2014年03月06日

生誕祭

生誕祭半世紀・・・。

100年単位を表現する「世紀」という言葉は、少年時代には輝かしい未来を空想させ、恐竜が世界中を闊歩していた古き地球の成り立ちに結び付け、意味もなく想像をかきたてられたモノです。
昨今の映画などで表現される未来は、必ずしも少年時代に想像したような空を飛ぶ車が飛び交う町や、透明なドームに覆われた海底都市のようなものではなく、殺伐とした未来像として描かれるものも多いように感じるコトに並行して、数十年前の実話に基づく家族愛や人間らしい映画が注目されているようにも感じます。

生誕祭妄想にしろ、空想にしろ、輝かしく、今とは全く別物の未来を思い描けなくなったのは、大人になってしまったからなのかも知れません。

木星探査を舞台にしたディスカバリー号なる有人宇宙船による「2001年(2010年)宇宙の旅」のようなことも実現にはまだ時間がかかりそうですし、違和感なく家族のようにやり取りができる「ドラえもん」誕生までアト100年ほどと知っていても、その信憑性は疑わしいほどです。
生誕祭ドラえもんが現代の机の引き出しから現れる時には「タイムマシン」は完璧な精度で完成しているわけで、かの有名な空間を瞬時に移動できる「ドコでもドア」も然りです。それでも「ドコでもドア」と小林製薬並みに、名付けた22世紀の人達には常々敬意を表しております。

中学生だったか、高校生だったか、テレビで放送された「2001年宇宙の旅」では、アポロの月面着陸の現実を知りながら、人間が空の向こうに行くなんて想像をはるかに越えていた時代でしたから、HAL9000なる人工知能のスゴさも理解しにくかったですし、今ほど身近ではないコンピューターの存在すらよくわからずに見ていたような気がします。

生誕祭今思えば、ウインドウズもアイフォンもない50年も前に、大きなロケットに点火し、空高く打ち上げた有人宇宙船が月に着陸し、人間が石を拾って帰って来られたことに驚きますが、そんな時代にHAL9000なる人工知能をフィクションとはいえ、描き出したのも人間。
人類で初めて「牡蠣」や「ウニ」を食べたヒト同様、なんで「月」に行きたくなっちゃったのか、不思議と言えば不思議です。
当時の人間が描き出したHALはIBMを1文字ずつ前にずらして命名されたとする説(H←I、A←B、L←M/IBMより一歩先行くコンピュータを意味させている)には勝手に感動していました。
そんな人類の想像力と探究心により、HALの足元にも及びませんが、私のアイフォンもまだまだトンチンカンながら、会話らしきことができてしまうようになりました。

生誕祭半世紀・・・50年前の生活とは別世界といえる現在の環境を、進歩と見るか、後退と見るかは置かれた立場で異なるんだと思います。
地球を慈悲なく汚したり壊したり、保護しようと言ったりしているのもそれに当たるのかも知れません。
今と50年前を素直に比較すれば、同じ社会ではないことははっきりしていますが、その変化に気づくことなく過ごしてきてしまった50年。
日本人の平均寿命が80歳くらいだとすれば、もぉとっくに折り返し地点は過ぎました。

生誕祭節目の歳かどうかはわかりませんが、親切な生誕日計算サイトによれば、私がこの世に生まれてから18264日目。
ついに生誕50周年を迎えてしまいました。
7日でも30日でも365日でもなく、18264日もの日々のどれだけを有意義に過ごしてきたのか、意味ある一日にできたのかを考えれば、一生懸命過ぎてきた日々を思い出しながら書き綴るブログのエピソードも、あまりにもチンケに感じます。
無駄な一日も、大事な一日だと言う人もいますが、3日前の夕飯も思い出せなければ、80歳の誕生日を迎えるまでの11000日余りを、どれほど価値ある人生にできるかは不明です。

最後の一言が「いい人生だった。。。」と言えればいいんですが。。。



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Posted by Nori at 09:18│Comments(0)独り言
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