2014年11月03日
明日は我が身

呑み友達とは言っても彼女は75歳になるベテランドリンカーで、会社を経営するかたわら、小田原あたりの納品も、自分で運転して行っちゃう「言うこと」を聞かないなかなかのヤンチャバァサンです。
知人を介し、彼女の「ハプニング」を聞いたのは2週間ほど前で、「突然ボケちまったらしい・・・」というものでした。
彼女はご主人を数年前に亡くし、独り暮らし。。。

「離れて暮らすムスコくんたちには連絡が行ってるのか?」
「クルマのカギは取り上げたのか?」
「朝晩の戸締まりは・・・?」
心配事はアトを断ちませんが、突然ボケた独り暮らしの老人に、知人であるとはいえ、意外にも成す術がないことに気づきます。
散々、二人でデートをしたり、ハシゴ酒で呑み歩いているクセに、ケータイの連絡先以外は何一つ知らず、経営している会社の名前も場所すらも知りません。
ましてや、ムスコくんたちへの連絡先など知る由もなく、角をまがった奥の家も、酔っぱらってタクシーで送り届けているので、正確な家のカタチや玄関がわかりません。

入院をしていないらしい以上、「警察に届けるべきか?」とコトは深刻な方向に向かいますが、果たしてソコまで私が首を突っ込むべきかと言うナンとも淋しい躊躇もあって、2の足を踏んでしまいます。
「ついに・・・」と心配をする人達も、何度か連絡をしていたそうですが、「連絡がつかない・・・」と、真実がわからないままオヒレハヒレのついたウワサ話しになってしまいます。

カズバァは、すでに正気を取り戻していることや、ムスコくんたちにも連絡がついて、ご家族の監視下にあることを教えてくれました。
それなら一安心なわけで・・・。
十数年前に、病院嫌いでクスリ嫌いだった亡き祖父が、体調をくずし、病院にかかった際に「風邪」と診断されました。

結局、クスリ慣れしていない祖父は、クスリが効き過ぎてしまい、ソレをきっかけに私達には見えないものが見えるようになったり、今までしたこともない行動を取るようになってしまいました。
いわゆる「ボケ」の始まりでした。
カラダは元気なのに、自身の行動がコントロールできない状態に、親族もずいぶん長い期間苦労をしました。

自分自身に起こらないことでもないのだとすれば、何を気をつければいいのかもわかりません。
今回発症した彼女は、血圧を下げるクスリや体調を整えるクスリを日常的に持ち歩き使っていましたから、そんなことも心配のひとつになっていました。

「これだけ心配させて呑んでンじゃねぇ!」と言う私に「心配し過ぎなのよ!」と笑い飛ばします。
さすがに「酒」は控えている模様でしたが、心配したみんなに顔を見せることが目的だったようです。
しかし、すっかり元気を取り戻したバァサンの、「その時」の様子を聞けば決して笑うことはできませんでした。

私にも経験のあることですが、もう少しだけナビに逆らって一般道を進んでしまえば、ソコから先はナビも新たな最短ルートを選ぶのですが、年配者にとってその意味もわからなければ、見知らぬ町で、慌ててしまいパニくってしまい「脳」が拒否反応だか、思考停止だかに陥り、気づいた時には3日も過ぎていて、ガソリンを継ぎ足しながら夜通し走り倒していたらしいとのことでした。
助手席には大量のコンビニ弁当やサンドイッチなどがあったことから、食事はしていたようですが、どのあたりのコンビニで購入したものだったのか一切記憶はないのだと言います。

それにしても、事故にならなくて良かった。。。デス。
元気だと思っているのは自分ばかり。。。
明日は我が身だと、自身の生活態度を振り返る今日この頃です。
余命宣告された海外の女性が「尊厳死」の名を借り、この世を去ったと聞きました。

世論の賛否に「生きる望み」をまるで美談のように報じているメディアもありましたが、仮に思いとどまれば売名行為みたいに言う人達もいるのでしょうから、余命幾許もない彼女はソレにも耐えなければなりません。
その町では合法とされる「尊厳死」に一石を投じた意味は小さくないのだと思いますが、生きている以上「ひとり」であるはずもなく、心配してくれる人達がいる以上、自らの命をコントロールすることにはナンともやり切れない思いを感じます。
※本来ならばこうした公の場で「ボケ」という言葉を使うべきではないと思いますが、極めて近しい人に限った表現で、それ以上の他意は一切ございませんことを御理解いただければ幸いです。
Posted by Nori at 16:59│Comments(0)
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