簡単に上がっちゃうし、企業努力の末に誕生した第3のビールもそんなカンジのようで、こうなったら「みりん」で酔える体質に改善していくしかなさそうです。

「ネクタイは政治家がウソをつかないように首を締めるモンだ」と国民に愛されつつ引退していったドコぞの大統領さんは任期期間中ネクタイを締める事はなかったそうですが、先日の静岡市長選に立候補した陣営からは選挙違反で逮捕者が出ている始末。
当選はできなかったものの、市民の幸せを声高にうたってこのありさまでは、ナニに1票を投じればいいのかさっぱりわかりません。

負担を強いられている沖縄の問題も、本土からも声が上がり始めたと報じられていましたが、聞けば聞くほど戦争ができる国になっていると感じてしまうのはテレビの見過ぎなんでしょうか。

「え?また?」と毎日違う殺人事件が起こる日本ですから、イイ戦闘員がたくさんいるじゃん!とよもや思ってはいないんでしょうが、国内が殺伐としている中、世界平和も空々しく聞こえてしまいます。

「規制!規制!」と私達の生活を「マイナンバー」とかで丸裸にしてしまう作戦も反発を食らいながらも進行中とか。
聞けば、スイーツ大ブームとなれば「砂糖」も増税の対象になりそうだとか。

「規制」じゃなくて「寄生」でしょ?議員さん!?

議員さんたちが率先して丸裸になるために、GPS内蔵の議員バッジにしようなんて声は挙がりそうにありませんね。           


Posted by Nori at 19:48Comments(2)独り言

2015年06月09日

爾今

私は同世代よりも先輩・・・特に60歳代の先輩たちと酒席を共にさせていただく機会が多く、先日も60代後半のご夫婦(もう70代に突入しているかも知れません)と久しぶりにお会いし、私のバカバカしい話しと御夫妻の経験を元にした深いお話を聞かせていただきました。
こういう席でお会いする先輩たちのお話の中には、時にビッグマウス過ぎてヤンなっちゃう事もなくはありませんが、そういう先輩たちとは不思議とそのうち会えなくなります。
今回お会いした先輩は、弟さんに公私に渡り可愛がっていただいているご縁があり、何度となくお会いしているウチに親しくさせていただいているのですが、完全に私のコトを思い出すまでには少々時間がかかるので、いつも取っ掛かりは「あの時コーだった」「そんな話しをしましたよね?」・・・と、思い出をひも解くところから始まるのが残念といえば残念なのですが、印象づけられない私の未熟さなんでしょう。
いやいや、御夫妻のリクエストにより酒席にご招待いただいた事もあるわけで、そろそろ思い出しにくいお年頃なのかも知れません。

酔った席なので、モノゴトを思い出せない理由もアレコレともっともらしい言い訳で重ねますが、そんな話しの流れから本日のテーマに結びつく話しが展開されました。

「オレが好きな言葉の中にジコンって言葉がある・・・」
「え?ジコン・・・?」
「そうジコン・・・」

隣のオクサマも「また始まった・・・」みたいな顔をしながら寝ています・・・うなづいています。
ワルいクセで、手元のスマホで「ジコン」の意味を調べつつ、酔って忘れないように「メモ」をします。

「爾今」
「難しい字じゃないですかぁ!書く事もできないのに好きな言葉にするなんてインチキじゃないですかぁ」

話しは常に脱線方向なのですが、書けなくても好きは好きらしいことを力説します。

【爾今・・・今からのち。以後。】

類語には先々とか、先行き、後来、未来、行く先・・・ナンてのがあるらしく、「将来」とか言ってくれればわかりやすいのですが、「爾今」が選ばれればほかの言葉が安っぽく感じます。
おっしゃっている事は要するに「過ぎた事をすべて受け入れ、経験を活かし今後の自分の成長に代える」と、憲法9条並の拡大解釈のようなのですが、白髪混じりで元気に酔っぱらった先輩のお言葉ならスッと心に落ち響きます。

会社や上司の愚痴を並べて呑む酒場もあるんでしょうが、「食べなさいよ」と炙った絶品メンタイコを私の方にそっとずらし、ニコニコ笑っている偉大なる先輩の横で呑む酒は、看板以上のウマさを感じます。

テレビや若者たちが作り出す意味のわからない言葉に眉を潜めざるを得ない時代ですが、先人の教えの中からあらためて自分の在り方を導きだされるそんな瞬間がたまらなく好きです。

少しの酒肴と少しの酒。。。
爾今、小さなシアワセをたくさん感じられたらいいです。      


Posted by Nori at 17:57Comments(0)独り言

2015年04月29日

誕生日プレゼント

ゴールデンウィーク突入ですか?
連休中に仕上げておいて!という合理的なお客様のご要望にお応えし、仕事から離れられません。

すっかりアゴの治ったムスメ1号が、「誕生日プレゼントよ♥」とオフィスに現れました。
ずいぶん時期外れのサプライズですが、単に「忙しかった・・・」が理由のようです。
もちろんひとりでブラリと寄るはずもなく、毎度のコトながらもれなく彼氏と一緒です。

初めて彼氏とやらにお会いした日からどれくらいの日々が経った事か。。。
一緒に食事に行ったり、クルマを貸したり、季節毎のご挨拶を欠かさず心掛けてくれたり・・・いよいよナンの違和感も感じる事なく会えるようになってしまいました。
見るからに優しい風貌な上に、ホントに優しいらしいので信頼しているところですが、その昔、中学生になったムスメが色気づいて「クセっ毛を直したい・・」と言い出し、ストレートパーマだか縮毛矯正だか、泣いて拝むので仕方なく友人の美容室にお願いして通うようになり「オマエの心にもストレートパーマをかけてもらえ!」と美容室に行く度に言っていたほどのハネッ返りムスメを大事にしてくれているようなので、たいへん大きな心で二人の進展を見守っているところです。
「ドコの馬の骨かわからないようなヤツにムスメはやらん!」などと昭和のクソオヤジなら言うところでしょうが、聞けば彼氏のお母さんは私の中学時代の同級生らしく、先方さまは私をよくご存知のようで、「馬の骨」の所在はわかったようでわからないようなまるで知らない関係でもない事がわかると不思議と「縁」を感じたりもしています。
同級生だったお母様の写真を何度か見せていただきましたが、残念ながら中学生当時、ウンコやチンコでゲラゲラ笑っていた私には彼女の記憶はありません。

苗字(旧姓)をヒントに無理矢理たどった印象では美人グループの一員だったと思うのですが、今の写真も確かに美人さんながら、ナニひとつ思い出せないロクデナシです。

毎年必ず来てしまう「誕生日」とやらのおかげで、辛うじてだろうがイヤイヤだろうが、その日を気に留めてくれたムスメたちとの接点がある事は嬉しい事です。
同世代のムスメさんをもつ友人たちが羨ましがる事に気を良くしている単純な細胞は、今やヤマイに蝕まれる年頃ですが、こんなコトでもなければシッポを振って「オムカエ」についていくところです。
ムスメ2号と協力して用意していただいたプレゼントは、ムスメ1号の業界でしか手に入らない代物で、私を気遣ってくれたモノである事は言うまでもない上に、私を十分に満足させてくれるものでした。
ムスメたちもすっかり大きくなって、一緒に食事をするくらいしか思いつかず、イマドキのオンナの子が欲しいものなどわかったモンではありませんが、数ヶ月先の彼女たちの誕生日には久しぶりに何かをプレゼントしてみようかと密かに考えております。

彼女たちがセーラームーンやモーニング娘。なんかに夢中だった頃は簡単だったのに、このプロジェクトは思った以上にたいへんです。

感謝!  


Posted by Nori at 20:43Comments(2)独り言

2015年03月12日

最大800円

早起きは3モンの得・・・とか言い聞かされて毎朝のように叩き起こされていた少年時代。

家中探したって1モンすら見つかりっこない時代に、その教えはなぜか有効でした。

未だに早起きは得意ではありませんが、耳元で鳴るアラームには気づけるようになったようです。

早起きが3モン得するのであれば、寝坊は・・・

その日は朝一番にお客さまと会う予定で、8時には客先でミーティングが始まる事になっていました。
私鉄終点駅から徒歩でも10分ほどなので、電車で移動する事を決め込んでいたのですが、その日に限ってアラームが聞こえない日でした。
ヤな予感と共に目覚めて時計を見ると7時半。
「飛び起きる」とはよく言ったモンで、何日分かのパワーを溜め込めば本当に飛べそうなくらいの勢いで布団を抜け出しました。
約束の8時にはギリ間に合いそうですが、通勤中の人達をかき分けてバタバタと走ったり、電車が時刻表通りに来るかもわからない不安を考えれば、「クルマで行って近くの駐車場をさがそう」と大いなる賭けを思いついちゃいました。
ウロ覚えながら確か駅の周辺には定額のコインパーキングもあったはず。
早朝なら繁華街の駐車場も「満車」ってこともなさそうだと、誠に勝手ながら自分のモノサシですべてをシュミレーションします。

トーストを食わえる余裕などあるはずもなく、歯を磨いて寝癖をお湯で整えれば、目が覚めてから5分足らずでエンジンキーを回します。

世の女性たちのように顔や唇に塗るものがない上に、ブラの必要もないので、消防士並みの出動です。

一刻を争いつつも、普段なら同じ時間を自転車で走っている道をクルマで走るのは新鮮です。
自転車で走っている時のような季節感は味わえませんが、春が近いコトくらいは感じられます。
客先の近くまではあっという間に着いてしまいました。
「さて、ドコに停めるか・・・」

シティーホテルの近くにもあったような気もするし、焼き鳥屋の隣のパーキングでは反対車線だし・・・、そんなふうにキョロキョロしていると、「24時間最大800円」と大きく書かれた看板を見つけました。

銀行に隣接していて、銀行のお客さまなら短時間無料!的な文章もチラッと見えれば、益々安心なわけで、道の向こうに見える「最大600円!」も魅力的ではありますが、時間に追われている身分を考えれば「やむなし!」を選びます。

「10番」のところにクルマを停め、絶対出れないようにタイヤをロックされたのを確認し、先へ急ぎます。
何事もなかったようにお客さまと会い、ナンやらカンやらとネタもつきず、気づいてみればランチまでご馳走になって時刻は5時前です。

わずかばかりの利益のために1日費やしていれば決してラチがイイとは言えませんが、そんな仕事も積み重なれば、やっぱり大事な仕事です。

そして私にはナンてったって「最大800円」の財布に優しい味方もついているわけで、かかった経費の割にはマァマァの仕事になりました。

迷う事なく駐車場にたどり着き、精算機に「10」と打ち込むと、ナ・ナ・ナンと!「2700円」の表示が!
そのつもりで握りしめていた800円は、その手が3本あったとしても足りないことが判明します。

私のウシロにはスーツ姿の若い数人が精算を待っていて、うろたえ慌てる私は「オッサン!オセェンだよ!」と狩られる前に「取消ボタン」を押してその場を脱出します。
今更「看板」をよく見るのも恥ずかしいわけで、渋々言われた通りに精算し、あとから運営会社に怒鳴り込む作戦を思いつきました。
オフィスに戻り、コトの次第をアンジーに告げると、「あー!やっちゃったのね。。。、そんなトラブル多いみたいよ!」とナニやら関連する一件に心当たりがあるご様子。
「看板よく見た?」「ちっちゃい字で何か書いてなかった?」
私はこのオンナにナニかを教えてもらうことがあまり好きではありません。
しかもビミョーに上から目線で・・・。
それでも収まりのつかない私は、領収書の運営会社をネットで探していると、「あーダメダメ!裁判でも負けないように書いてあるんだからっ!」と、私のしようとしている行動が無意味である事を、やっぱりかなり上の方から教えてくださいます。
2700円あれば、釜平あたりならソコソコ楽しめる金額。
勉強になったと言うには惜しまれる失態。

後日こっそりネットで調べてみると、確かに私が感じたようなトラブルは少なくないようです。
最大800円だろうが600円だろうが一定の条件が整わないと実現しないようです。
何日早起きすれば取り返せるだろうか?と、さほど価値のナイ例えに使われる3モンを現代の価値に直せるはずもなく、二束三文のアタマをフル回転させているところです。      


Posted by Nori at 20:10Comments(2)独り言

2015年03月11日

捜索打ち切り

奥歯あたりに詰めてあった銀歯が取れてしまいました。
歯医者さんからはハイチュウやミルキーは禁止されていますし、禁止されていないガムやオンナ遊びさえも控えるようにしています。

その日の私は酔っていました。

ゲラゲラ笑って、ガブガブ呑んで、勧められれば断る事なく他人様のお料理までもバクバクいただいていたんだと思います。
「こういう生きざまは卒業しよう」とずいぶん前に誓ったはずですが、今日現在、そういう方向に向かっている最中だと思われます。

話しが盛り上がり、しゃべっている最中だったか、はたまたナニかを食べている時だったか、思いがけずはずれてしまった銀歯に気づくのと同時に飲み込んでしまいました。
撃沈・・・。
そんなキモチをオモテに出さないというか、出す事が許されない私は、作られた自分のキャラで数多くの難関を乗り越えて参りました。

・・・アレから1週間・・・。
最も信頼のおける「運び屋 Mr.BigBen」の協力のもと、来る日も来る日も辛く苦しい死ぬ気の捜索を続けて参りましたが、生存のタイムリミットといわれる72時間もとっくに過ぎた今、真に無念ではありますが雪解けを待つコトなく捜索打ち切りの判断をいたしました。

泣く泣く新しい歯を作ってもらうために歯科医院に行き、コトの次第をセンセに話すと、「歯が出てきたらどうする気だったの???」と、歯医者らしくもないバカな質問をされました。   


Posted by Nori at 19:39Comments(0)独り言

2015年02月11日

メリークリスマス!

暦通りに実施されるんだとしたら、今年のバレンタインデーは土曜日です。
学校も会社もお休みなら、ときめくオンナゴコロはどうなっちゃうんでしょう。。。
無駄にソワソワしちゃうオトコゴコロは、もしかしたら「土曜日」という大義名分にホッと胸をなでおろしているのかも知れません。
私には一切関わりありませんが、一年の中でもメジャーなビッグイベントをお菓子業界も女子たちも放っておくはずがありません。
チョコを渡しにくい土曜日に代わり、マナーという観点でその日を大事にするならば、「前日」が有力な振替日となるはずですが、その日は「13日の金曜日」。
根拠がないとは言え、不吉な雰囲気を拭いされないのが日本人です。
じゃぁ、月曜日?とすれば2日遅れでいかにもマの抜けたカンジで、クリスマスケーキなら半額以下で買える可能性もあるんだとすれば、チョコの付加価値も暴落しているような印象です。
「義理」でもらうチョコならば、もはや価値があるかどうかもわかりません。

だいぶ早いですが、いっそ今年は前倒しして「クリスマス」を先にやっちゃえば12月24日も25日も平日です。

それなら「恋人たちの聖(性?)なる夜」が2月14日に前倒しになることに反論などあるはずもないんでしょうし、猛烈な寒波が押し寄せる今なら、ホワイトクリスマスになる可能性だって十分あります。
12月の24日には、ばっちり会社や学校にチョコを持っていって「ドキドキソワソワ」すりゃぁいいんです。
どうせお菓子業界の陰謀ならどっちがナンの日でも一緒でしょう。。。

12月23日の「天皇誕生日」を若者たちは「イヴイヴ」などと呼んでいるようですが、そんな失礼極まりない呼び方も回避できる上に、キリストさんのすぐアトにお見えになる神様たちとのニアミスも回避できます。

つい1ヶ月ほど前に来てくれたサンタさんには申し訳ありませんが、1ヶ月も休めば疲れも取れているんでしょう。
町のイルミネーションもそこそこ残っていますし、これで問題解決です。

さっきラジオで「フラワーバレンタイン」なる企画を推進している「花業界」を取り上げていました。
女子から男子への流れは日本だけらしく、海外ではチョコではなく男子から女子へお花などをプレゼントする日のようです。
そういえばバラ生産農家である「バラ屋のクリチャン」は「ナンで”母の日”はカーネーションなんだ?」と、ずいぶん前から「バラ化」に失敗しておりますが、「牛乳は子牛の飲み物」だと言って一切飲まない人なので放っておけば大丈夫です。
あのオトコの事ですから「フラワーバレンタイン」の動きにも気づかずに、今日も酔っぱらっている事でしょう。
誰かの思惑のあるイベントをことごとく裏切らない皆様には、どーぞお楽しみいただきますよう心からお祈り申し上げます。

なんか、話しを広げ切れずいつもよりかなり短くまとまっちゃって達成感がありません。。。

追伸
皆様のイベントとは完全に無関係だとは思いますが、たまたまムスメたちがよりによってなぜか「チョコ」を先週末に条件付きでくれました。

・ありがたいキモチで食べるコト
・ホントに食べるコト
・絶対誰かにあげないコト
・3月14日に何らかの感謝のキモチをカタチにするコト

・・・皆さんのイベントとはナンの関係もありませんよね?        


Posted by Nori at 18:42Comments(4)独り言

2015年02月09日

異端の背教者たち

「邦人人質がテロリストによって殺害され、日本中が悲しみに暮れる中、言語道断で許し難い暴挙に日本の各地で大規模なデモが発生。数百万人を越える日本人が怒りを伴い集結し、テロ撲滅を訴えた・・・」

・・・とはなりません。。。
自国のパイロットが既に殺害されていたと速報が流れれば、その国では当然のごとく暴動まがいの騒動が起こり、フランスあたりでは1月に発生したテロ行為に350万人もの人々がデモを行い、アメリカでも根深い人種差別の中で警官が引き金を引けば、やはり全米規模で抗議デモが広がっているようです。

連日トップニュースで長い時間をかけ、報道されていたにも関わらず、同じ国民がテロリストに殺された事を、昨日どこかで起こった別の殺人事件や、少年法改正に挑んだツマヨージ坊やの名前も顔写真も出ない「少年法」にガッチガチに守られちゃった逮捕劇のような感覚で見ているのだとしたら、本当に日本人は「良識や分別のある国民性」なんでしょうか。。。
デモや暴動を支持するつもりはありませんが、私の周辺でも「危険な場所だとわかっていて好きで行ったヤツらを助ける必要はない」とか、「身代金は税金だろ」とか多くは批判的な見解ながらもそれ以上の行動に動き出す気配は全くなく、暖房の効いた部屋で高みの見物・対岸の火事、通りすがりの物見遊山のような時事ネタでしかなく、独立国家を名乗る人達に向け、爆竹イッパツをお見舞いする事もありません。
それどころかネット上では、オレンジ色の服を着た二人の真ん中に黒服のオトコが立つ「例の写真」の顔だけ変えて「オモシロ画像」としてアップしてしまう人達も少なくないようで、テロに屈することなく楽しんでいるようで、やっぱりヒトゴト・・・です。

既にトップニュースは別のモノに入れ代わり、いつも通りの2月です。
テロに関わる関連情報はあるものの、テレビの取り上げ方も邦人人質がご存命とされた頃とは明らかに変わり、憔悴し切ったように見える政府関係者の報道のアトには、台湾旅客機や、東京駅記念スイカが希望者全員に順次発送などと報じられていると、葬式会場で結婚式の話しをしているような違和感がありました。
もちろんチャンネルを変えれば、いつもと変わらずバラエティ番組がオモシロおかしく放送されています。

今回のテロリストによる人質事件の一連の報道に対し、居酒屋のカウンターで満場一致してしまう「人質」に対する見解をそのまま正直に書けば、たちまちネットの中だけの「正義の住民」から集中放火を受ける事は容易に推測できますが、世論のオモテとウラがこんなにも違う現実にいつもながら悲しいキモチになります。
公人でありながらテレビで「蛮勇」だと発言すればどうなるかはわかりそうなモンですが、私達と同じレベルでホントのコトを言う時には、理解を得られる言葉を選ぶべきだと誰かが言っていました。

日本には、好きで行った人達が事件に巻き込まれた一方で、思いもよらず他国の人間に拉致され、何十年経った今でも解決しない事件が存在します。
政府をはじめとした関係者たちが夜を徹して「救出」に尽力した今回のテロ事件を、「拉致被害者」の家族の皆さんはどんなふうに見ていたんでしょう。
何十年も前の拉致事件を解決できないのに、昨日今日の人質事件に日本中が注目した事に感じるモノがあったんじゃないかと胸を傷めます。

「拉致事件」は、ナイフこそチラつかせないまでも、ある意味テロには違わないんでしょうし、れっきとした人質事件です。

国会でも「人質救出」に伴う交渉の経緯を追求する答弁がされていましたが、国家機密を公に回答しないで済む法律は成立済みです。
米軍基地の腹案なき県外移設も、福島原発事故の放射能が人体に影響のない事も、堂々とテレビの前で政府が発言してきた事を思えば、思いつきだろうがウソだろうが、事実と違う見解を国民に向け発表できる政府です。
今回の人質事件が報道されている通りだとしたら、関係者が一丸となって夜を徹する「救出作戦」に挑んだんだと思われますが、どこまで「救出」に近付けたのかはわかりません。
万一仮にもナニもしていなかったとしても怒りの矛先が、政府に向くことはないんでしょう。

国際世論に対し、「異端の背教者」と強調し、あの手この手でテロ集団の壊滅作戦が実行されるのかも知れませんが、空爆映像の先には悪人だろうが「人間」がいることを、テレビゲームのような爆発シーンを見ながら想像する事は難しそうです。

「悪」とされる集団も、それを阻止したい人達も、どちらの言い分も「平和」を掲げているようで、平和に向けた殺し合いが引き続き繰り替えされる中、すっかり影の薄くなったヤンチャな北の坊やが、厄介なイタズラを思いつかない事を祈ります。

昔、兄弟ゲンカばかりしていた私達オトコ3人兄弟に、「アンタたちがギャーギャー騒ぐからオニイちゃんはオモシロがってチョッカイ出すのよ!」と弟たちが母に怒られていたのを思い出しました。         


Posted by Nori at 21:54Comments(0)独り言

2015年01月12日

日本チン没

全国的にほとんどの市町村で昨日「成人式」が執り行われたとのこと。
「成人式」をやらない「成人の日」なんて、「クリープを入れないコーヒーのようなもの」。
祝日が増えるのは結構なことですが、かなり大胆に無視される「成人の日」は何をする日ナンでしょう?
で、何十年も前に話題になった「クリープを入れないコーヒーなんて・・・」につながる名フレーズを思い出してみようと頑張ったのですが、私のその部分の記憶システムは欠落している模様で、どうしても「女性のいない世の中のようなもの・・・」から離れられません。

「気負わず、無理せず、ハミ出さず・・・」

今年の新成人の意気込み・・・らしいデス。
文字だけ切り取って、その辺に置いておけば「うつ病」患者へのアドバイスのようにも読めなくもありませんが、日本を背負って社会へ飛び出す人達の「傾向」だと聞けば、ナンとも淋しい限りです。
この超内向き志向は、安定志向と読み解くこともできるのかも知れませんが、他社との差別化を図りながらシノギを削る企業にとっては、むしろ後ろ向き志向で足を引っ張るかもしれない「志」を持った若者たちの進出を、どう捉えたらいいか悩むところでしょう。
世は、ウソかホントか人手不足で若者たちにとっては久しぶりの就職氷河期脱出だとか。。。
自分の価値も分からず「人手が必要なんですよね!」なんて態度で就職活動をしているんでしょうから、足元を見られて企業側も譲歩せざるを得ないのかも知れません。
「今晩、呑みに行くか?」と上司が誘えば、「それは残業ですか?」と答える若者たちがついさっきまでいたはずなのに、もしかしたらそれ以上の戦士たちが登場するのかも知れないと、この町で名のある社長さんも嘆いていました。

かといって、「ありま~す!」なんてキラキラしたオメメで堂々と世界に向けて間違いを発表しちゃう勇気も、ツイッターで知り合った未成年のムスメを抱きしめちゃう学校の先生の相変わらずの無法ぶりも、ハミ出しちゃったといえばそうなのかも知れませんが、ココまで来ると、ある意味そういうバカげた「出る杭」は、決して誉められたことではないにしろ、人間ぽいと言えなくもないような気もします。

「新人類」と呼ばれた私よりも少し若い世代が「無気力・無関心・無責任」の三無主義などと定義付けられ、直後には 「無感動・無作法」まで加わって五無主義とまで日本中が憂いたはずの時代から十数年が経過しているのに、「気負わず、無理せず、ハミ出さず」と、当人たちが言ってしまう現実をあっさり認めて報道したりしちゃうんですから、当時風に言えば社会全体が「シラケ」ていることを容認してしまったと言うこともできるのかも知れません。

自身の成人式を思い起こせば、現在のような「自由参加」的な発想は全くなくて、「参加するもの」だったような気がします。
当時は清水市(現静岡市)全体の合同成人式でしたから、散々モメた他校の生徒との久しぶりの再会が前提で、多勢に無勢では母校のメンツもつぶれてしまう!と、頼まれもしない無駄な母校愛を引っさげて必然的に参加を決めていました。
そんな思いとは裏腹に、卒業してから二年も経っていれば、懐かしい顔ぶれに意外にも大人を困らせるような事態に発展することはありませんでしたし、就職組だった私にとっては、にっくきアイツも取引先だと分かれば、握るのはコブシではなくて相手の右手だったりします。
思わぬカタチで和解が成立すれば、そもそも根拠などあったかすらわからない対立関係は即座に解消され、アイツはナントカ会社で総務にいるぞなどと、わずかばかりの人脈が芽吹く場面もありました。
もちろん、私達のような熱き思いがなくとも成人式っていうものには参加するモンだと言う風潮がしっかりとあったような気がします。
その夜は、気の知れた友人たちと胃袋の中身を何度もカラにしながら、記憶のナイ若気のいたりを楽しんだんでしょうが、記憶がない以上書き連ねるエピソードもありません。
それでも動機はナンであれ、私ごときでさえ「成人式」という「儀式」には一定の存在感も感じていましたし、大人になるための登竜門という意味合いに、意義や価値を感じていたことは事実です。

いつからか、自由参加のスタイルの方が一般的になってしまえば、今年成人式を迎えるはずのアヤちゃんたちもあっさり「参加しない」を選んでしまいますが、後ろ髪を引かれる様子もなく、おじいちゃんたちを納得させるためだけの着物を着て、写真スタジオで「前撮り」と呼ばれる撮影をして終わりなんだそうです。

昨年、「ナンとしても母校での成人式を!」という声に応えて、アレほどまでの苦労をして静岡市主催の「成人式」とは別に「地域(学区)開催」の成人式を実現したのに、新成人からの協力要請はあったものの、ご本人たち自身の熱意はそれほどでもなかったのか、オカネさえ払えば誰でも借りられるセレモニーホールでの開催となってしまったことも、ハミ出さない成人の意気込みと重なり合うのかも知れません。
スポーツ選手を筆頭に若者の大活躍が何かと取り上げられますが、それはごくごく一部の人達で、若者たちの意識においても「格差」は広がっているんでしょうか。。。

オトコ目線でヒトコト言えば、リスクの大きな「ナンパ」より、より合理的でリスクを最小限に抑えられる「合コン」なんてものが男女の出会いの主流となっているのだとしたら、もはや本能自体が私たちのものとは違っているのかもしれません。
股にぶら下げた「ド根性」も、使わないなら邪魔なイボとナニが違うのか、今一度握り締めご一考いただきたいと考えます。
私の周辺にいる大学生をはじめとした若者たちは、まだまだとっても元気に見えますが、そんな「五無主義」のような風潮が根付いてしまえば、自然の猛威に押しつぶされるまでもなく、日本沈没の予感です。  


Posted by Nori at 19:20Comments(0)独り言

2015年01月08日

うつ病完治

いつからか、体調の不具合を感じると、病院に行く前にその症状をパソコンに入力し、どれほどヤバい状態なのかを調べるようになりました。
カゼやモノモライならその限りではありませんが、カラダの中の鈍痛的なものは素人が判断できるはずもなく、それが続けば不安になる年頃としては真っ先に「検索」することを思いつきます。

ネット情報をドコまで信じるかは別として、ある程度のヤバさがわかれば逆に「この程度か・・・」と病院に行かないこともあるわけで、どんなヤマイでも早期発見を促す厚労省さんの意に反して、手遅れになる危険と背中合わせに生きているのかもしれません。

検索結果は検索ワードによって変化しますが、調べれば調べるほどそれらしい症状がヒットして、どんどんヤバさは膨らむ一方ですが、心当たりが多過ぎる私としては、どのあたりで検索をやめるかというのも課題といえば課題です。
背中あたりに感じる鈍痛も、左脇腹あたりといえばそんな気もしますし、息が白く見えるほどの寒い朝に目覚めたのにも関わらず、寝汗をかいていれば、呑み過ぎたせいなのか、カラダの不具合なのか、はたまたいつもの悪夢のせいなのかと、選択肢が増えれば、最後は「精神疾患」に結び付けられてしまうこともないわけではありません。
たとえ「精神疾患」と診断されても、昔ほど深刻な病状ばかりでなく、鉄格子付きの病院で治療が必要な患者さんはごく一部なんだと思われますが、聞き分けもなく、ワガママ放題な幼少期を過ごした私は、両親によく「施設に入れちゃうぞ!」と脅かされたものです。

私の周りには「うつ病」と診断を受け、投薬治療を続けている人が数名います。

私が知っている彼らは、その日の症状の程度によって休暇や欠勤を選ぶこともあるようですが、長期に渡り寝込むこともなく、基本的には出勤し、いつもと何ら変わらない状態で生活し、接してくれます。
しかし、「うつ病」であることを宣言している以上、こちらは言葉を選びますし、彼らの発言には注意深く耳を傾けます。

「毒舌」がウリの私にとっては簡単なことではありませんが、彼らは刺激が欲しいのか、もっともそばにいちゃいけないはずの私と一緒に居たがり?ます。

それで元気になってくれるなら結構なことですが、医学的な裏づけもない私による作用が長期的に彼らに与える影響など分かるはずもありません。

かくゆう私自身も、それらしい症状を感じることもあり、精神科だかクリニックだかにかかれば即仲間入りできるような気もしますが、持って産まれたノウテンキさからなのか、今のところ関連病院のお世話になる予定はなさそうです。

彼らが口を揃えて言うのは「性欲減退」です。

「オンナは灰になるまでオンナなの♥」なんて聞いたことがありますが、オトコだって歩く度に揺れるオイナリさんの中のボールがせっせとオタマジャクシを生産するらしく、それはこの先ずっと続くとか。。。
だったらオトコもオンナも一緒なわけで、生物学的に言ってみても決して私ばかりがエロエロと下品と言うことではなさそうです。
しかし創造主は永遠の性欲を与えつつ、体力を奪ってしまうことを思いつきましたから厄介です。
寝たきりになっても尚、性欲ばかりが残っている自分を思えば、不憫でなりません。
それとも、そうなれば歩けないからブラブラできずに生産中止ということなんでしょうか。
食べたいのに食べれないのであれば、それはオシオキ以外のナニモノでもありません。
話しが逸れましたが、病気とはいえ「性欲減退」は悲しいことです。
減退著しい先輩に「観るだけ観てみなよ」と、手元にあったHなDVDを貸してあげることにしました。
「こんなにぃ〜っ!?」と驚いたかどうかは秘密ですが、たくさん貸してあげました。
インターネットのとってもHなサイトも教えてあげました。

アレから数カ月。

久しぶりに会った先輩はクスリの影響なのか、ちょっとむくんで見えますが、本人曰く「元気」なんだそうです。

とはいえ、50過ぎのオッサン同志の「元気」ですから、知れたもので、同世代の皆さんが入院したりお亡くなりになってる事実を直視すれば、尚更です。

「ちょっと心配事が・・・」と先輩が切り出します。
「うつ病」を宣言している人の心配事ですから、ココから先は身を正し、ちゃんとマジメに聞くことにします。

「はるチャンに教わったHなサイトから、たくさん動画をダウンロードしちゃってるんだよねぇ。。。、作品の容量が大きいので、ハードディスクもデカくしたのよ。部屋には借りたHなDVDもたくさんあるしょ?オレに万一の事があったら家族に見つかっちゃう。。。どぉしよ〜。。。」

もうひとりの「うつ病患者」と名乗るオトコは、最近外国人パブ遊びを覚えて、皆勤賞なんだそうです。
彼曰く、「生きる活力」になっているようで、病院のおクスリより効くらしいデス。
本日は病院に行くのをやめて、愛しのあの娘と同伴中だと、先ほど連絡がありました。

ある意味、私よりもよっぽど「心」の強い彼らはもうすぐ完治するんでしょう。
私の方が「うつ病」の症状は重いのかも知れません。          


Posted by Nori at 19:18Comments(0)独り言

2015年01月05日

キセルと煙管

”キセル”と聞いてどれほどの若者がその意味を知っているんでしょう。

夕方、電車に乗りながら「昔はそんなイタズラやったなぁ。。。」と、ふと思いました。
なぜそんなことを思いついたのかは不明ですが、思いついちゃったんですから仕方ありません。

小学生にそんな知恵があるはずもなく、きっと誰かに教わったんでしょうが、静岡の繁華街と、清水の繁華街をつなぐ私鉄で、何度となく悪意のナイ度胸試し的な意味合いで、不正乗車をしていたことを思い出しました。

隣の駅までキップを買い、隣の駅を通り過ぎ、4駅先の終点で降りる時には「キップを落としてしまった」と駅員さんに言うと、改札を通してくれる荒技で、超ドキドキ感を味わった事を覚えていますが、今思えば、ひとりでやった覚えはなく、3~4人が全員キップを落としてなくしてしまうわけですから、寛大な駅員さんに感謝しなくてはなりません。
現在の料金制度を参考にすれば、得する金額は10円です。
10円得するために小さな心臓を過酷に痛めつけた過去は、”子どものイタズラ”とはいえ、金額云々ではなくやはり反省しなければなりません。

母方の祖父は海軍上がりの寡黙な人でした。

お相撲さんのような体系で、いつもお風呂用の薪割りをしたり、趣味だったのか、熱帯植物のビニールハウスの中で、大きく育った名前も知らない植物の世話をしていました。

それでも時間が余ったりすると、どこからか自転車を拾ってきては、修理をしてはキレイに磨き上げ、落ちていた場所にまた戻す変わった趣味の持ち主でもありました。
盗まれたんだか、酔っぱらって乗り忘れたんだか、そんな自転車をよくも次々と見つけるもんだと、不思議でなりませんでしたが、寡黙な祖父が拾ってくるまでのイキサツをベラベラとしゃべるはずもなく、「イイコトをしてる人なんだ。。。」とただただ修理するのを眺めていた記憶があります。

すっかり見違えちゃう仕上がりで、元の場所に戻された自転車は「果たして持ち主の元に戻れるのか?」なんてことには決してこだわらない寡黙な軍人です。

NHKの相撲の時間になると、すべての作業は終了です。
やっと座ったテレビの前で、大一番までの時間はチラチラとテレビを見ながら一服です。
祖父は煙管(キセル)を愛用していました。
刻みタバコをキセルに詰めて、オイルライターで火をつけ一服二服。。。
吸い殻をトントンと灰皿に落としたら、キセルの掃除が始まります。
細長い針金を芯にして、紙を器用にコヨリ上に巻き付けると、キセルの両端の金具をはずし、丁寧にヤニを取り除いていきます。
几帳面だったんでしょうが、オイルライターも隅々まで磨き上げます。
とても時間をかけてキレイにすると、喫煙具を入れる木箱にしまい、終わりです。
一日にたった一服。
おクスリ感覚なのか儀式なのか、ヘビースモーカーの私にはとても理解できないことです。
そればかりか、お酒も毎日きっちり一合。
盆暮れに親戚が集まる機会があっても、「好きなだけ呑んでけ」と言って一合呑み終わったら布団に行ってしまいます。
記憶がなくなるまで意地汚く呑んでしまう私には、その意味すら分かりません。
私が社会人になった頃には亡くなってしまい、おじいさんの様々な謎は迷宮入りですが、大人の振る舞いとしてはかなり個性的ではあるものの、ちょっと真似してみたいとかなり前から思いつつ、このありさまです。

実は先日の寒い夜。
ハエ以上に手をこすりながら肩をすぼめて入った居酒屋「達磨」で、「熱燗にしようかな。。。」と「一合酒」に初チャレンジしてみました。
もちろんそれを呑んだら帰る覚悟です。
北極でも「とりあえずビール!」と言い兼ねない私が「アツカン」なんてヌカシたモンですから、母さんも一瞬「え?」となりますが、当日の寒さを思えばすぐさま「一合?二合?」とまさかの質問をしてきます。

パニくる脳みそが回転し切った結果。。。

「二合で。。。」

ゴクゴク呑んでお代わりし続けたことを告白します。
まだデビュー仕立ての練習中ですので、あたたかく長い目で見守ってください。

「キセル」は不正乗車を指す言葉ですが、両端が金具でできている煙管(きせる)にかけて生まれた言葉で、間の竹の部分(通過駅)をごまかして入り口と出口だけ金(カネ)を使うことからそんな呼び方がされるようになったようです。
もちろん犯罪行為で、現在の自動改札ではほぼ不可能だと《ネット》に書いてありました。  


Posted by Nori at 20:49Comments(2)独り言

2015年01月04日

就職活動

Q.今日は1月1日ですか?
A.昨日が大晦日で、明日は1月2日。元旦とか元日とかいう言い方もできる日です。そもそもこの日は・・・

「今日は1月1日ですか?」と聞かれたら「そうです」と答えることもできそうですが、新年早々朝まで放送されたナマテレビで、さすがに質問内容は違いますが、核心をつく司会者の質問にのらりくらりと「はいそうです」と言えない政治家の答えは、まさにこんなカンジでした。
司会者がシビレを切らしながら、「はい」なのか「いいえ」なのか!と、同じ質問は何度も繰り替えされましたが、明確な回答は得られませんでした。

政治家流のどうにでも解釈できるような言い回しは、今に始まったことではないのでしょうが、それゆえに私達には正確な方向が伝わりませんし、ご本人は正確に理解されているのか言葉の端端に出てくるカタカナ語がさらに発言を難解なものにしてしまいます。

もっと言ってしまえば、圧倒的多数を誇る与党議員も、最大野党も各党の方針や、他党との差別化を明確な言葉で表現することさえできませんでした。

もちろんこれは無知な私の個人的見解に過ぎないのですが、丁寧な説明を!と繰り返す政治家なら、何時間も放送されるテレビの前で、私にもわかる丁寧な説明をしてもらえたらよかったのにと感じました。

過ぎてみれば解散衆議院選挙は間違いなくあったはずなのに、何事もなかったようにいつも通りの日常です。
それまでは交差点の角で、拡声器を使って早朝から師走の町で、忙しく走り去るクルマたちに向かってアタマを下げながら厳しい顔で演説する候補者の姿も見当たりません。
開票が済んでしまえば昨日の事もすっかり忘れ、国民の多くはクリスマスに向かってまっしぐら・・・ってトコだったのではないんでしょうか。
一昨年の今頃はバナメイエビで大騒ぎだったことも光陰矢のごとし・・・です。

国民の義務だと誰かに教わって来たせいで、選挙には欠かさず行くようにしています。
投票日に行ける時ばかりはないので期日前投票を利用することもあります。
平日の投票は、人影もまばらで、それでいて「義務を果たした感」も味わえるので嫌いではありませんが、今回の衆議院選挙ではどうしても期日前投票ができず、当日までシラックラと先延ばししてしまいました。

大義なき選挙・・・。
代議士の就職活動・・・。

地域の代表を選びたい人達は、大企業や名のある名士ばかりで、どんなに消費税に反対したって、賃金アップを望んだって、もっと言ってしまえば困窮した生活を訴えたところで、聞いてくれる耳はなく、年の瀬に追い詰められて自らの命を絶った知人の知らせに鳥肌が立つ現実さえも、離れでスキヤキを食べている人達にはわからないのかもしれません。
自然災害にしろ、海外からの脅威にしろ、山積した課題があることをわからなくもありませんが、解釈を変えてはぐらかしながら進んでいく日本丸のクルーたちは、未だに身を切る改革には積極的ではないように感じます。

およそ半数の国民が今回の選挙には参加していません。

私の友人たちの中にも、子どもとディズニーランドに行くとか、その日はサッカーの大会があって・・・と、「投票しない理由」は様々ですが、50そこそこの大人が期日前投票を知らないとは思えませんし、批難こそしないものの投票しない理由としてはかなりオソマツな話しです。

投票日だったその日、私も実は棄権をするかどうか迷っていました。

ディズニーランドもサッカーもありませんが、政治家たちのご都合主義の「選挙」に対する反対行動をとってみるのもアリかなと、心が揺れました。

選挙権をいただいてからこっち、どんな選挙でも参加してきましたが、今回の選挙はいつもとは異質なカンジがしていましたし、デキレース的な要素を含みつつ、与党信認を押し付けられるような気もしていました。

で、私は「清水からなら買いにくりゃイイじゃン!」というおばあさんの声に背中を押され、「塩ガツオ」を買うために伊豆に向けクルマを走らせました。
意を決したのは、昼過ぎで、片道3時間程度なら夕方には戻れる計算ですが、道中ドンな楽しいハプニングが起こらないとも限らず、たぶん出発の時点で「棄権」を選んでいたんだと思います。

「塩ガツオ」をゲットして車内に充満したナマ臭いカツオの香りと共に自宅に到着したのは7時40分頃でした。
自宅から徒歩一分ほどの投票会場では、「投票は8時までです」と大きな声を出している関係者の姿を見ての到着です。

「間に合っちゃったか。。。どぉすっか。。。」

迷った時には「ヤル」を選ぶ私は、気が進まないながらも小学校の体育館に向かいました。
案外ギリギリの時間に投票する人が多いのにビックリします。
早朝から寒い体育館を離れられずにいるスタッフの皆さんもお疲れ気味で、この人達を思えば「来てよかった」と思えたりもします。
投票を済ませ、自宅に戻りシャワーをあびてテレビをつけたのが8時半頃。
私の選挙区では既に当選者が決定していました。

「え?今投票したばかりなのに?」

私の投票用紙がカウントされたとは思えず、迷った挙げ句、投票行動をした私としては、かなり拍子抜けなカンジがしました。
どうやら出口調査なんかの情報を元に、当選確実を決めちゃうらしいのですが、間違いなく最後の一枚まで開票し、数えている大勢の人達がいるわけですから、早々に出た結論を横目に、深夜に及ぶ消化試合に達成感もないのかも知れません。

選挙結果が早々に出ることで誰が得をするのか分かりませんが、6時過ぎから特番を組んでテレビの前に国民を貼り付かせるテレビ局だって、できるだけ長く視聴率を稼ぎたいはず。

実際の開票状況を伝えながら、デッドヒートを演出することだってできるはずなのに、あっさり答えが出てしまうのであれば、削ったその場でアタリがわかっちゃうスクラッチくじとナニが違うのかもわかりません。
いつも同じ思いを書きますが、便利を選んで失うものがもしかしたらとても大事なものかも知れません。

選挙は「アタリ」とか「はずれ」ではありませんが、政治離れ、選挙離れが深刻なんだとしたら、もう少し投票した人達に「価値」を味合わせる工夫も必要な気もします。             


Posted by Nori at 21:39Comments(0)独り言

2015年01月03日

愚かであること

お年賀を持って「彼」が来てくれました。
私ごときにお気遣いいただきありがたい限りですが、思いがけないご訪問にこちらは何も用意していないわけで、残りわずかとなった「塩ガツオ」の切れ端をお父様の「酒の肴」にもらってもらいました。
本人の資質なのか、ご両親のご教育の賜物なのか、節目のごあいさつを心掛ける若者の姿勢には感心します。見習わなければ・・・。
「彼」は、いわゆるムスメ1号の「彼」なわけで、私も気づかない内に緊張感ゼロの関係がいつの間にか成立しているようで、今さら昭和のガンコオヤジを演じることもできず成りゆきを見守る方向です。やってみてぇ~・・・ガンコオヤジ・・・

私は彼らの歳には結婚を決め、その段取り中だったか、もしかしたら結婚してたかも知れません。
となると、私達が当時していたようなことはすべて許諾の範囲内ということになりますが、この歳になってその現実に直面した時、大人になったとはいえ、まだまだ子どもに見えるムスメの事を思うと、その心境は複雑です。
すでに奇しくもおじいちゃんとなってしまった同級生は、孫の写真をフェイスブックのプロフィール写真にしたり、(ぁ、フェイスブックは退会手続きが完了しました)持ち歩いたりして目尻も下がり気味なのを見るとドン引きですが、いざナマのお孫さんと対面させられれば、ソリャうらやましいキモチがないわけでもありません。

無理矢理封印してきた我が身の新婚生活を思い起こせば、それまで独り暮らしはおろか、同棲生活などしたこともない私の家に、朝から誰かがいるわけで、2世帯住宅とはいえ、両親とは独立した空間で、マナ板がトントン鳴ったり、私ではない人間がトイレを使ったり、風呂で鼻歌を歌ったり・・・
目が覚めて窓をあければ、洗濯物がベランダに干されている光景は、心地いいと言うよりはなんだか不思議の連続に感じていたことを思い出します。
そのベランダには、いつからかプランターに植えられた花があったりすると、たまには水掛けをしたりもしたような気がします。

世で言う「嫁姑」のイザコザに、嫁の背中が揺れていればスクランブル発進し、母に核ミサイルを何発も打ち込んだりもしました。
おかげで「嫁姑」間の深い溝が深まれば、嫁は私に真実を打ち明けることを避け、自らが強くなる工夫を始めたような気もします。
20代半ばの私は、まだまだ血の気も多く、いろんな解決方法を見い出すことができませんでしたから、和解よりも鎖国を正しいことだと思っていましたし、いきなり姑風を吹かしたり、ムスメ1号が生まれてからは、押し付けるように経験を伝達する母のやり方には「イマドキなんだから!」と、ほ乳ビンを煮沸消毒することなく、漬け置き洗いの「ミルトン」を使ったり、「布がイイのよ」と言う母に抵抗して紙オムツもゲリラ的に使ってきました。
経済的にも決して潤沢ではありませんでしたが、私の飲み代もクルマの頭金もどうやったのか、それなりに不自由な暮らしを感じることはありませんでした。
それでももちろん、二つ返事などあり得るはずもなく、必死の説得があったことは隠しませんが、何となく実現する方向は少なくなかったんだと思います。

今の若者たちは、私達が暮らしてきた時代とは景気に始まる社会情勢も価値観も違う中、なかなか結婚に踏み切れない人達や、結婚は現実的ではないと考える人達もいるようです。
実際、「結婚てナニ?」なんて聞かれれば、若者を説得できる自信はありません。
愛や恋の延長線・・・
鼻で笑われてしまうのかも知れません。

少し前に見たテレビで、「日常を切り取る天才」といわれる「吉野弘」という詩人の生涯を紹介していました。
本日のブログの落としどころが見当たりませんので、氏の詩を紹介させていただきます。
「吉野弘」氏は著作権に関して独特の見解を持っていらっしゃるようなので、それに甘え、全文掲載します。

【祝 婚 歌】
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい


「星の王子さま」の作者であるサン・テグジュペリが残した「愛、それはただ互いに見つめ合うことではなく、ふたりが同じ方向を見つめることである」という言葉を思い出しました。  


Posted by Nori at 19:51Comments(2)独り言

2015年01月02日

おせちもいいけど・・・

今年もまた解体の時期を迎え、少しばかりの身を残し、すっかり骨だけの状態になっています。

こういうモノを考えつく先人たちには常に敬意を表していますが、「モノがない時代」であることに気づくこともなく、目の前にあるモノを有効に活かす知恵には本当に恐れ入ります。
一方で、「モノがある時代」であるはずの現代では、ペヤングが棚から姿を消し、食ったって死にゃ~しないアルヨ!と、マックの関連工場のずさんな生産体制が問題になったりもして、その後の経営にも影響を与えたりすることもあるようです。
実際、ずっとアノ体制だったんでしょうから、床に落ちた原料を元に生産されてきたにもかかわらず、「オイシイ、オイシイ!」と私達の口に入り、大きな健康被害も出ていないのだとしたら、あそこまで大騒ぎにする必要もなかったのかも知れませんが、ニュースや動画を目の当たりにすれば放っておくことができないのは必然なのかも知れません。
知らなきゃ通り過ぎていたことが、思いある人の置かれた立場によって世間にさらされてしまう危険と背中合わせの経営者は少なくないのかも知れませんし、食品を取り巻く環境で働く人達の中には、「次はオレだ!」と手ぐすねを引いている人もいるのかもしれません。

で、「塩ガツオ」を解体してみました。

「塩ガツオ」は全国一の”かつお節”の名産地である西伊豆の田子(たご)漁港で古来より伝えられる加工方法により、作られる保存食で”新巻き鮭”のカツオ版のようなものです。
カツオ1本丸ごと塩漬け乾燥バージョンと言ったら伝わるでしょうか。

「塩ガツオ」ショウガツウオ、正月用・・・と語呂合わせの縁起物です。

家庭ごとに味が違う韓国のキムチがそうだと認識していますが、加工所により加工方法は異なるようで、ソフトなタイプもあれば、カッチカチのバージョンも存在し、好みによってお好きなタイプを選ぶこともできるようです。
例年ならば、通販で済ませてしまいます。

オフィスに届く「塩ガツオ」はソフトタイプで、保存食だし大丈夫とはいえ到着後、ベランダで1ヶ月ほど寒風にさらして乾燥を促しますが、伊豆あたりの潮風とは違う環境の中で、素人が満足するほど私が知っている「塩ガツオ」のようなカチカチ感は再現できず、賞味期限を勝手に心配し、最後は慌てて食べまくる始末です。

年末になると店内にぶらさげて年明けにお客さんに振る舞っている居酒屋「達磨」の大将に入手ルートを教わり、「たぶん通販できる」はずだったのですが、問い合わせてみると、電話口のおばあさんが「送れるよ!」とは言うものの、「代引ぃ?」「振込先ぃ?」となかなか話しが伝わらず、その後も何度か電話をかけ直してみましたが、同じおばあさんなのか、毎回話しが進まず、「清水からなら買いにくりゃイイじゃン!」と言うことで、12月の中旬の暴風の中、クルマを走らせました。

清水からなら伊豆に渡るフェリーもあるのですが、急ぐ旅でもない上に、「塩ガツオ」のために散財する余裕もなく、陸路をポコポコと行くことを選びます。

ナビのお姉さんに連れられて仰せの通りに進むのですが、途中から景色がおかしくなり、異変に気づいて知ってる道に戻ったりしている内に、結局3時間半もかかって田子の町に入りました。
資料やウワサでは、名産地らしくアチコチの家の玄関や軒下には「お飾り」をあしらった「塩ガツオ」がぶら下がってるはずなのに、道路沿いの民家は少なく、ただただ海から強烈に吹き付ける強風にアオラレながら目的地に到着します。

加工所ではなく販売所である目的地はとっても小さなスーパーです。
入口から入ると隅から隅までちゃんと見通せるほどの小さなスーパーで、その昔、ウチのそばにもあったような八百屋に自動ドアがついた懐かしいニオイのするスーパーでした。
食料品のほか、日用品も売られているようなので、なかなかコンビニなんかも見つけられないこの町ではとても重要な役割を果たしているスーパーなんだと思います。
鮮魚コーナーと言えるほどではありませんが、その一角に発泡スチロールにゴロゴロと入った「塩ガツオ」をすぐに見つけることができました。
いやいや、縁起物なんですから、もっとありがたいカンジで、ウソでも「塩ガツオ」コーナーを特設して、欲を言えばぶら下げて売っていて欲しかったと言うのが率直な感想ですが、「どれでも好きなのを持ってケ」的な発泡スチロールには大きめの細長いビニール袋もぶらさがっているので、「コレに入れてレジまで持って来い」と言うことなんでしょう。
丸々太ったカツオを選び、ビニール袋に入れレジまで持っていくと「アンタ、こんなの食べたら血圧上がっちゃうよ」と、親戚のおばちゃん口調で馴れ馴れしく助言してくれます。
どうやら、縁起物としてありがたいものだと思っているのは私達ばかりで、古来から受け継がれてきた製法とかイイながら、古来過ぎてこの町では案外悲しい扱われ方をしているのかも知れません。
そもそも保存食なのですから、元旦だろうが大晦日だろうが、何でも手に入る時代にわざわざ干物を食べる必要はありません。

私達が知っている「おせちもいいけどカレーもね」とか言ってた時代から考えてみても、パスタだろうが牛丼だろうが正月に食べるものは溢れかえっている時代です。

「おせちつくらなきゃ!」と言っていた母の事を思い出しますが、「買ってきた方が安い」というのも母の言葉でした。
冷蔵庫があって、休まず営業する店もある時代に、古来の習慣や製法もオモシロイもの、珍しいものになっていくんでしょう。
解体した「塩ガツオ」は友人や弟たちの手に渡り、少しの身を残し骨ガツオになりました。
どれほどありがたくいただくのかは定かではありません。。。

さきほどコンビニに行ったら、「恵方巻き」の予約が始まっていました。
クリスマスケーキ、ローストチキン、おせち、恵方巻き・・・宗教を超え、忙しい国です。          


Posted by Nori at 21:40Comments(0)独り言

2015年01月01日

一年の計は元旦にあり

Happyなカンジはしませんが、「1月1日」こればかりは平等に私のところにも届いております。
数時間後には「1月2日」が無事届くはずです。

ちょっと書いてはやめ、また新しいネタで書き始めるのに、やめ・・・
ブログひとつも完成させられず、そんなことを繰り返している内に、2014年も暮れてしまいました。
今さらクリスマス云々という歳でもない上に、忘年会という名の飲み会もめっきり減り、ただただいつもの日常を過ごす日々を、そろそろ淋しく感じる努力を始めないと、つまらないだけのただのオッサンになってしまいそうです。

私自身には何の変化もないクセに、12月と聞いただけで、周囲の慌ただしさからか急かされるようなキモチになるのは、毎年の事ながらあまり好きではありません。

日に日に昨日までバカバカしく楽しかったことも、一歩も二歩も引いて見守っている自分に気づくと、暗い夜空に星を散りばめて、片隅で優しく輝く小さな星をプレゼントする魔法も今はもう使えそうにありません。
ピーターパンのように空を自由に飛びまわることもできないんでしょう。

久々の友人からのお誘いの電話で「元気ぃ?最近ドォよ?」と聞かれれば、「悪夢続きで寝汗がトマラナイ・・・」とか、「ウブゲも白くなり始めた・・・」と言っているようでは、とても健康とは言えないんでしょう。

で、昨夜はゴヒイキの居酒屋さんはすべて休業となってしまい、無理矢理パソコンの前に座って、1ヶ月以上もサボってしまった昨年最後のブログに挑戦してみたのですが、私がこの一年を振り返ったところで、号泣会見ほどのインパクトもなく、さりとて御披露するようなネタもないなら潔くペンを置こうと、心もすぐ折れ、缶ビールのプルタブに指をかけてしまった次第です。

立ちオシッコ(ションベンと書くのは控えます)で、近所のブロック塀を跳び越す競争をしていた頃を思い出しながら、昭和を過ごした自分の歴史に触れ、「過去日記」のようなつもりで始めた私のブログが、サボリながらも3年続いたことは奇跡です。
新しい年を迎えた今も更新を目指し、ネタさがしをしているのですから中毒になっているのかも知れません。

12月に更新できなかった理由はいくつかありますが、最も心当たるのはフェイスブックを始めてしまったことかもしれません。

サモアから昨年5月にやって来た20歳の新妻(この件は改めて紹介するかもです)が、日本の生活にも慣れ、カタコトながら彼女の日本語と、私のインチキ英語でコミュニケーションが取れ始めた頃、「生まれた場所は?」、「ニックネームは?」、「誕生日は?」と、彼女の質問に答えている内に、私のフェイスブックのアカウントは完成してしまいました。
ブログさえ満足に更新できないのに、フェイスブックにアップするチカラも時間もないわけですが、できあがったアカウントは簡単には削除できない仕組みのようで、それならブログ更新の案内板として使ってみようと、安易に足を踏み入れてしまいました。

すると、「おともだち」候補が続々と表示され、私を見つけた相手からは「おともだち」リクエストが届くようになりました。
最初の内は、挨拶もないリクエストに「承認」もしてみましたが、その後の連絡は一切なく、友達を増やしたいだけの人達の存在もわかると、お気持ちだけいただきリクエストは保留するようにしています。
現在20名ほどとお友達契約をしていますが、「知り合いかも」と、どうやったらそれがわかるのか、たくさんの知り合いがフェイスブッカーであることを知ると、「なんで友達リクエストをしてこないのか?」と疑心暗鬼になったりします。
いわゆる「いいね」ボタンも「見たよ」ボタンだろっ!と、ツッコミたくもなりますが、「いいね」は増えてもコメントはありません。
大した交流サイトだと、批判的な立場を取りつつ、結局「おともだち」たちが次々とアップする近況が届けば、会ってもいないのに、先方がドコで何をやっているのかもわかってしまい、今日のクリちゃんはもちつきやってるならそのアトは親戚との飲み会だろうし、クリスマスパーティーをやってるいつものBARは入れそうにないことも手に取るようにわかれば、足を運ぶことなく次の店をさがしたりもしてしまいます。

おばあちゃんが亡くなりました・・・と、切ない記事に出会えば「だいじょうぶか?」と一言コメントもしたいキモチになりますが、本当の「友達」たちからの励ましのメッセージが増えていくに連れ、「出番じゃないか。。。」と、身を引きます。
そんな記事なので「いいね」を押すことはできないでいるのですが、「いいね」にはお悔やみの意味もあるのかも知れません。
いまだに私は合掌の気持ちを伝えられずにいます。

内容によっては現実の世界とは掛け離れた印象の記事に出会うこともあります。
本人が身近な人なら、シャレか?と理解することもできますが、「友達」の「友達」ともなるとその限りではなく、もしかしたら誤解した認識でその人を見てしまっていることもなくはなさそうです。
皆さんの近況を知ることで、オナカいっぱいになってしまう私は、自身のエピソードをブログにしろフェイスブックにしろ、公開することに躊躇してしまうことも少なくありません。
こちらはブログのボツネタばかりが増えるのに、皆さんの華やかな生活だけは次々と送り届けられます。

匿名とは言いつつも、私のブログは自社のホームページにもリンクされているので、私の正体を知っている人は少なくありませんし、それなりの表現も心掛けているつもりです。

誰かのフェイスブックで紹介されていましたが、フェイスブック上のデータは集約され、不特定の第3者が閲覧することを許諾している前提とか。
フェイスブック上の写真では撮影場所や日時もわかってしまうらしい。。。

北からのサイバー攻撃に屈するつもりも、自身の存在を隠す必要もまったくありませんが、日常をタイムリーに場面ごとで切り取るワザも持ち合わせていない上に、誰かに聞かなきゃ使い方もわからず、ブログの更新をお知らせするだけのツールなら、たぶん近々退会するつもりです。

「自分の身は自分で守る・・・」
最近よくこの言葉を耳にします。

良い一年をお過ごしいただきますようお祈り申し上げます。

 
  


Posted by Nori at 21:13Comments(2)独り言

2014年11月24日

傷だらけのニッポン

健さん亡きアト、いよいよ「不器用」なのは私だけになってしまいました。
今日も不器用ながらナニかを書いてみようと、パソコンに向かってみます。

大義があろうがなかろうが、公約を守ろうがそうでなかろうが、ご自身たちにとって一番都合のいいタイミングを見計らって、私達には一切のお伺いもないまま、大事な大事な日曜日を、国会議員の皆さんの就職活動に付き合わされるのだとしたらたまったもんではありません。
民意を背負って当選したはずの皆さんが、「国民の信を問う」ために6百億だか7百億円だかの大金を使って「また選挙」ってのがどうにも腑に落ちません。
民意を意識しての発言なんでしょうが、野党の皆さんがクチを揃えて「なぜ今、解散するのか!」と言っていることが正論のようにも聞こえて来ますが、この政権奪還のチャンスに「いよいよウチの番!」と言えない野党では勝敗は見えているのかも知れません。
土砂災害に火山の噴火、そして深夜の大地震。。。
ただでさえ傷だらけのニッポンで浮き足立っちゃってるのは国会議員ばかりというのも日本らしいと言えばそうなのかもしれませんが、こちらの事情も分からない代表選びなら、興味も関心も薄れてしまいそうです。
アスファルトがめくり上がり、多くの家が倒壊している長野地区でも「清き一票を!」と選挙カーが走り回る光景を想像するとナンとも残念なキモチになります。
GDPの深刻な低迷を認めた上での消費増税先送りも、ある意味やっと景気が好転していないことに気づいてくれたようですが、数字を見なけりゃ判断できないリーダーたちはそもそも私達の代弁者なのかと疑問です。
大手衣料品ショップが、この3連休で売り出しを打ち出せば、国道や幹線道路は渋滞しています。
時期的にも年末商戦に入っているんでしょうから、大型スーパーやショッピングモールだって安売りセールに鼻息を荒くしているはずです。

「忘年会」まがいの呑み会が企画され、いつもの友人たちと久しぶりに顔を合わせました。
「せっかくだから!」と四川料理店が選ばれましたが、3800円で、飲み放題の食ベ放題。
2時間制限はあるものの、飲み放題だけでその値段でも軽く元は取れそうですが、食べ放題まで付いていると言うのですから、一体この店の値段設定はどうなっているのか?と不思議です。

店内には中国人らしき客の姿もあり、彼らがサクラでない限り、味はホンモノなんでしょう。
飛び交う中国語も不愉快ではありませんし、むしろオイシイ魔法に感じます。

130品目の中からどれを食べてもいいようで、メニューの中には1000円を超える料理もたくさんありました。
本格的な料理が次々と並び、あっという間にテーブルを埋め尽くすスピード感も良心的で、味も私達の舌には充分過ぎるほど満足のいくものでした。
「食えば呑めない、呑めば食えない」と、「放題」好きの友人がアドバイスをしてくれますが、好きなものを好きなだけ食って、呑みたいものを呑みたいだけ呑んで、ピッタリ2時間、大満足でした。

庶民な私達は、ついついフカヒレスープなんて言うものに手を出しますが、アレは誤算だったと、次回の課題も見つかります。
片栗粉たっぷりのあんかけのせいか、飲み過ぎによる下痢の副作用もなく、しっかり食べたおかげで妙な二日酔いもなく爽やかな朝を迎えることもできました。

それぞれの飲食店がシノギを削って、私達においしい料理を提供してくれることは間違いなくイイコトです。
しかし、無理をし過ぎた飲食店が閉店に追い込まれる現実もないわけではなさそうです。
客側はいつでもイイトコ取りでいいのでしょうが、そういうお店の意気込みを知った上で、みんなで支え合える仕組みにはナリ得ないのでしょうか。
名店と呼ばれたお店の閉店は、やはり淋しいものです。

傷だらけのニッポン。。。
非力ながら元気な人達の応援が少しでもできたらいいと思っています。

今回お邪魔したお店は、「新清水_四川料理」で検索できます。
電話予約の際に、カタコトの日本語なので、多少意思疎通に不安が残りますが、ソコからお楽しみいただけます。

「23日に予約したいのですが。。。」
「23人?」
「いやいや6人で・・・」
「6時?」
「時間制限は2時間ですか?」
「午前3時までやってるよ」
店内での会話は成立するようですが、食べ放題・呑み放題の効率を上げるためには、取り皿やオシボリはセルフサービスで勝手にやっちゃうほうがいいみたいです。         


Posted by Nori at 18:03Comments(0)独り言

2014年11月17日

スカートめくり

つい先日、木枯らし1号が吹いたトカ・・・
最近では解散風も吹き始めたトカ。。。
朝の自転車散歩もまさかの8ヶ月目に突入し、冬のような寒さを体感しております。
友人がプレゼントしてくれた自転車用の手袋も重宝しています。
行き交う自転車の人達は肩もクチもスボめ、早くもシーハーしながら冬モードです。
枯れ葉を巻き上げ、吹き抜ける風にOLさんたちもスカートを押さえながら・・・
スカート・・・?押さえながら・・・?

「スカートめくり」・・・
その淫靡な響きに、どれほどの少年たちが惑わされ、年相応の妄想を巡らせたのか・・・。
その行動にどんな意味があったのかは全く覚えがありませんが、確かに私は「スカートめくり」をした経験があります。
スカートの中は、決してノーパンではないはずなのに、当時の自分も履いているようなパンツにどれほどの魅力があったのか、小学生だった私はバカな友人たちと一緒になって休み時間になればオンナの子たちを追いかけていたような気がします。

当時の少ない経験と知識からすれば、自分のカラダとは違う構造を思い浮かべながら、どうやってオチッコするんだろう?とか・・・いやいや、そんな発想さえない上に、鉛筆が転がっただけでもおもしろがってた少年たちにはナンの悪意もなく、本能のおもむくままに異性とのコミュニケーションを取るためのファーストステップとして必然的な行動だったはずだと弁護します。

今の時代なら、セクハラだとか不適切で過剰なわいせつ行為として、教育委員会や学校から「スカートめくり禁止令」が出されていそうですが、オエライさんたちにはこの「遊び」が少年少女にとってどれほど重要なものなのかなんて理解できないんでしょう。
とはいえ、かくゆう私もPTAの皆さんを前に、「スカートめくり」賛成論を声高に論じる勇気などあるはずもありませんが。。。

友人が女の子に話しかけ、気をひいている隙にウシロから攻撃するあざとい手法が最も効果的でしたが、声をかけるのが得意な友人は「いつもオレだけ見えない!」と、このプロジェクトの重要なキーマンながら「得るものがない!」ことに気づきます。
一方で、知恵のあるオンナの子たちは「必殺!ブルマー返し」で反撃することを思いつき、体育の時間になれば労せず拝むことができるブルマーに興味などあるわけもない少年たちは、どうやったらブルマーを引きずり降ろすことができるかと、眠れぬ夜を過ごします。
あくまでも、パンツごとではなく「ブルマーだけ」なのは大きな課題となりました。

お互いに不毛で(小学生だけに!)、無益な攻防だと気づけば、そんなやり取りは長くは続かず、一連の行動に終止符は打たれ、「大人の階段」は次なるステージに進んで行きます。

中学生になった頃には、先輩たちのご指南により、日本人じゃない大人の女性のハダカがワンさと載った雑誌と出会い・・・
先輩たちが登った階段を順番に追いかけて行きます。

見るものすべてが新しく新鮮だった多感な思春期とはいえ、その発想力や言動はそれなりで、世の親たちが心配するようなステージはまだまだ先だった時代です。
友人の家に泊まりに行くのも、メンバーにオンナの子が入っていたらダメだ!とか、今となってみればその心配も分からなくもありませんが、当時の私達にはそんなセクシーなアイデアがあるはずもなく、ただトランプをして、夜中まで話しているだけの事が「ナニが悪いのか?」と、なかなか実現しない外泊禁止令は理不尽極まりないものでした。
しかし、そんな親たちの暗黙の心配も含め、どうやったらオンナの子のパンツが見れるか?という単純な少年たちは、チョットだけの障害や、大人たちの口うるさいストップによって、歳を重ねるゴトに異性を意識するようになると、本来の本能の開花と共に、異性に対し、むやみにスカートをめくってはいけないことや、オンナの子と同じ屋根の下に一緒にいたり、寝ることの重要性を知りつつ、また理性という動物たちにはない能力も身についたような気がします。

こと、スカートめくりにおいては、バカバカしく見える行動ながら、目的を達成するための戦略や、相手の心理を読みつつ障害を乗り越えるためのチャレンジ精神が育まれるものだとしたら、それをフルカバーし、相当する学校の授業は見当たらないような気もします。
ましてやオンナの子を泣かしたり不快な思いをさせずに「遊び」の範囲を越えない高等技術が存在していれば、もはやそれは宇宙科学並みです。
木登りをして覚えた自分の限界や、危険な高さを知ることで大ケガを避けられる能力もそうですし、触ってはイケナイ虫も、刺されたりカブレたりして覚えました。

だからといって「スカートめくり」の復権を望んだり推進できる時代でもなく、ソレに代わるモノがナンなのかも分かりませんが、現代の大人たちが子どもたちから取り上げてしまったものの中には、成長時に必要な人間としての大事なものが含まれていたのかも知れません。

学校の先生が児童のスカートの中を盗撮したとか、イイ大人が少女にイカガワシイ行為をしたとか、それらが監禁殺人事件につながったりすることさえ珍しくなくなってしまいました。
女子高生を押し倒して下着を脱がし取る強引な大人は、きっと「スカートめくり」のナンたるかに触れずに育ってしまった人なのかも知れません。

「スカートめくり」を「一人前のオトコ」になるための「通過儀礼」と位置付けることは大胆過ぎるのかも知れませんが、世界に目を向ければ「性」を知るための通過儀礼も数多く存在する中、現代の人々の意識や社会構造の変化を背景に人権団体などによって廃止に向けた動きもあるようですが、昔から受け継がれて来たものを、本質を見ることなく、口先だけの正論によって封じ込めてしまうことはドコの国も一緒のようです。

ネットの普及により、現代の子どもたちは私達が通って来た通過儀礼での困難や障害を感じることなく、難無く「衝動」を満足させることができる時代なのかも知れません。
少しだけクリックする努力を惜しまなければ、家出少女やオカネの欲しい少女たちに出会う場さえあからさまに用意されてしまっています。
モンローのポスターにハートをわしづかみにされた私は「スカートめくり」に淫靡な響きを感じる最後の世代なのかも知れません。
「シャネルの5番を着て寝ていた」というモンローのエピソードだけで、心躍るワカモノはどれほどいるんでしょう。。。

「風よ!吹けっ!!」     


Posted by Nori at 18:09Comments(2)独り言

2014年11月11日

ユ~カンで~す!

めっきり夜の訪れも早くなり、夕方の自転車散歩もライトオン!して継続中です。
気のせいなのか、夕食の準備なんであろう町に漂うほのかに香るいいニオイも、どことなくあったかそうで、スープ?シチュー?鍋?おでん?・・・カラダをあたためる料理ばかりがアタマに浮かびます。
冷やし中華や、かき氷ばかりを思い浮かべてたのはたかだか1ヶ月ほど前です。
落ち葉も道路の脇でクルマが通る度に巻き上げられています。
季節の境目を感じる間もなく、いよいよ「冬」です。

「ユーカンで~す!」

朝刊はともかく、躊躇なく人んチの玄関を開け、家の中に夕刊を投げ入れる他人がいても、不思議にすら思わなかった時代に育った私は、現在「新聞」は購読していません。
かたよった視点で書かれた「事実」を受け入れ難いとか、難しいことではなくて「節約」です。
古新聞がゴミになるものだとしたら、エコ活動ともいえるのかもしれません。

実際、テレビやインターネットで同じニュースが津波のように押し寄せては消えていく時代に、私程度の人間なら掘り下げて知る必要もないと言えばそうですし、知りたければ積極的にインターネットに向かえば、もしかしたら「新聞」以上の情報も手に入るのかも知れません。
目を閉じ、耳をふさいでいたって、異常気象も、世間を騒がすニュースも避けて通ることはほぼ不可能で、そりゃぁ要らぬストレスに押しつぶされてしまう人がいても何ら不思議でもなく、危険ドラッグ然り、知らなきゃ良かった情報を元に犯罪や事故が起きることもあるようです。

で、そんなことを言いたいのではなく、「ユーカンで~す」と言っている新聞配達員を見かけてしまいました。
何も不思議な話しではなさそうですが、私が最近何気なく見てきた新聞配達員は、原付きでブーンとポストのそばに寄っては「新聞」を事務的に押し込むだけのような気がします。
私が見た新聞配達員は私と同世代に見える女性でした。
原付きでやっぱりポストに寄って行くのですが、「ユーカンで~す」と声を出しています。

しかし、優しく聞こえる声の先には人影はなく、それでも彼女は次のお宅のポストの前で、「ユーカンで~す」と言うのです。
怒鳴って叫んでいるわけでもなく、かといってモジモジと小さな声でもありません。
自転車で通りすがる私にはちゃんと聞こえる声です。
なんだか心があたたかくなって、タバコを吸うフリをして立ち止まり、彼女を見ていました。
次のお宅も、また次のお宅でもそうしています。
会社の方針なのか、彼女の思いなのかはわかりませんが、必ずしも相手に伝わらないかもしれない彼女の新聞配達はとてもあたたかく素敵に見えました。
最近では、新聞のたまり方で孤独死の疑いのあるお宅を通報する役目なんかもあるようですが、彼女は役割以上の関係を仕事だと割り切ることなく創りだせる人なのかも知れません。

なんだかイイ気分になって自転車を走らせていると、幹線道路にあるいつもは点滅信号の交差点にたどり着きました。
進行方向の信号は「赤」になっていて、私は止まりました。
幹線道路は、片側2車線の広い道なのですが、それに交差する道は3~4メートルほどの細い道で、クルマ1台がやっと通れるほどで、クルマが交差することは難しそうです。もちろんその細い道を渡るための横断歩道はありません。
幹線道路の横断歩道を、自転車の後ろに小さな子どもを乗せた30代くらいのお母さんがケータイ電話を耳にあてながら、私の方向に渡ってきます。
信号待ちをしている私の後ろから、私よりも明らかに先輩の男性が自転車で走ってくると、スピードを落としながら注意深く赤信号の交差点に入り、そのまま渡ってしまいました。
3~4メートルほどの道幅とはいえ、定義上は「信号無視」です。
すると、向こうから横断歩道を渡ってきた子連れのお母さんが、「オマエ!信号アカだぞっ!!」と、その男性に怒鳴り付けました。
男性は何事もなかったように行ってしまいましたが、残された私にはなんとも言えない微妙な空気が絡み付きます。
そのお母さんはブツブツ言いながら私の前を通り過ぎて行きました。

「・・・たぶん、彼女は間違ってない・・・」

お母さんが正しいアドバイスを、間違った言葉遣いでしてしまったために、アトアジの悪い・・・というか、もしかしたらお母さんに対して憤りを感じてしまいました。
明らかに目上に見える他人に対する声の掛け方ではなかったのはもちろんですが、たぶん道交法に触れるであろうケータイを耳にあて、私の認識では小さな子どもと言えども2人乗りも制限されていたような・・・。
言葉遣いも含め、それらを私が指摘したところで、きっと彼女には言い分があるに違いありません。
逆切れされて絡まれることを恐れた私自身も正しいかどうかはわかりませんが。。。

山の急斜面に生息するような立派な角をもった大きなヤギを散歩させてる人、クチに雑草のような長い葉っぱを食わえ、登校する小学生の横を小学生と同じスピードで後ろ向きに走る?おじさん、道路沿いで太陽の方角に向かって手を合わせ続けるおじいさん、何の修業なのか裸足で街路樹を蹴り続けるおじさん・・・

いろんな人がいます。。。       


Posted by Nori at 15:30Comments(0)独り言