2013年01月07日
10年前の落し物

大金持ちの御乱心なのか、それとも権力者が持っていては説明できないおカネなのか、はたまた黒い集団のナンカなのか、100円落としただけでも大騒ぎの私にとっては理解のできない現象のひとつです。
宝くじの1等でさえ、取りに行かない人達がワンサカいると言うのですから、我が日本の貧富の差は明らかで、不況にあえいでいると言われながら、実は既にグループ分けされていて、小さな光を頼りに出口を探す作業も、もしかしたら居酒屋のイケスで泳ぐアジが、決して海に戻れないようなものなのかも知れません。

実際、そこら中と言えば大袈裟ですが、何度も交番に「落とし物」を届けた覚えがあります。
今も同じような指導は行われているのでしょうか。
そういえば、当時ほど交番に届けるに値するようなものが落ちているようには思いません。
キャッシュレスの時代になったこともあり、カラダと財布をヒモでつなげて持っていた私たちの時代とは、身につけているもの自体が変わったのかも知れませんし、数々の失敗から落とさないことを学んだのかも知れません。
それでも教わった通り交番へ届けるので、おまわりさんは面倒臭いだけで、大人の判断なのか、職務放棄なのか、私たちの住所や名前を聞かれることもなく、「はいはい、ご苦労様」と帰されてしまいます。
子どもたちの一方的な善行が実を結んだかどうか知る由もありませんが、今思えば「ここはゴミ箱じゃねぇんだよ!」と捨てゼリフを吐かれていたのかも知れません。
手の中であの頃を懐かしみながら物思いにふけったりするのですが、存在自体を忘れていた手の中のものと一緒に「落としてしまったモノ」は、決して小さなモノではないはずなのに、現在の私にとって必ずしも必要なモノではありません。
そんなふうにどれほどの「モノ」を落としてきてしまったのでしょうか。

恥ずかしいほど並べられた感謝の言葉に、私が落としたモノを拾ってくれた彼に対して私もまた感謝いたしました。
こういう場合もやっぱり1割程度の謝礼はするべきなのでしょうか。
近々にお礼をさせてもらえる約束をいたしました。
Posted by Nori at 11:57│Comments(0)
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