2012年11月29日
ふしぎなポケット

園庭には園児があふれ、今日は「おかあさんせんせい」たちの姿も見えます。
幼稚園とは長年のおつき合いながら、「おかあさんせんせい」の実態はわかりませんが、察するに保護者会の役員さんであり、数年後にはPTAを支えてくださる輝ける未来の原石さん達なんだと勝手に認識しております。
ご活躍いただいているお母さん達は、みんな若くてキレイでファッションもスタイリッシュです。

オイシイものや美しいものを覚えてしまった罪深きオッサンです。
ここの子ども達はオッサンが珍しいのか、駿府公園の鳩のように寄ってきます。
まだ小さな脳みそで一生懸命考えて、目をキョロキョロさせながら、ツバをゴクゴク飲みながら、一生懸命ナニやら「イイコト」を教えてくれているようなのですが、ちっとも意味がわかりません。

この会話の意味がわかる時代もあったはずだと思えば、私はもうピーターパンではなくなってしまったのかもしれません。
ウェンディも歳をとったんでしょう。
あ、このウェンディは若かりし頃に知り合い、ウチの家庭に旋風を巻き起こしたフィリピンはマニラの子です。お父さんはスペイン人で画家だと言っていました。


いつものように暴動に発展しそうなので、「そーか、そーか。確かに!」と言って退散してきましたが、ポケットの中でバリバリに割れたビスケットの歌だと思って育って来なかった私は、未だに現実に向き合えない大人になってしまいました。
「ふしぎなポケット」 まど・みちお作詞/渡辺茂作曲
ポケットの なかには ビスケットが ひとつ
ポケットを たたくと ビスケットは ふたつ
もひとつ たたくと ビスケットは みっつ
たたいて みるたび ビスケットは ふえる
そんな ふしぎな ポケットが ほしい

そんな名曲が歌い継がれていることを嬉しく思いつつ、久々に長年の疑問を思い出しました。
「かあさんの歌」作詞・作曲 窪田 聡
1.母さんが夜なべをして 手袋編んでくれた
木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて せっせと編んだだよ
故郷の便りは届く 囲炉裏の匂いがした
歌詞は3番まで続くのですが、唯一1番の一節だけがナマってしまっています。


囲炉裏のそばの小さな灯りで、出稼ぎに行ったムスコのためにせっせと手袋を編む、チョット腰の曲ったおばあさんチックなお母さんを想像しますが、毛糸が誰でもカンタンに入手できた時代じゃなかったとしたら実はセレブでクロネコヤマトかなんかで届けたんじゃないかと疑ってみたりします。
後半の歌詞の中で「麻糸」という表現もありますが、麻糸で作った手袋を知らないので、その価値も機能性もわかりません。
麻糸がカイコと関係があるのならやっぱり庄屋さんなのかと考える私は、なぜポケットの中でビスケットが増えることを疑問に思えなかったのか悔やまれます。
息子さんが何か「お返し」をしたのかも気になります。

ミシンも使える人だったので、服や、タテ笛の収納スペースがついたバッグも作ってくれました。
上手だったかどうかは別として、なまじ器用だったために、穴の開いた靴下もよく縫い合わせてくれて、あまりの補強に足の親指が血豆になってしまうこともありました。
今でこそ、継ぎはぎをオシャレにパッチワークなどと呼びますが、私たちの頃は破れた服を補強したり、穴を隠す手段としてオカネの自由にならない家では当たり前のことでした。
しかし、継ぎはぎだらけの服が恥ずかしかった分、謙虚になれたような気もしますし、継ぎはぎが目印となり、継ぎはぎクン達とお菓子を分け合ったりしていたことを思い出します。
こんな世の中で、現代の子ども達がすべてにおいて決して恵まれているとは思いませんが、私たちの時代と比べれば一般的だと言われる水準は雲泥の差です。

「懐かしい」という言葉の中に、手のぬくもりや誰かを想像できるあたたかさが失われていないといいなと思います。
Posted by Nori at 09:58│Comments(0)
│子どもたち