2013年02月26日
あんたドコの子?
沖縄出身で、優秀な公立大学に通いながら居酒屋でバイトをしているユキナちゃんは「ちんどん屋」を知りませんでした。
「何のために?」「なんで?」「ちんどん・・・?」
私はこのコたちが知らない歴史を生きてきました。
一体どれほどの「情緒や風情を感じさせてくれる古き良き時代の文化」が、この世から姿を消し、体温を感じない「便利」に置き換わったのでしょう。
「昭和」と「平成」の間には、目に見えないベルリンの壁のようなものを感じると書けば、言い過ぎなのでしょうか。。。
同世代のムスメたちにも、古き良き時代を伝えようとすれば、「それを聞いて何の意味があるのか!」と相手にされない予感がしますが、戦争を知らない私たちが、縁側に座らされて祖父たちの戦時中の武勇伝を聞かされた時、「始まっちゃったよ。。。」と、結末を知っているほど、何度も聞かされた話しのようなのでしょうか。
30歳ほどの差があるムスメたちとは違う世界を生きているような思いがしました。
「語りベ」と呼ばれる昔と今をつなげる民話や歴史を伝える人達が、果たして現在どのくらいいらっしゃるのか想像もつきませんが、私の周辺を見渡す限り、その役割の適任者であろうと思われる高齢者と、聞き手となる若者や子供達の距離が、それほど近いようにも見えませんし、実際に実施されていると言う話しも聞いたことはありません。
最近では「読み聞かせ」なんていうことをしてくださる方たちがいるようですが、それとは違うものだと認識しています。
家の中にもおじいさんやおばあさんが居ないとなれば、歴史の教科書には決して載ることのない語り継がれるべき郷土のノスタルジックな世界は消えゆく運命なのでしょうか。
どのウチでも一家の宝物のように鎮座ましました新品同様のブ厚い「百科事典」も、電子辞書や検索サイトで用が足りてしまい、その気になれば、最新の情報を、自分の知りたい時に思う存分知ることができるとなると、時間をわざわざ割いて誰かの話しを聞く必要もなく、なんか淋しい時代です。
このあたりも下水道が普及し、治水対策も施されると、定期的にドブ掃除で地域の顔が寄ることも、氾濫した川のアト処理を地域が一丸となって片付けることもなくなりました。
「デイサービスが生き甲斐なの」と、元気を取り戻したおばあさんたちは足しげく施設に通い、公園の日なたで、「あんたドコの子?」なんて会話もなくなったでしょうから、近所同志の年代を超えた雑談すら見当たりません。
顔を合わせる機会がなくなってしまった以上、ドコのオヤジがうるさ型で、ドコのバアさんがお節介焼きかを知ってる子どもも居ないのかも知れません。
50近くなって見知らぬ「ちんどん屋さん」との出会いで感じた、ナンか心の奥があったかくなるようなカンジって、イマドキの子ども達もいずれ感じることができるのでしょうか。
感じることができるとしたら、「ソレ」はどんなことなんでしょう。
私の想像力では、見つけることができません。
「何のために?」「なんで?」「ちんどん・・・?」
私はこのコたちが知らない歴史を生きてきました。
一体どれほどの「情緒や風情を感じさせてくれる古き良き時代の文化」が、この世から姿を消し、体温を感じない「便利」に置き換わったのでしょう。
「昭和」と「平成」の間には、目に見えないベルリンの壁のようなものを感じると書けば、言い過ぎなのでしょうか。。。
同世代のムスメたちにも、古き良き時代を伝えようとすれば、「それを聞いて何の意味があるのか!」と相手にされない予感がしますが、戦争を知らない私たちが、縁側に座らされて祖父たちの戦時中の武勇伝を聞かされた時、「始まっちゃったよ。。。」と、結末を知っているほど、何度も聞かされた話しのようなのでしょうか。
30歳ほどの差があるムスメたちとは違う世界を生きているような思いがしました。
「語りベ」と呼ばれる昔と今をつなげる民話や歴史を伝える人達が、果たして現在どのくらいいらっしゃるのか想像もつきませんが、私の周辺を見渡す限り、その役割の適任者であろうと思われる高齢者と、聞き手となる若者や子供達の距離が、それほど近いようにも見えませんし、実際に実施されていると言う話しも聞いたことはありません。
最近では「読み聞かせ」なんていうことをしてくださる方たちがいるようですが、それとは違うものだと認識しています。
家の中にもおじいさんやおばあさんが居ないとなれば、歴史の教科書には決して載ることのない語り継がれるべき郷土のノスタルジックな世界は消えゆく運命なのでしょうか。
どのウチでも一家の宝物のように鎮座ましました新品同様のブ厚い「百科事典」も、電子辞書や検索サイトで用が足りてしまい、その気になれば、最新の情報を、自分の知りたい時に思う存分知ることができるとなると、時間をわざわざ割いて誰かの話しを聞く必要もなく、なんか淋しい時代です。
このあたりも下水道が普及し、治水対策も施されると、定期的にドブ掃除で地域の顔が寄ることも、氾濫した川のアト処理を地域が一丸となって片付けることもなくなりました。
「デイサービスが生き甲斐なの」と、元気を取り戻したおばあさんたちは足しげく施設に通い、公園の日なたで、「あんたドコの子?」なんて会話もなくなったでしょうから、近所同志の年代を超えた雑談すら見当たりません。
顔を合わせる機会がなくなってしまった以上、ドコのオヤジがうるさ型で、ドコのバアさんがお節介焼きかを知ってる子どもも居ないのかも知れません。
50近くなって見知らぬ「ちんどん屋さん」との出会いで感じた、ナンか心の奥があったかくなるようなカンジって、イマドキの子ども達もいずれ感じることができるのでしょうか。
感じることができるとしたら、「ソレ」はどんなことなんでしょう。
私の想像力では、見つけることができません。
Posted by Nori at 09:03│Comments(0)
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