2012年12月12日

ちょっと焚き火

ちょっと焚き火現在ではダイオキシンだのCO2だのと、記憶違いでなければ、稲刈り後のワラを畑で焼いたり、特殊な浄化装置つきの焼却炉でなければ個人が大量にナニかを勝手に燃やすことは10年ほど前から法的に制限されているんじゃないかと思います。

亡くなった祖父母が農業を営んでいたために、春先の田植えの際には親戚総出でオニギリを持って田んぼに集合し、苗を植える機械などない時代に、大人は横一列に並び、木でできたハシゴをパタパタと田んぼの上で転がしながら苗を植えていきました。

ちょっと焚き火大勢のイトコたちとの久しぶりの再会に子ども達のテンションも高く、田んぼのまわりを走り回り、用水路に入ってはザリガニやオタマジャクシを追いかけ、ドテに登っては大人達の応援をしていたことを覚えています。
まさか不思議なカタチをしたハシゴが、苗を均等に植えるための定規だったとは思いもしませんでしたが、稲刈りの時期がくるとまた親戚中が集まり、稲以外は何の成長もなく、やっぱり走り回っていました。

ちょっと焚き火春先にはいなかったコメを狙う小さなネズミを誰かが見つけると、一斉に稲の生い茂る乾いた田んぼに入り、稲を倒そうが、キレイに整列している刈り取ったばかりの束になった稲の跡につまづいて出血しようが、ヒーローになるためにネズミと同じスピードで走り回っていました。
何日もかけてすべての稲が刈り終わると、田んぼの中に組んだモノホシ竿のようなものに稲を引っ掛けて乾燥させます。
また何日か経って、また集合します。
ちょっと焚き火
脱穀作業をみんなで行い、乾いたワラを田んぼの真ん中に集めて一気に燃やします。

時を同じくして隣の田んぼも、またその隣も燃していますから、何十本もの白い煙がノロシのごとく空に向かって登り、子供心に強い印象を残しています。

ドコの家でもそうだったか覚えていませんが、我が家には焼却用のドラム缶があり、気まぐれな父がよくたまった雑誌や新聞なんかを燃やしていました。
私はドサクサに紛れ、答案用紙や親に見つかってはいけない本などを燃やしていました。
ドラム缶の下の方には空気取りの穴が開いていて、そこにアルミホイルで包んだサツマイモやユリネ、にんにくナンカを放り込んで焼いて食べるのが楽しみでした。

ちょっと焚き火おいしい「マグロのカマ」をゲットしたので、今夜のツマミにとも思ったのですが、せっかくなのでオフィスのベランダで焚き火がてら焼いてみることにしました。

焚き火台を準備し、焼き始めると決算に追われる私に反し、ヒマそうなアンジーがサツマイモと、一夜干しのイカを買ってきてくれました。

これでビールがあればサイコーですが、時はまだ16時。それではちょっと早すぎます。

ちょっと焚き火オヤツ代わりのサツマイモ。
なかなか上手にできました。1本98円だという割には贅沢なキモチになるオヤツでした。

「焚き火だ、焚き火だ、落ち葉焚き・・・」

今はそんな光景を見ることもできなくなりましたが、ちょっと強めの北風が「ぴいぷう」吹く中、季節ハズレのプチバーベキューでいい気分転換ができました。

ちょっと焚き火祖父が「火は人を集める」と、よく言っていました。

人寄せの好きだった祖父母ですが、年末になると親戚が集まり「もちつき」をします。
「火は人を集める」は、チッチャいのからヨボヨボまでが集まり現在も尚、続いています。




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Posted by Nori at 09:27│Comments(0)独り言
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