2013年12月17日

オトナのオモチャ

オトナのオモチャまだワケもわからず、何も考えず、半ズボンで白い息をタバコタバコ~と言って走り回っていた頃、12月15日を過ぎるとナゼか決まって母が言っていたことがあります。

母なりにアトでグズグズ泣きわめく息子たちを見たくないと言う大人なりの知恵だったんでしょうが、無きゃ買えばイイという今のような時代でもなく、無きゃ無い!コトが決定してしまう当時は、大人も子どももソレナリに知恵を絞って対策していました。

年賀状もさる事ながら、母が心配したのは「凧」でした。

オトナのオモチャ「凧揚げ」は当時の子どもたちの正月の定番の遊びで、世の中に「人生ゲーム」や「オセロ」なるボードゲームが登場する頃までは、年に一度の正月をいつもの家の中で過ごすのではなく、正月らしく「かるた」で簡単にお茶を濁したアトは、友達たちの待つ広大な田んぼや大学の校庭に繰り出して「凧揚げ」をしていました。

なぜ、母が「凧」を心配したかというと、当時は模型屋さんやプラモデルを取り扱う小さな文房具屋さんで立方体を組み合わせたような「立体凧」や、大きさの違う凧を組み合わせた「連凧」ナンかを買うこともできたのですが、どうせ1月も終われば飽きて倉庫のゴミとなってしまう「凧」にオオトナのオモチャカネをかけるバカはいないと、ウチでは決まって手作りで「凧」を作るのが習慣でした。

ですから母は、材料の調達から制作まで、年末ギリギリになって私達がグズグズ言わないように「凧はイイの?」とこの時期の口癖にしていたんだと思います。

小さな頃はおじいさんが器用に竹を割きながら作ってくれました。

オトナのオモチャ小学校の高学年になると自分で作ることができるようになるのですが、さすがに竹を割く作業だけは難しくて、中学校の隣で竹細工を生業にしていた同級生のお父さんに頼んで、竹ヒゴを分けてもらっていました。

頼みに行くと、オジサンは竹を編んでカゴを作る手を止め、あぐらの横に無造作に散らかる竹の中からめぼしい竹を拾い上げると、シュッーッシュッーッと、いとも簡単に5ミリ幅ほどの竹ヒゴを生み出してくれました。

オトナのオモチャ今思えば、伝統文化を継承するオジサンの技術も道具も立派だからこその「竹ヒゴ」だったはずですが、工房のニオイや寡黙に竹を組み合わせて形にするオジサンの様子を見るのが好きで、同級生に会いに行くというよりは、12月ばかりではなく、たびたびお仕事の邪魔をしに行っていたような気がします。
だいぶ前に引越されてしまい、同級生とも連絡が取れなくなってしまいましたが、今でも元気で伝統を受け継いでいらっしゃるんだろうと思います。

オトナのオモチャ話しがそれましたが、当時は誰でも飛ばすことができる「ゲイラカイト」という三角形に大きな目玉のような模様のある凧も登場し始めた頃です。
3時にオヤツが出ちゃうような家の子たちは、そんな最先端の凧を入手していましたが、貧しい家庭であったこともさる事ながら、私は誰でも飛ばすことができる凧には興味もなく、自分で作った凧を飛ばす方が好きでした。

オトナのオモチャおじいさんが教えてくれた骨格はたぶんスタンダードなものだったんだと思いますが、凧糸で縛りながら繋いでいく竹ヒゴの角度や、風を受ける時の糸の張り具合ナンかを調整したりするのは、勘と経験によるもので、わずかばかりの経験をあーでもない!こーでもない!と稲の刈り取られた田んぼの中でヤルのがたまらなく、エンジニアのような気分でした。
いざ、風に乗せて走り出すと凧がクルクルと回ってしまえば、バランスを取るための「足」(尾とかシッポという人もいました)を少しずつチギりながら調整していくのを、弟や小さい子どもたちはせん望のまなざしで見上げていることも快感でした。

「道路でやってはいけません!」「電線の近くで凧上げはやめましょう!」と、アチコチに看板もありましたし、テレビのコマーシャルなんかでも呼び掛けていたような気もします。

オトナのオモチャ町の姿も変わり、凧揚げをする場所も思いつきませんが、当時は正月の空にいくつもの凧が浮かんでいたことを懐かしく思い出します。

今でもきっとどこかで買うことはできるんでしょうが、子どもたちはそれに興味を示し、飛ばしてみたいと言う衝動にかられるんでしょうか。。。

静岡の浜松では地域をあげて全国的にも有名な「浜松まつり」で「凧揚げ合戦」が行われています。
オトナのオモチャ5メートル以上の大凧が大量に空に舞う勇壮なお祭りですが、もはや伝統を受け継ぐそうした場所でしか見ることができなくなったように感じます。

「糸の切れた凧」のごとく、モバイルゲームやテレビゲームが子どもたちの興味の中心となり、忘却の彼方へと忘れ去られた存在の「凧」は、もはや私達の心の中の「大人のオモチャ」になってしまったのかも知れません。

オトナのオモチャ私達の『凧』がバイブレーション機能のついたスマホやケータイに変わっていったのにはナニか因果関係があるんでしょうか。。。

シツレイイタシマシタ。。。     



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Posted by Nori at 15:28│Comments(2)独り言
この記事へのコメント
子供の頃のいい思い出ですね。
私も疎開先での正月は、凧を楽しみにしていました。
終戦に近いころは、その楽しさもなくなりましたが・・・・。
その後は都会生活で、凧上げの場所も少なく校庭などで
楽しんだだけです。今は川原で凧揚げ大会程度で、日本の
伝統的な遊びは小学校の工作で作る程度でかろうじて
伝統が守られています。羽根つきも最近はあまり見ません。
我が家では娘たちが使った羽子板が、寂しく物置に保管して
あります。孫が何回が使ったようですが、いまでは見向きも
しません。これも色々な遊び方が多様になり、時代の流れ
でしょうね。
Posted by なっちゃんなっちゃん at 2013年12月17日 16:14
なっちゃんさん、こんにちは。
めんぱ屋さんに、竹細工工芸屋さん、畳屋さんなんかもそうでしたが、私たちの周りには興味深い伝統がたくさんあって、私たちを楽しませてくれました。
時代の流れのせいにしてしまうのはあまりにも残念ですが、昨日のテレビでは虫を触れない理科の先生が増えてしまったために様々な対策をしていることが放送されていました。
時代と共に失ったものは決して不要なものではなかったはずなのに、今の子ども達は体験できません。
セミナーや塾のようなカタチでオカネを払って体験することはできるようですが、身に染みる思い出とはまったく違うもののように感じました。
アレもダメ、コレもダメと、安全や安心を引き合いに、足を引っ張り合ってるうちに、この世の中では何もできなくなってしまうのでは?と誰かが言っていました。
目の前でさばいて刺身を売ってくれる近所の魚屋さんが閉店しました。
いろんなものが失われていくことを、もう少し深刻に考えた方がいいのかもしれませんね。
Posted by NoriNori at 2013年12月17日 16:50
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