2013年02月18日
フツーじゃない事

仕事柄、他と同じでは成立しない仕事をしていますが、それは訓練されたものではなくアトからついてきたものであって、一番遠い記憶の中でも、周囲から見れば「普通」ではなかったんだと思います。保育園内の遊具を塗り直すオジサンの横で、色あせたペンキに同じ色で塗り重ねる様子に「ナンで違う色にしないの?」と聞いてみたり、寝たくもないお昼寝の時間にこそ、大好きだったサイトーハルコ先生を一人占めできると、一番最後まで起きていて、ハルコ先生にマンツーマンで寝かし付けてもらうのが好きでした。
大人になるに連れ、ルールを守らなければいけない意味や、先生が話している時には静かにしていなければならないことを学ぶのですが、守る理由のわからないルールなら変えればイイコトを思いつき、懸命に静かを装うためにノートの隅に書いた落書きも、日々上達していきました。

彼女の名前はフルネームで覚えています。
私たちと同じことができないその子をからかったり、汚いもののように接したりしたことを怒られていたのですが、給食の揚げパンを横断バッグにいつまでも入れていたり、クラスからみんなの消しゴムが消える事件が起きた時には、彼女の机の中から大量に発見されたこともありました。
大人の目には、からかったり、汚いものに接するように見えていたのかも知れませんが、彼女への接し方を教わった記憶はありませんでした。

公立中学への進学も一緒に果たすと、授業中落ちついていられない彼女は別室で特別な授業を受けていたようですが、3年生になった時、同じクラスのはずの彼女が別室で「九九算」を猛勉強中だと担任の先生に聞かされ、ヤンチャ三昧で勝手気ままだった私は、自分の受験勉強もロクにやらなかったのに、彼女に単語カードをプレゼントというか、あげました。

友達たちは方程式や年号と組み合わせた歴史を覚えるカードを受験に備え、持ち歩いていたようですが、私は何一つ持っていませんでした。
最初で最後だったかも知れない単語カードをつくり、彼女に直接手渡したのか、先生経由だったのかは覚えていませんが、「知的障害」だったからでも「かわいそう」だったからでもなく、先生から聞かされちゃったから・・・みたいなノリだったように思います。
それでも私が作ったものですから、問題と答えが一致していたかどうかは定かでないことだけが心配です。

「普通」という不思議な言葉を支持した結果、運動会の競争でも順位はつけない、落ちこぼれもいない、みんな同じ程度の横並びで区別がつかない・・・
個性的な異端児も「普通」にされてしまいます。
受験戦争で、不合格になった人の横で親子で抱き合って喜ぶ姿も、能力次第では「ウダツの上がらないダメ亭主」と無神経にレッテルを貼ってしまう奥様も、決して「普通」だとは思えません。

「ちゃんとして!もっとフツーにして!」と口癖のように言うムスメたちですが、そんなに「普通」ってすばらしいものなのかと、「普通」ではない私は思います。

私は軽々しく安っぽい応援メッセージなど持ち合わせていませんが、皆さんが遊びにきてくれることを喜んでいることは事実です。
私たちが知らない世界で生きていらっしゃる以上、できないことを無理してやる必要もなく、できることを楽しめたら、それだけでいいんだと思います。
「普通」ってナンか変。
「普通」にそう思います。
Posted by Nori at 12:24│Comments(0)
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