2012年11月14日

昔話のウラテーマ

昔話のウラテーマむかしむかし あるところに おじいさんと おばあさんが すんでいました
おじいさんは やまへ しばかりに おばあさんは かわへ せんたくに・・・

お馴染みの昔話ですが、なぜ事件は「おじいさんとおばあさん」のところでだけ起きるのでしょうか。

桃太郎も、一寸法師も、花咲か爺さんも・・・然りです。

昔話のウラテーマ行くトコ行くトコで厄介な事件に巻き込まれる「水戸黄門」も、その町にはきっと大きな権力や暴力と闘う勇者はいたのだと思いますが、あのパーティー一行が到着するまでは野放し状態だったとも受け取れるようなアッパレな解決をしてしまう立て役者もご存知の通り「おじいさま」です。・・・それはちょっと違うかな。

以前もご紹介した「グリム童話」のルーツ同様、日本むかしばなしを紐解いた解説書のような本を読んでいます。
慣れ親しんだ日本むかしばなしにウラテーマがあるとは思ってもいませんでしたが、どんな世界にも「実は・・・」という話はあるようです。

どうやら主旨はグリム童話と似ているようですが、もともと子どもたちに聞かせるために書いた話なのか、それとも伝達手段が乏しい時代に、悪行に学ぶ数々を書き留めるためだったのか、いずれ解釈を変え、子どもに聞かせる話の原文としては、今の言葉で表現されているとはいえ、かなり率直です。

昔話のウラテーマ読み終えていないので、「おじいさんとおばあさん」が事件に巻き込まれる理由はわかりませんが、さかのぼること室町時代に書かれた書物がルーツになっていたりするお話もあるようで、アマノジャクや化けるタヌキなど、原文のままではナマナマし過ぎる人間の欲望や憎悪の部分が擬人化され、イマシメやオシエを見事に成立させたものが私たちの良く知っているストーリーになっていることがわかると、なかなか引き込まれ、眠れない夜に読む本としては不向きなのかも知れません。

昔話のウラテーマ随所に性器や夜の営みに類似する表現があり、官能小説には程遠いものの、解説を読んでみれば、なるほど「キネ」は男性器で、「ウス」が女性器の象徴として表現されている理由もわかります。ちなみに「オモチ」は子宝の意味でもあるようです。
一寸法師が持っている刀とサヤの関係も同様のようです。
子どもに話す時に、「色情魔でヤリまくっていた一寸法師は・・・」とは言えず、肌身離さず「腰」に剣をたずさえ・・・という具合です。
そうなると、「さるかに合戦」でサルを懲らしめるウスの立ち位置も気になりますが、話を進めます。

昔話のウラテーマ寿命も現在よりもはるかに短かったと思われる時代に書かれた書物がベースになっているので、「おじいさんとおばあさん」は私と同世代?もしくはもっと若いのかも知れませんが、決まって子宝には恵まれていないことも共通している部分です。

子どものいない「おじいさんとおばあさん」のクダリから始まれば、子づくり作業はどうなっていたのかと深く掘り下げて考えるのは私流ですが、「汚れなき初物の女の子(原文に準ずる)」が都で高く売り買いされていたと言われる時代もあったようで、山奥で暮らす貧しいお爺さんたちが、必ずしも子宝に恵ま昔話のウラテーマれなかったとも言い切れないようです。

オリジナルの書物をベースに地方ごとに少しずつ話しが変わることもあるようで、筋書きが都合よく変えられることも、御当地にちなんだ「物」に置き換えられることで、より身近に話しを聞きやすい工夫もされているようです。

少なからず子どもにとって多少ショッキングな程度に脚色された昔話は、子どもたちのイマシメや教訓となり、イイコトとワルイコト、善と悪の分別のモノサシとなるように語り継がれたとも言えるのではないかと思います。

昔話のウラテーマどの昔話もよくできた話しですが、現代にそうした話しが生まれない理由がわかりません。

現代にこそ、時代にマッチしたイマシメも教訓も必要なように感じますが、A Long Long Time Ago・・・と始まるスターウォーズシリーズは記憶に新しいと言いながら、日本昔話で語り継がれてきたタッチとはベツモノです。

幼稚園の「生活発表会」などで演じられる物語も私たちが良く知ったストーリーばかりで、感動的で痛快な新作には出会えないばかりか、今も「むかしばなし」は子どもたちに語り継がれていることになります。

昔話のウラテーマもしかしたら「夜、口笛を吹くと蛇が出るよ」と祖母たちに諭されたのが、それに当たるのかも知れませんが、密閉性の高い現代の住宅事情を考えれば、大音響で映画を観ようが近所に迷惑がかかることはありません。
「火遊びをすると寝小便をするよ」
「ウソをつくとエンマさまに舌を抜かれるゾ」
「ヘソのゴマを取るとおなかが痛くなるよ」
・・・と、迷信のように伝えられたものも、到底最近作られた話だとも思えず、私が小さかった頃から擦り込まれたもので、むかしばなし同様、やってはいけないこととして未だに脳裏を横切ります。
「梅干しのタネの中には神様がいる」というのも、無理に噛むと歯を痛めるから注意せよというオシエだと信じて忠実に守っていますが、今の子どもたちは他人に迷惑のかかる口笛を吹いた時、ナニが来ると言えば怖がってやめるのでしょう。

昔話のウラテーマうっかり現代の子どもたちに「ケータイばっかやってると目が落っこちるぞ」と言ったところで、「そんなワケはない!」と一蹴されそうです。

語り継がれ、誰もが知っている昔話。

今の子どもたちも、私たちがワクワクしながら聞いたときのような気持ちで聞いているのでしょうか。
一寸法師が手に入れたナンでも叶えてくれる「打ち出の小槌」は、成敗したオニのイチモツだと解説されています。

どんな教訓やストーリーが思い浮かびますか?




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Posted by Nori at 10:21│Comments(0)独り言
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