2012年06月26日
どっちが檻の中?

家屋ばかりか、幼い子どもたちも自然の猛威の犠牲になってしまっています。
なぜ、増水した川や用水路に幼い子どもたちだけで行ったのでしょう。
なぜ、いつもは落ちたことのない川や用水路に落ちてしまったんでしょう。
水周りのフェンス整備が不十分だったなどと報道されていますが、危険な場所をフェンスで囲んでしまうだけで解決できる問題ではないように感じます。

いよいよカウントダウンが始まったユッケやレバ刺し禁止令も、私たちを守るためのフェンスを張っていただいたわけですが、偉い人たちが許可したものだけしか食べることができないのはやはりどこか釈然としません。命に関わるやむなき判断でしょうから、受け入れるわけですが、一方で事件や事故を引き起こしている疑いのある噂のハーブはガチャガチャみたいな売られ方がマカリ通っているようです。
金環日食に沸き立ち、金星通過はニュースで見るだけ。サリン事件の最後の逃亡者逮捕のニュースや京都の暴走事故はすでにトップニュースではなくなってしまいました。
日本人力が低下したなどと言える立場ではありませんが、田舎モンの私にとって、目まぐるしく入れ替わり、すぐに忘れ去られてしまうトップニュースについていけないばかりか、限りある放送時間の中で、百科事典の目次を見ているだけのような報道の仕方に関心も薄くなってしまいます。
あちこちで起こる殺人事件が、凶悪な事件としての認識も薄れてしまったような気がします。
事件にはきっと背景になるものがあるのだと思いますが、それが報道されることはまずないために、抑止したり、改善するための糸口が見つけられないような気もしています。
「まさかこんな町で事件が起きるなんて」と、どの町で起きる事件のインタビューも似たり寄ったりなのに、やはり事件や事故は繰り返されてしまいます。


地域活動ですので賛否もあるようですが、「イイ」と思われることは全部やってみて、改善が必要になれば柔軟に対処していく方向で活動されているようです。
最近の自然災害は犠牲者を伴う、これまでにない大規模なものになったという見方がある一方で、今回冠水被害の出た和歌山では、農地が埋め立てられ水の逃げ道がなくなってしまったという地域もあるようです。
有度子どもを守る会は、そういった地域の様子や、情報が集まる組織です。
すぐに解決できることばかりではありませんが、取り組んでくださる皆さんがいるということはやはり安心感があります。

時がゆっくり流れていた時代。
昭和49年7月。
私たちの町も、いわゆる「七夕豪雨」に見舞われ、氾濫した巴川の河川水が住宅地に流れ込み、多くの床上浸水被害が出ました。
巴川に隣接する私の在所地域にも相当量の水があふれ、自衛隊の方たちがボートで救出活動をしている異様な光景は、幼かった私の記憶に

その後、治水対策も進み、当時のようなことはほとんどなくなりましたが、巴川周辺に住む方たちは、川が増水すると記憶がよみがえるようです。
小学生だった私。
七夕の時期になると、決まって思い出す光景。

鳴り続けるサイレン。
不安で怖すぎる時間。
水の力。
たたきつける雨。
崩れたブロック塀。
割れた窓。
教室内を占領してしまった有度山の土。

そこにひらがなで「きけん」と書けばわかる子どももいるかもしれません。
やがて「きけん」と書かれた看板に囲まれてしまう前に、危険を知る力の育成や、危険を除去することに、残りわずかなエネルギーを使いたいと思います。
それとも、看板だらけになった町のほうが安全なんでしょうか。。。

地震や暴風雨に襲われると、誰かの安全を気にする習性は、間違いなくこの町の大人たちから受け継いだものだと思います。
Posted by Nori at 09:05│Comments(0)
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