2013年12月23日
感謝できる自分

母親だけでなく、小学校の道徳の時間や様々な場面でそう教わってきました。
教えの通りに生きられているかどうかはわかりませんが、それを否定することもなく、間違った教えでないことは知っています。
20年近く前に地域のボランティア活動で知り合った、私より少しお姉さんの先輩が「年賀状まだ頼めるぅ?」と久しぶりにオフィスに現れました。
もぉいくつ寝ると・・・となったカレンダーを見ながら「無理でしょ。。。」と引き受けることになりました。

元テレビ局のアナウンサーで、ずいぶん前に引退した今も全国ネットの衛生放送なんかに借り出されているようなので、ご存知の方もいらっしゃるのかも知れません。
歳も近く?、ボランティア活動ではクリチャンたちと共に支え合い、斬新なリーダーシップの下、学ぶことも多く、先輩の信条は引退された今でも活動に活かされているように思います。

とはいえ、地域から選出された一般人であり、なんでもない奥様であることには変わりなく、まとまらない活動に悩み、たびたび折れそうになる心を相談されれば、ふたりでグラスを傾けながらインチキ話しとヨタ話しで、夜遅くまで人知れず密かに呑んだこともありました。
私はご主人にもたいへん可愛がっていただき、ご主人自慢のタンシチューを越えるシチューに未だコノカタ出会っていません。

どういう話しの流れ出そうなったかはよくわかりませんが、「はるちゃんさぁ。。。感謝って謙虚な生きざまだと思ってたんだけどサァ。。。と、先輩独特の感性が披露されていきます。
私にはとても難しく、言ってることはわかるような気もしますが、まだまだその意味を理解する域には至っていないようです。

「いただきます」も日本を象徴する感謝の言葉の代表格なんでしょう。
世界中どこを探しても「いただきます」に置き換わる言葉はないと聞きますから、日本人独特の生産者に対する感謝の気持ちに加え、この世に誕生した「命」をいただく感謝と謙虚さを兼ね備えたパーフェクトな言葉でもあります。
幼少時代のように、食事の前に手を合わせることはしていませんが、ある時からテーブルに指で「心」と書く習慣を身につけています。

私ごときが「感謝」をひも解き何かを語る立場ではありませんが、いろんなものが価値なく通り過ぎ、大事なものが埋もれていく時代に、ひとつの言葉に耳を傾け立ち止まってみた日でした。
日本は治安も良く、安全な国だという人がいます。
戦闘地域や、今日食べるものにありつけない人達は、自分の命の寿命を計ることができません。

何気ないデートの別れ際も、学校で友達とバイバイする時も、最後に交わす言葉になるのであれば、どんなに喧嘩をしていても「悪意」の染み込んだ言葉を相手に向けて発することで、心に刻まれる痛みは一生治らないんだそうです。
相手の命ばかりでなく、自分自身の命も約束されているわけではありません。
「最後」になるかもしれない会話だとしたら、もう少し優しくなれるような気がします。
「感謝」できる自分を考えながらふとそんなことを思い出しました。
Posted by Nori at 12:44│Comments(2)
│独り言
この記事へのコメント
おっしゃる通り「感謝」ですね。
人は1人では生きていけません。
間もなくクリスマスがやってきます。
キリスト教は「愛しなさい」と言う言葉が良く使われます。
これは愛すれば感謝の気持ちが備わってきます。
愛は「愛されるのでなく、愛しなさい」この言葉は素晴らしい
意味があると思います。
自身が教会に行っているから書いたのではありません。
noriさんが素晴らしい事をアップされたので、自身にあらためて
言い聞かせたのです。平和ぼけした日本の方には、「愛と感謝」を
忘れかけているように思います。
人は1人では生きていけません。
間もなくクリスマスがやってきます。
キリスト教は「愛しなさい」と言う言葉が良く使われます。
これは愛すれば感謝の気持ちが備わってきます。
愛は「愛されるのでなく、愛しなさい」この言葉は素晴らしい
意味があると思います。
自身が教会に行っているから書いたのではありません。
noriさんが素晴らしい事をアップされたので、自身にあらためて
言い聞かせたのです。平和ぼけした日本の方には、「愛と感謝」を
忘れかけているように思います。
Posted by なっちゃん
at 2013年12月23日 13:36

なっちゃんさん、こんにちは。
いつもわかったようなフリをしてエラそぉに生きているのに、この歳になって気づくことがたくさんあります。それともこの歳になったから気づけるんでしょうか。。。
ユネスコやミシュランに決めてもらわなくても、富士山だって和食だってずっと日本にあったものなのに、旗を立ててもらうまではその素晴らしさに気づこうとはしないのかもしれません。
私は無宗教ですが、母の葬儀は仏教式で執り行いました。
和尚さんのお経を意味もわからず声を出して繰り返しながら、流されてる自分のようで変な気持ちです。
宗教に良いも悪いもないんだと思いますが、自分の体験するすべてに意味があると思えば、カタチはどうあれ、故人を尊む心や、感謝の気持ちも生まれるのかもしれません。
「愛しなさい」はステキな教えですね。
それを教えてくれたなっちゃんさんに感謝です。
メリークリスマス!
いつもわかったようなフリをしてエラそぉに生きているのに、この歳になって気づくことがたくさんあります。それともこの歳になったから気づけるんでしょうか。。。
ユネスコやミシュランに決めてもらわなくても、富士山だって和食だってずっと日本にあったものなのに、旗を立ててもらうまではその素晴らしさに気づこうとはしないのかもしれません。
私は無宗教ですが、母の葬儀は仏教式で執り行いました。
和尚さんのお経を意味もわからず声を出して繰り返しながら、流されてる自分のようで変な気持ちです。
宗教に良いも悪いもないんだと思いますが、自分の体験するすべてに意味があると思えば、カタチはどうあれ、故人を尊む心や、感謝の気持ちも生まれるのかもしれません。
「愛しなさい」はステキな教えですね。
それを教えてくれたなっちゃんさんに感謝です。
メリークリスマス!
Posted by Nori
at 2013年12月23日 14:51
