2013年01月05日
日向ぼっこの恋?
ブログを始めさせていただいてからコッチ、自分が過ごしてきた日々をタイムマシンもないのに、その時代に行っては見つけて書き綴りながら、とおの昔に忘れてしまった自分に出会う作業を楽しんでいます。
日記でもない、回想録でもない、ましてや偉人伝でもあるわけがないのに、セピア色をした映像にカラーがついていくと、今となってはバカげた価値観も、色鮮やかに鮮明に蘇り、眠っていた童心がにわかに騒ぎ出すのを感じます。
何であんなことが楽しかったんだろう?何であんなことをしたんだっけ?と、無理やり思い出さないと追いつけないほど大人になってしまった私は、少しだけ自分自身を残念に思ったりもします。
当時有り余るほどあったはずの時間は決して足りてはいなくて、寝ている時間以外は全力で「子ども」でいたんだと思います。
今朝、起きてみると家の中でありながら息が白い朝でした。
こんな日はなぜか富士山を見たいと思う衝動にかられます。
自宅のベランダから見える富士山は今日も昨日と寸分変わらず同じ位置で富士山らしく美しく鎮座されておりました。
富士山の美しさを語る上で、必ず出る話しですが、誰一人、富士山が全部真っ白に雪化粧をした姿を見たことはありません。
富士山を描けと言われれば必ず、山頂から宝永山あたりにかけて雪を描き、決して夏山の富士山を描かないように、全部真っ白の富士山も描かないのです。
アトもうちょっとで裾野まで真っ白にできるはずなのですが、女山だと言われる富士山だからこそ、スカートの裾を気にしながら絶妙な雪加減で美しさをキープしているのだと納得しています。
雪国の方には笑われそうですが、耳が痛いほどの寒さにへこたれそうになりながら富士山からいただく不思議な元気をカラダに浴びていると、あまりの寒さにヒザがギシギシ言い出し、歩き方もちょっと変で、そろそろコンドロイチンだかコラーゲンだかを強制補給する歳になったのかと、「ぐるぐるぐるぐるグルコサミン♪」と中田喜子のようにヒザを回してみますが、余計にギッシギッシ言っちゃって壊れる前にやめておきました。
雪の降らない静岡では「カザハナ」が舞っただけでテンションが上がっちゃうのですが、子どもの頃にはそんな大イベントを放っておけるはずもなく、地面に落ち、溶ける前のカザハナを無理矢理かき集めて、手の中から消えてゆく様子を見ているだけで楽しい時間を過ごすことができました。・・・それは今もあまり変わっていません。
耳がもげそうなほどの今朝、タバコを買いに(タバコは初夢の縁起のいいランキング第5位です。ポイ捨てもしませんし、あまりワルモノ扱いしないでください。私も命がけで1本1本心を込めて納税していますし、タバコをやめられないのは病気なので暖かい目で見守ってください。)散歩がてら歩いて5分ほどの自動販売機を目指しました。
通い慣れた道なのに、あまりの寒さに景色もキュッと引き締まって見えます。
空を見上げれば予報通りの快晴で風もほとんどありません。
太陽の位置のせいか、自販機までの道のりのほとんどは日影でした。
自販機目前の歩道で信号待ちをしていると、ポカポカあたたかい日向に立っていることに気づきます。
太陽のニオイさえ感じるような懐かしいカンジ。
ドラキュラ並みに夜道しか歩かない生活をしているので、余計にそう感じるのかも知れませんが、太陽の光を浴びるのは「不眠症対策」にもなると、どなたかがブログで紹介されていたので、信号をやり過ごして「日向ぼっこ」を決め込み、そこの石に座り込んでいると、信号を待っていた知らないオバアサンが近づいてきて「大丈夫ですか?」と。
・・・具合が悪いように見える歳になってしまった。。。
「日向ぼっこデス」と答えると、「じゃぁ、アタシも」と、立派な千畳敷を持つオタヌキさまが目印の、一里塚を背中に何を話すわけでもなく、いくつかの信号を見送っていました。
ほどなくして「ごゆっくり。。。」とオバアサンが立ち上がり、「日向ぼっこの恋」は終了します。
これが「日本昔話」なら、きっとシアワセを運ぶオバアサンだったのかも知れませんが、今日は亀も鶴も助けていません。
「恩返しの使者ならもっと若いのを。。。」と思いつつ、幼少の頃、日向のブロック塀やアスファルトの道路に貼り付いて「あったけぇ~!」なんて暖を取っていたことを思い出す「ハルさんぽ」でした。
日記でもない、回想録でもない、ましてや偉人伝でもあるわけがないのに、セピア色をした映像にカラーがついていくと、今となってはバカげた価値観も、色鮮やかに鮮明に蘇り、眠っていた童心がにわかに騒ぎ出すのを感じます。
何であんなことが楽しかったんだろう?何であんなことをしたんだっけ?と、無理やり思い出さないと追いつけないほど大人になってしまった私は、少しだけ自分自身を残念に思ったりもします。
当時有り余るほどあったはずの時間は決して足りてはいなくて、寝ている時間以外は全力で「子ども」でいたんだと思います。
今朝、起きてみると家の中でありながら息が白い朝でした。
こんな日はなぜか富士山を見たいと思う衝動にかられます。
自宅のベランダから見える富士山は今日も昨日と寸分変わらず同じ位置で富士山らしく美しく鎮座されておりました。
富士山の美しさを語る上で、必ず出る話しですが、誰一人、富士山が全部真っ白に雪化粧をした姿を見たことはありません。
富士山を描けと言われれば必ず、山頂から宝永山あたりにかけて雪を描き、決して夏山の富士山を描かないように、全部真っ白の富士山も描かないのです。
アトもうちょっとで裾野まで真っ白にできるはずなのですが、女山だと言われる富士山だからこそ、スカートの裾を気にしながら絶妙な雪加減で美しさをキープしているのだと納得しています。
雪国の方には笑われそうですが、耳が痛いほどの寒さにへこたれそうになりながら富士山からいただく不思議な元気をカラダに浴びていると、あまりの寒さにヒザがギシギシ言い出し、歩き方もちょっと変で、そろそろコンドロイチンだかコラーゲンだかを強制補給する歳になったのかと、「ぐるぐるぐるぐるグルコサミン♪」と中田喜子のようにヒザを回してみますが、余計にギッシギッシ言っちゃって壊れる前にやめておきました。
雪の降らない静岡では「カザハナ」が舞っただけでテンションが上がっちゃうのですが、子どもの頃にはそんな大イベントを放っておけるはずもなく、地面に落ち、溶ける前のカザハナを無理矢理かき集めて、手の中から消えてゆく様子を見ているだけで楽しい時間を過ごすことができました。・・・それは今もあまり変わっていません。
耳がもげそうなほどの今朝、タバコを買いに(タバコは初夢の縁起のいいランキング第5位です。ポイ捨てもしませんし、あまりワルモノ扱いしないでください。私も命がけで1本1本心を込めて納税していますし、タバコをやめられないのは病気なので暖かい目で見守ってください。)散歩がてら歩いて5分ほどの自動販売機を目指しました。
通い慣れた道なのに、あまりの寒さに景色もキュッと引き締まって見えます。
空を見上げれば予報通りの快晴で風もほとんどありません。
太陽の位置のせいか、自販機までの道のりのほとんどは日影でした。
自販機目前の歩道で信号待ちをしていると、ポカポカあたたかい日向に立っていることに気づきます。
太陽のニオイさえ感じるような懐かしいカンジ。
ドラキュラ並みに夜道しか歩かない生活をしているので、余計にそう感じるのかも知れませんが、太陽の光を浴びるのは「不眠症対策」にもなると、どなたかがブログで紹介されていたので、信号をやり過ごして「日向ぼっこ」を決め込み、そこの石に座り込んでいると、信号を待っていた知らないオバアサンが近づいてきて「大丈夫ですか?」と。
・・・具合が悪いように見える歳になってしまった。。。
「日向ぼっこデス」と答えると、「じゃぁ、アタシも」と、立派な千畳敷を持つオタヌキさまが目印の、一里塚を背中に何を話すわけでもなく、いくつかの信号を見送っていました。
ほどなくして「ごゆっくり。。。」とオバアサンが立ち上がり、「日向ぼっこの恋」は終了します。
これが「日本昔話」なら、きっとシアワセを運ぶオバアサンだったのかも知れませんが、今日は亀も鶴も助けていません。
「恩返しの使者ならもっと若いのを。。。」と思いつつ、幼少の頃、日向のブロック塀やアスファルトの道路に貼り付いて「あったけぇ~!」なんて暖を取っていたことを思い出す「ハルさんぽ」でした。
Posted by Nori at 14:47│Comments(0)
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