2013年02月06日
黙って伝わるコト
私を支えてくださる人達の中には、明日の生存を笑いながら気にする人達も多く、それでいてカラダにワルイとされることに挑戦し続けて、今日目覚めたことを社会に対して申し訳ないとまた笑っていたりします。
十数年前に父方、母方ともに祖父母が他界し、昨年母を亡くした私にとっては、そんな皆さんが、ある時は祖父母であったり、母だったり、誠に勝手ながら投影させていただくことがあります。
そしてまたある時は父となり、教えてくれたり叱ってくれる先輩もいて、イイ歳をして甘えたがりの私の心の隙間を埋めてくれることもあります。
私の都合を聞くこともなく、「はるちゃん、ラーメン!」「はるちゃん、酒!」と前触れもなく、苦学生の「カネオクレ」電報のような一方的なメッセージだけで電話を切る先輩に至っては、父や親戚以上の役割を果たしてくれていて、心強い味方です。
親戚の中で初の男孫として生まれた私は、4人の祖父母から可愛がられ、自宅に居るより祖父母の家で暮らしていたように感じるほど2軒の祖父母の家を行ったり来たりしていました。
海軍人だった母方の祖父は、カラダも大きく、関取のような体格で、限りなく無口な人でした。
泊まりに行ってもネコなで声でかまってもらった記憶もなく、昼間の祖父はお風呂を沸かすための薪を電動のこぎりで切っている姿や、自転車を磨いている姿くらいしか思い出せません。
夜の祖父は、キセルの先ッポにある小さな穴に葉タバコを押し込み、ほどなくして吸い終わると、キセルを分解し、コヨリ状にしたティッシュで掃除をしたり、オイルライターの手入れを欠かさない人で、バラバラになった不思議な道具をピカピカにする様子を、私もまた静かに見ているのが好きでした。
お酒は呑めたようですが、年に1回の夏祭りで人寄せはするものの、1杯か2杯呑むと「アトはゆっくりヤレ」と言って寝室に行ってしまう人でした。
一人娘だった母がまだ横須賀に住んでいた若き日にも、若い軍人を家に呼んでは酒盛りをするのですが、祖父は決まって1合しか呑まない人で、やっぱり「アトはゆっくりヤレ」と寝室に行ってしまうのだと、よく母からも聞かされました。
「遊びに行くか?」と連れて行かれるのはいつも映画館で、無口を貫き通す祖父でした。
可愛がってもらっていたと言うのは、現在の私が抱く一方的な思いでしかありませんが、私がヤンチャを始めた中学生の頃、無口な祖父が口を開きました。
「大きな海を見るか?」
私は3人兄弟の長男で、二つずつ離れた弟がいるのですが、なぜか全員夏休み中だというのに、私だけに声をかけ、親戚がいるという八丈島に祖父母と私の3人で行くことになりました。
竹芝桟橋から船で10時間ほどかけて八丈へ渡り、八丈太鼓に迎えられ、両側にハイビスカスが咲きまくる海から続く広い道を10分ほど歩いたところに1軒目の親戚が住んでいました。
家の鍵をかける必要がないという八丈の人達の暮らしを知っている祖父母は、我が家のごとく上がり込み、ズカズカ入ってきた他人に驚かない家人と普通に話し、島の反対側にある目的地まで送っていただくことになりました。
実は、記憶にないほど幼少の頃にも訪れたことを写真が証明してくれるのですが、全く覚えていないために、祖父が言う「大きな海」や、初めての景色の雄大さに感激していました。
クルマで1時間ほどで1周できてしまう小さな島ですが、途中途中で親戚の家に立ち寄りながら、闘牛を見たり、飲み慣れないトロピカルジュースに異国を感じたりしたものでした。
オジサンの計らいで、クサヤを作る小さな工場の見学もさせていただきました。
オジサンは「クッサイ!クッサイ!」とのたうち回る少年を期待していたようですが、幼少期から食べ慣れたクサヤがドブ漬けされた大きな釜を、難無く覗き込む少年に逆に驚いた様子でした。
私たち3人は親戚が営む旅館に1週間ほど滞在しました。
祖父が「遊びに行くか?」と言っても釣りなので、また無口な遊びです。
思春期の私と、無口な祖父。
黙ったままの2人を見かねたオジサンが帰る直前になって私を海に誘い、人間を恐れることなく浅瀬に集まる見たこともない魚たちの中で泳がせてくれましたが、シュノーケルをくわえたクチはやっぱり無口でした。
無口な祖父なので、私にだけ八丈を経験させた真意はわかりませんが、蒼い海や、南国の花が咲き乱れる景色をきれいだと思えたこと、島の人があたたかいと思えたこと、闘牛のオジサンが傷だらけだったこと、ドコからかいつも聞こえてくる八丈太鼓が心地よかったこと、別れが辛く感じたこと・・・
今思えば、人が感じるすべてを、口を開かずに教えたかったのかも知れません。
静岡に戻り、両親を困らせるヤンチャな生活は変わりませんでしたが、20代前半にヨーイチたちと再度「八丈島」を訪れました。
あの頃と何も変わっていない島を歩きながら、既に他界してしまった祖父の伝えたかったことが少しだけわかる歳になっていました。
「はるちゃん、酒!」の電報が届きましたので、参戦してきます。
十数年前に父方、母方ともに祖父母が他界し、昨年母を亡くした私にとっては、そんな皆さんが、ある時は祖父母であったり、母だったり、誠に勝手ながら投影させていただくことがあります。
そしてまたある時は父となり、教えてくれたり叱ってくれる先輩もいて、イイ歳をして甘えたがりの私の心の隙間を埋めてくれることもあります。
私の都合を聞くこともなく、「はるちゃん、ラーメン!」「はるちゃん、酒!」と前触れもなく、苦学生の「カネオクレ」電報のような一方的なメッセージだけで電話を切る先輩に至っては、父や親戚以上の役割を果たしてくれていて、心強い味方です。
親戚の中で初の男孫として生まれた私は、4人の祖父母から可愛がられ、自宅に居るより祖父母の家で暮らしていたように感じるほど2軒の祖父母の家を行ったり来たりしていました。
海軍人だった母方の祖父は、カラダも大きく、関取のような体格で、限りなく無口な人でした。
泊まりに行ってもネコなで声でかまってもらった記憶もなく、昼間の祖父はお風呂を沸かすための薪を電動のこぎりで切っている姿や、自転車を磨いている姿くらいしか思い出せません。
夜の祖父は、キセルの先ッポにある小さな穴に葉タバコを押し込み、ほどなくして吸い終わると、キセルを分解し、コヨリ状にしたティッシュで掃除をしたり、オイルライターの手入れを欠かさない人で、バラバラになった不思議な道具をピカピカにする様子を、私もまた静かに見ているのが好きでした。
お酒は呑めたようですが、年に1回の夏祭りで人寄せはするものの、1杯か2杯呑むと「アトはゆっくりヤレ」と言って寝室に行ってしまう人でした。
一人娘だった母がまだ横須賀に住んでいた若き日にも、若い軍人を家に呼んでは酒盛りをするのですが、祖父は決まって1合しか呑まない人で、やっぱり「アトはゆっくりヤレ」と寝室に行ってしまうのだと、よく母からも聞かされました。
「遊びに行くか?」と連れて行かれるのはいつも映画館で、無口を貫き通す祖父でした。
可愛がってもらっていたと言うのは、現在の私が抱く一方的な思いでしかありませんが、私がヤンチャを始めた中学生の頃、無口な祖父が口を開きました。
「大きな海を見るか?」
私は3人兄弟の長男で、二つずつ離れた弟がいるのですが、なぜか全員夏休み中だというのに、私だけに声をかけ、親戚がいるという八丈島に祖父母と私の3人で行くことになりました。
竹芝桟橋から船で10時間ほどかけて八丈へ渡り、八丈太鼓に迎えられ、両側にハイビスカスが咲きまくる海から続く広い道を10分ほど歩いたところに1軒目の親戚が住んでいました。
家の鍵をかける必要がないという八丈の人達の暮らしを知っている祖父母は、我が家のごとく上がり込み、ズカズカ入ってきた他人に驚かない家人と普通に話し、島の反対側にある目的地まで送っていただくことになりました。
実は、記憶にないほど幼少の頃にも訪れたことを写真が証明してくれるのですが、全く覚えていないために、祖父が言う「大きな海」や、初めての景色の雄大さに感激していました。
クルマで1時間ほどで1周できてしまう小さな島ですが、途中途中で親戚の家に立ち寄りながら、闘牛を見たり、飲み慣れないトロピカルジュースに異国を感じたりしたものでした。
オジサンの計らいで、クサヤを作る小さな工場の見学もさせていただきました。
オジサンは「クッサイ!クッサイ!」とのたうち回る少年を期待していたようですが、幼少期から食べ慣れたクサヤがドブ漬けされた大きな釜を、難無く覗き込む少年に逆に驚いた様子でした。
私たち3人は親戚が営む旅館に1週間ほど滞在しました。
祖父が「遊びに行くか?」と言っても釣りなので、また無口な遊びです。
思春期の私と、無口な祖父。
黙ったままの2人を見かねたオジサンが帰る直前になって私を海に誘い、人間を恐れることなく浅瀬に集まる見たこともない魚たちの中で泳がせてくれましたが、シュノーケルをくわえたクチはやっぱり無口でした。
無口な祖父なので、私にだけ八丈を経験させた真意はわかりませんが、蒼い海や、南国の花が咲き乱れる景色をきれいだと思えたこと、島の人があたたかいと思えたこと、闘牛のオジサンが傷だらけだったこと、ドコからかいつも聞こえてくる八丈太鼓が心地よかったこと、別れが辛く感じたこと・・・
今思えば、人が感じるすべてを、口を開かずに教えたかったのかも知れません。
静岡に戻り、両親を困らせるヤンチャな生活は変わりませんでしたが、20代前半にヨーイチたちと再度「八丈島」を訪れました。
あの頃と何も変わっていない島を歩きながら、既に他界してしまった祖父の伝えたかったことが少しだけわかる歳になっていました。
「はるちゃん、酒!」の電報が届きましたので、参戦してきます。
Posted by Nori at 18:50│Comments(0)
│ぶらり旅