2012年08月15日

永眠の地

永眠の地母が永眠し10日ほどが経ちました。
いまだに亡き母に手を合わせてくださる人たちの日々の訪問に感謝しております。

先日残った家族でお墓について話し合いました。

お墓の準備のない私たちは、49日法要を前に短期間の中で話し合わなければならない事も、近親者の予期せぬ死をもって直面するわけですが、話しにくいテーマだとはいえ、準備ができていなかった事を肝に銘じた上で、無知な家族は無知なりにアレコレと頭をひねっています。

永眠の地もともと無宗教の立場で生きているのにも関わらず、本家や親族で行われる法要では、ある宗派を特定し、営みます。
しかしながら、日常生活でその宗派に関わる事はほぼなく、お寺で行われているらしい座禅会や催し事に参加する事もありません。

永眠の地檀家でないのに、これまでの本家や親族との関係から?お寺さんが一連のセレモニーを営んでくださり、母の戒名もご用意していただきました。
そしてお布施と言うカタチで、いただいた「請求書」によって「代金」を支払いました。
戒名にもランク付けがあり、位が高いほど「料金」は上がるようです。

今回お借りしたセレモニーホールでは、無宗教に徹するのであれば、お寺さんを呼ばずに「お別れの会」形式にもできるとアドバイスしていただきましたが、軽自動車が買えるほどのお布施の「請求額」を見れば、なぜ「お別れの会」ではダメだったのか意味はわかりません。

話しはそれますが、セレモニーホールとの打合せでは悲しむ暇も、現実を受け入れる時間もなく、事務的に準備が進みます。
永眠の地祭壇はこのくらいないと・・・とか、払いの膳はやはりコノぐらいにしておかないと・・・と、「うんうん」とうなづくだけで、テンポよく話しが進みます。
知らない世界である上に、初めての体験なので、「そういうものなのか。。。」と、疑いなくうなづきます。
参列者の数が式場に収まらない可能性が出てくると、「もう1部屋準備させておきますので」と親切なアドバイスもいただけます。
参列者もパソコンで全てデータ化し、「会葬者リストにまとめておいた方が便利ですよね」と、確かに自分達では気付けない細やかな部分にまで気を配っていただけます。
予期せぬ事態に直面した私たちにとって、親切過ぎる打合せは、速やかに終了しました。
コレでアトは段取り通り、セレモニーホールの指示に従い行動するだけです。

やれやれと、一息ついている頃、父の友人が訪ねて来られて段取りはどうなった?と心配していただきました。
一連の流れを説明すると、アレも余分、コレも余分と、必要だと思って「うんうん」と、うなづいたものが余分だと言うのです。

セレモニーホールはもちろん私たちをダマすつもりなどないはずですが、会場だって一部屋増えればタダではないし、パソコン管理もタダでやるわけはないと言うのです。

永眠の地確かに業者との打合せでは流動的な見積金額として概算は聞いていましたが、その内訳やどれほど必要なのかと言う話しは聞いていなかったように思います。(いや、聞き漏らしているのかも知れません)
すべてが必要だと思っていたものの中からいくつかを除外するだけで数十万円もの差が出ました。
知らずにセレモニーを終えていれば、お支払いしなければならないものです。
故人にとってもご参列いただく皆様にとっても必要であればそれは準備しなければならないのかも知れませんが、決して余裕のない私たちにとって「余分なもの」は必要ありません。

永眠の地家族4人分のカレーを作るために、アレも必要、コレも必要と食材をやみくもに買い物カゴに入れ、レジに行ったら5万円。
間違いなくおいしいカレーはできそうですが、店員さんが「コレも必要ですよね」ってカゴに入れられた食材が必要かどうかもわからない。。。
とっても親切な店員さんは、皿や鍋、包丁、アラジンの魔法のランプみたいな食器までカゴに入れてくれるかもしれません。
そんなことが、顔色一つ変えず検討も議論もする事なく決まっていきます。

永眠の地49日法要を前に、お寺さんとのお話しをさせていただきましたが、現時点で私たちはまだ檀家ではないそうです。
無宗教でありながらこのご時世に建墓の必要も、必ずしもないようです。
檀家になれば、戒名のランクによって、いわゆる年会費が発生し、お寺の事情で寄付などもしなければならないと教えていただきました。
代々まだ見ぬ子孫によって継承されていく先祖のお墓にかかる経費や意味についても教えていただきました。

永眠の地転勤族で安住の地が定まらない家庭や、現在住んでいる場所に自分の宗派のお寺がないとか、経済的な事情でお墓が建てられないなど、古くから慣習とされてきたものが実現できない現代ならではの事情もあるようです。
インターネットでモニター越しに墓参できる時代に、お寺さんの言う「こころ」をどういうカタチで表現するのか。
それがどんなカタチであれ、お寺さんにも答えはないようです。

「こころ」を決定する過程の中ではやはり現実的な問題も無視する事はできません。
それが原因で家族が要らぬ争いをする事を故人が望んでいるはずもありません。
核家族化や少子化によって代々受け継がれて行くはずのお墓の在り方やすぐに途絶えてしまう墓守りの問題もまた現実的な問題です。

私のようにふたりのムスメに自身の墓守りを強制できない考え方もあるのだと思います。

永眠の地私は納骨具のデザイン制作に携わっている関係上、「手元供養」という考え方をご案内する立場にあります。
お勧めする立場ではなく、あくまでもご案内する立場です。


永眠の地ナン百万円もかけたのに、雑草だらけで、野ざらしのお墓の中で、お盆の時期や年に数回だけ訪れるムスメたちとの再会は残念すぎます。
先祖代々の慣習とはいえ、お墓を守ってもらうための負担も、嫁いでいくであろうムスメたちにかけさせたくありません。
であれば、ムスメたちのそばを「永眠の地」とし、家族の笑い声を聞きながら、孫達の成長を見守りたいと考えています。
そしてそれらは私が生きているうちに、私のほうから「自らの永眠の地」について、家族と共に話し合っていこうと思います。

永眠の地

母の供養。
「こころ」と言いつつ、すべて日本円に換算されます。

「手元供養」もひとつの選択肢だと考えていますが、家族の答えがどうなるのか、みんなの「心」のカタチが決まるのには、もう少し時間がかかりそうです。     



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Posted by Nori at 14:24│Comments(4)独り言
この記事へのコメント
古き良き風習も現代では「おざなり」になる傾向にあるようですね。

私も葬儀の経験(参列以外)など無い為、自分の近親でそうなったら困るなぁ~と読ませて頂きました。

御香典の金額をぐぐっている様では恥ずかしいですね。(>.<)

手元供養にも魅力を感じました。
こころ・きもちならば充分だと。。

自分が先にしろ親には手元供養を頼もうと思いました。
Posted by 星空 at 2012年08月15日 22:04
はじめまして、通りすがりの者です

この記事を読まして頂きまして、祖母の亡くなった時の事を思い出していました。
60代という若くして病気で亡くなってしまった、家族の中で一番しっかり者。
何をしなければいけないのか、お墓は?葬式は?お寺さんは?
わからないことだらけです。
今思えばここに書かれているように、余分なものも沢山お金をかけていることに気がつきます。
たくさんの親戚にいろいろ言われました。
だけど家族がしてくれたことに意味があって、弔うことが大切なのです。
これからお寺や、お墓が決まるまで大変でしょうが頑張ってください。

長文失礼しました
Posted by 通りすがり at 2012年08月15日 22:06
通りすがりの者さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
応援もありがとうございます。
人が一人この世を離れ、かかるお金に余分なものはないのかもしれませんが、身の丈以上にかけられないのも事実です。
お寺もセレモニーホールもビジネス!とは書きませんが、わかっていたこととはいえ、根拠なき「このくらいは必要だろう」と言うあいまいな慣習に押し流されてしまった結果、並ぶ数字に驚いていたりします。
お寺さんが「こころ」というお話をしてくださいましたが、届いた請求書には大きな数字が書かれていて、お話とのギャップを率直に感じたのは私たちに力がないからかもしれません。
外野の野次も、現在行われている話し合いに少なからず影響しています。
おっしゃる通り、家族が弔うひとつの命を優先し、結論につなげたいと思います。ありがとうございました。また寄ってみてください。
亡くなられたおばあさまにも手を合わさせてください。
Posted by Nori at 2012年08月16日 16:56
星空さん、いつもありがとうございます。
地域によっても、育った家柄によっても、その習慣や考え方が違うようで、今回セレモニーホールとの打ち合わせの際にも、たびたび清水では大丈夫、清水ではダメなんてやり取りがありました。
やり直しのきかないセレモニーだけに、何かの力に流されてしまいますが、近親者の旅立ちに、おざなりも簡素化もないのかもしれません。
生前故人からいただいた恩恵に感謝できれば、永眠の地となるそのカタチは、慣習に左右される必要もないように感じます。
何度も経験することではありませんし、あらかじめ万全の準備ができることではありませんが、今回話し合っていることも含め、やがて経験するかもしれない時のために、関連事項を調べています。
Posted by Nori at 2012年08月16日 17:18
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